NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/15


十楽寺 Juuraku-ji 

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 四国霊場第7番札所である十楽寺(じゅうらくじ)は、弘法大師・空海が阿弥陀如来像を彫って本尊とした寺である。
 「八の苦しみを逃れ、十の楽があるように」との意味から光明山十楽寺と称し、境内の治眼疾目救済地蔵尊は眼病に霊験があることで知られている。
 永正年間(1504~1520)、長宗我部元親の兵火の際に堂を焼失し、この時、住職の真然は本尊・脇仏・舎利仏・経本など運び出したが、経本を持たせた小坊が流れ矢に射られ、倒れた小坊はその時経本を土に隠した。その場所は「経塚」として、今も残されている。
 その後、お堂は寛永一二年に再建されたが、現在の本堂は、更にあとの明治の再建とされている。
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2007/10/31


土佐打刃物 Tosa-uchihamono 

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 土佐打刃物(とさうちはもの)とは、高知県の香美市(かみし)に古くから伝わる工芸品である。
 鎌倉時代後期の徳治元(1306)年、大和国より移り住んだ刀鍛冶の五郎左衛門吉光派が土佐打刃物をつくったのが始まりで、室町末期まで繁栄した。戦国の乱世では需要に応じ、武具や刀剣をつくっていた。
 天正一八(1590)年、豊臣秀吉の小田原攻めに参戦し、土佐一国を統一した長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)は、佐渡から刀鍛冶を連れて帰り、これが刃物の産地としての始まりとなった。「長宗我部地検帳」には、三九九軒の鍛冶屋が存在していたことが記録されている。
 本格的な生産が始まったのは元和七(1621)年で、土佐藩の財政復興として新田開発などの振興政策を受け、農林業用打刃物の需要が一気に拡大した。
 土佐打刃物は刀鍛冶から習得した技術で鎌や鉈、のこぎりなど農山林具を中心に発達した。切れ味がよく耐久性があり、研ぎやすいことで知られ、全国有数の刃物産地として高い評価を得ている。
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2007/8/9


三滝渓谷 Mitaki-keikoku 

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 四国山脈と支脈に囲まれた自然豊かな城川町。
 木々と水が織りなす美しい景観が広がる自然公園内にある三滝渓谷は、一六世紀末の戦国時代に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の攻撃を受けて落城し、城主であった式部卿(しきぶきょう)紀親安が悲運の最期を遂げた悲話の他にも多くの伝説を秘めている。
 三滝渓谷は八十八滝、九十九渕といわれており、それぞれに名前のついた大小様々の滝や多くの伝説を秘めた淵による渓谷美を四季折々の木々の移ろいとともに楽しむことができる。至る所に立てられた立て札に書かれている伝説を読みながら散策するのもまた楽しい。
 公園内には視覚体験館、地質館、炭焼小屋、万葉の道、三滝ロッジ、ふるさと交流館などが整備されている。「万葉の道」と名づけられた散策道には万葉集にちなんだ40基の歌碑が立ち並び、句碑にちなんだ植物が植えられている。
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