NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/15


川崎和男 Kawasaki Kazuo Kawasaki Kazuo

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 1949年福井県生まれ。デザインディレクター。医学博士。
 金沢美術工芸大学産業美術学科卒業後、東芝に入社。伝説のオーディオAurexをロゴを含めて手がけたのち、1979年に独立。2年後には地元、福井に拠点を移す。以降、ナイフ、液晶テレビ、眼鏡、人工心臓にいたるまで多岐にわたる製品のデザイン、研究を進める。
 2001~03年まで、グッドデザイン賞審査委員長。現在、大阪大学大学院工学系研究科教授のほか、同大学コミュニケーションデザインセンター、未来医療センター、フロンティア研究センターの各教授も兼務する。
 デザイナーとは「理想主義を、具体的に目に見える形で提案できる職業」だとし、数学、サイエンス、テクノロジー、アート、すべてを導入して、冷徹に、そして厳密に現実を構築していく。
 DESIGN A DREAM デザインの力で世界を変えることができると、本気で信じているデザインディレクターが、日本には少なくとも一人は、いる。
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2007/11/12


黄楊櫛 Tsuge-gushi Japanese Boxwood Combs

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 黄楊櫛(つげぐし)は、京都府にて今も作られている、髪をすく伝統的な女性の装飾品である。
 櫛の歴史は古く、一番古いものでは縄文時代まで遡る。また、黄楊で作られた櫛は万葉集にも詠まれており、櫛の中でも最上級品として歴史を重ねている。
 京都の黄楊櫛の生産は、平安時代から始まったとされている。
 黄楊の木は、材質が柔らかく地肌を傷つけず、櫛にとって理想的な性質を持っており、一般の櫛だけでなく、西陣織の綴織に使う櫛、京人形の結髪用の櫛など京都ならではの幅広い用途に使われている。
 また、静電気がほとんど起こらないため、枝毛や切れ毛になりにくく、頭皮への刺激も優しく、非常に高いヘアケア効果があるとされている。
 黄楊櫛は、健康的なだけでなく彫や蒔絵も美しい、いつの時代も女性を引き立てる装飾品である。
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2007/8/10


いかざき大凧合戦 凧踊り Ikazaki-oodako-gassen Tako-odori 

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 県無形民俗文化財に指定されている四〇〇年の歴史を持つ伝承行事。
 もともと大凧合戦は、生まれてきた子どもの健やかな成長と幸せな将来を願い大凧に子どもの名前を書いて空高く舞いあげたのが始まりといわれている。毎年五月五日の「初節句行事」として、また内子町最大の伝承行事として引き継がれている。
 合戦は町の中央部を流れる小田川の豊秋河原で五十崎側と天神側に分かれて行われる。
 「ガガリ」とよばれる凧糸に仕込んだ刃物一つでそれぞれ相手の糸を切り合う、という約千統の大凧が空中に乱舞する勇壮な光景はまさに圧巻である。
 また奴の化粧をした若者たちによるユーモラスな「凧踊り」も合戦には欠かせない祭事である。
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2007/7/26


円通院霊屋 Entsuuu-in-otamaya 

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 円通院(えんつういん)は、宮城県の松島にある伊達光宗の菩提を弔った寺である。
 伊達光宗は、仙台藩二代藩主忠宗の二男であり、将来を託望される文武両道に秀でた人物だったが、わずか19歳の齢で死去する。
 その御霊を弔うために正保四(1647)年に円通院に建立されたのが、三慧殿(さんけいでん)との別名も持つ霊屋(おたまや)である。
 内部にある厨子にはキリシタン文化の影響が垣間見え、厨子の右扉には日本最古といわれる西洋バラや十字架などが描かれている。
 一説よると光宗は、その文武に優れた才能のため、外様大名から名君が出ることを恐れた幕府から毒殺されたとも言われており、そんな幕府に反発するかのように、使節団としてヨーロッパに赴いた支倉常長(はせくらつねなが)らが持ち帰った西洋文明の影響をわざと色濃く反映させたとも伝えられている。
 絢爛豪華で優美なその厨子には、伊達家の気概が映し出されている。
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2007/7/4


函岳 Hako-dake 

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函岳(はこだけ)は、北海道美深町にある山。山頂からの眺めが素晴らしい秀峰である。
 函岳は山頂まで車やバイクで登ることが可能で、北海道有数のロングダート、美深スーパー林道を通り、加須美峠函岳林道を登る。その景観は素晴らしく、ライダーたちの人気オフロードコースとなっているとか。
 標高1129mの山頂からは360度の大パノラマが開け、天気がよければオホーツク海や日本海に浮かぶ利尻富士、大雪山連峰を望むことができる。高山植物も密生し、緑にあふれる山である。
 この素晴らしい自然環境を守るため、平成二年度には、北海道自然環境保全指針により「すぐれた自然地域」として将来的に保全を図っていくことが望ましい地域に指定されている。
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2007/5/17


バーンロムサイ Banromusai BAN ROMU SAI

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 タイ北部チェンマイにある、HIVに母子感染した孤児たちの生活施設。施設の名前は、「ガジュマロの木の下で」という意味を持つ。2001年にタイ王国より財団法人の認可を受け、現在約30名の子どもたちが暮らしている。
 「子どもたちには得意なことで将来生計を立てて欲しい」と考える代表の名取美和さんの方針で、子どもたちは勉強だけでなく、絵画や陶芸、ダンス、スポーツ、コンピュータなどいろんな体験ができるような取り組みが行われている。これらは主にタイ人や日本人のボランティアスタッフによって進められている。
 また、支援に頼らない自活を目指して、草木染や織物、縫製などオリジナル商品の生産・販売を手がける一方、施設の敷地内でゲストハウスの運営も行っている。
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2007/5/7


高知 金剛福寺 Kouchi Kongoufukuji Kongofukuji Temple

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 四国霊場
 第38番札所。
 弘仁年間、弘法大師はこの地を行脚して千手観世音を感得した。この足摺岬は四国の最南端に位置することから観世音の理想世界の地として朝廷へ奏聞し、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を賜った。その後、弘仁十三年、伽藍を建立し、千手観世音を安置する。
 仁王門に掲げられた扁額(へんがく)は嵯峨天皇の直筆である。
 37番岩本寺からの距離は約88km。遍路の中でも最長距離である。土佐の京都といわれる中村より四万十川を渡り、伊豆田峠を越え下ノ加江より以布利へ、ここから土佐清水を経て海沿いに窪津、稲荷崎、足摺岬へ。岬の突端に近づくと急激に海へ迫り、アコウや天然のツバキ林を抜ければ、12万平方メートルの広大な境内に本堂をはじめ諸堂が点在する。
 平安時代後期には観音道場として信仰を集め、和泉式部が建てた逆修塔もある。
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2007/5/1


山岸良三 Yamagishi Ryouzou 

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 新潟県長岡市十日町の周辺に伝わる伝統工芸品「小千谷縮(おぢやちぢみ)」の伝統工芸士。
 昭和六三(1988)年、伝統工芸士に認定される。この地方では奈良時代には既に麻織物が作られ、朝廷への献上が行われていた。小千谷縮はこの伝統を受け継ぐ麻織物で、江戸時代に緯糸に強い撚りをかける技法が生まれ、生産が増加し、各地に広まった。
 氏は高校卒業後家業を継ぐが、80年代頃、織物の衰退を危惧し、全国の産地を回り、技術を伝え学び、後進の育成にも力を注いだ。
 現在も海外の絹に目を向け、新たな製品の開発を行うなど、小千谷縮と小千谷紬の将来を見据え、常に挑戦をし続ける職人である。
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