NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/8


壬生寺 Mibu-dera 

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 京都府京都市中京区にある寺。
 奈良時代の創建と伝えられ、正暦二(991)年、大津にある三井寺(園城寺)の僧・快賢が再興して「小三井寺」と呼ばれた古刹である。中世には円覚上人が寺を再興し壬生狂言(壬生大念仏狂言)を興した。壬生寺は京都三大狂言の一つである壬生狂言を伝える寺として、今も京の庶民に親しまれている。また幕末には、新撰組がこの寺を「兵法鍛錬場」として使用したことから、新撰組のゆかりの寺としても有名である。境内の壬生塚には、近藤勇の銅像や隊士の供養搭などが残っている。
 壬生狂言が演じられる「大念佛堂」、秘仏である辧財天が祀られている「弁天堂」をはじめ、五仏錫杖頭(ごぶつしゃくじょうとう)(重要文化財)や列仙図屏風(れっせんずびょうぶ)(長谷川等伯筆・重要文化財)などや、室町時代の作を含む190点もの狂言の面を今に伝えている。
 今も、壬生の地の人々の中にある寺である。
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2008/1/17


大津絵 Ootsu-e 

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 大津絵(おおつえ)は、滋賀県大津地方の代表的な郷土みやげ品で、伝統民画と呼ばれる。その大半は、強烈な人間風刺がテーマになっている。
 江戸時代初期、東海道近江国追分あたりの名もなき画工が軒を並べ、街道を往来する旅人らに、信仰の対象として仏画を描き売ったのが始まりという。時代の変遷と共に世俗画、風刺画、人物画、風俗画へと転じ、また教訓的な和歌を添えたものも登場するなど、そのモチーフは百種類以上にのぼる。
 江戸時代を通じて東海道大津宿の名物となった大津絵は、文化・文政期(1804~1829)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、そこから「大津絵節」が生まれ、全国へと伝播していった。
 シンプルでのびのびとした描線、どこかユーモラスで風刺のきいた絵柄、そして独特の鮮やかな彩色が見る者を惹き付ける。現在は、紙に描かれたもののほか、絵馬やひょうたん、皿や掛け軸などもある。人間風刺という普遍的なテーマゆえに、いつの時代も民衆の心を捉えて離さない。
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2007/12/14


妙音十二楽 Myouon-juuni-gaku 

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 妙音十二楽(みょうおんじゅうにがく)は、鹿児島日置市の吹上町にある中島常楽院(なかじまじょうらくいん)で披露される古典音楽で、昭和四六(1971)年、県の無形文化財に指定されている。
 常楽院は天台宗の盲僧寺で知られる。島津忠久が、滋賀県大津にある逢坂山(おうさかやま)の妙音寺常楽院の住職である宝山検校(ほうざんけんぎょう)を薩摩に伴い、建久七(1196)年に常樂院を創建した。盲僧修行の中心となる寺院で、初代宝山をはじめ歴代住持の墓がある。
 宝山の命日にあたる毎年一〇月一二日には、各地の盲僧が集まり、妙音十二楽が演奏される。琵琶・太鼓・笛・手拍子・妙鉢・銅鑼(どら)・大法螺(おおぼら)・小法螺(こぼら)の八種類の楽器を使い、松風・村雨などの曲が合奏される中、般若心経などが詠まれるものである。
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2007/11/13


兵主祭 Hyouzu-matsuri Hyozu Festival

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 兵主祭(ひょうずまつり)は、滋賀県野洲市五条の兵主大社で、毎年五月三日~六日に行われている例祭である。
 兵主大社は、三世紀後半ごろ、現在の滋賀郡大津市遷都にともない社地が設けられ、さらに欽明天皇の時代に琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられる。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。
 当日は午前中に神社で神事を行い、午後には各氏子から大小約30の御輿や太鼓が神社の参道に集まり、クライマックスの神輿渡りが行われる。
 太鼓橋前にて各御輿が行う「鵜の息抜き」の所作は面白く、特に、大小様々な御輿・太鼓が「チョイトサ」の掛け声も勇ましく、約300mの松並木の参道を渡御する様は壮観で、祭りの一番の見所といえる。
 兵主祭は、兵主18郷による、勇壮で華やかな祭りである
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2007/10/31


水路閣 Suirokaku 

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 琵琶湖疏水事業の一環として施工された水路橋のことを、水路閣(すいろかく)という。この疎水は滋賀県大津市で取水され、南禅寺横を通って京都市東山区蹴上までの区間のことをいう。
 南禅寺境内を横切る煉瓦造りのアーチ橋は、橋の上を琵琶湖疏水の支流が毎秒二トンの割合で流れている。
 京都を代表する景観としても知られるこの橋は、古代ローマの水道橋を参考にして、明治二一(1888)年に建築されたものである。
 建設当時、周辺はたくさんの社寺が点在しているため、周囲の環境を壊さないよう配慮された。そのため南禅寺境内に当時では画期的な異国風建造物の水路閣をつくりあげたのである。
 延長約九三メートル、幅約四メートル、水路幅二、五メートルの赤煉瓦造りで、一三の橋脚でつくるアーチ構造は優れたデザインとして、訪れる観光客の目を楽しませている。
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2007/9/21


石山寺 多宝塔(国宝) Ishiyama-dera Tahou-tou Tahoto Pagoda at Ishiyamadera Temple (National Treasure)

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 石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗別格本山である。本尊は如意輪観音。西国三十三箇所第一三番、江州三十三観音第一番、近江三十三観音第三番札所とされる。
 天平一九(747)年、聖武天皇の勅で建立されたと伝えられる、京都の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ日本でも有数の観音霊場で、開基は良弁(ろうべん)。
 多宝塔(たほうとう)は、建久五(1194)年の建立で、年代の明らかなものとしては日本最古の多宝塔とされる。
 塔は、高さ17・2mで桧皮葺、擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも間斗束となっている。
 内部には快慶作の大日如来像を安置しており、日本三名塔の一つとされ、国宝に指定されている。
 石山寺の多宝塔は、屋根の描く曲線美と調和して均整美と安定感を併せ持つ古代建築の傑作である。
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2007/8/21


神爾の滝 Shinji-no-taki The Shinji Falls

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 神爾の滝(しんじのたき)は、滋賀県大津市北比良にある神爾谷中流にかかる、登山道の途中に存在する6つの滝の総称である。
 それぞれ、雌滝は落差13m、幅1mの直瀑、二の滝は落差13mの下段は2条となっている2段滝で、三の滝は落差5m、幅2mの直瀑、雄滝は落差18m、幅8mのハネ滝、五の滝は落差6m、六の滝は落差12mの3段滝となっている。
 実際に安全に見ることが出来るのは雄滝のみであるが、迫力があり、夏はとても涼しい。
 神璽とはいわゆる「三種の神器」のことで、古くから皇位継承の印として受け継がれてきた宝剣・宝鏡・勾玉を指す。
 この滝名との直接的関連はわからないが、滝が自然に織りなす姿かたちや、樹林の間から漏れる陽光に輝く光景などは、実に神々しく感じられる。
 神爾の滝は、勇壮で豪快な秘瀑群である。
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2007/6/21


大津宿 Ootsu-juku Otsu-juku

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 大津宿(おおつじゅく)は、東海道五十三次の五三番目、中山道六十九次の六九番目に位置する、京への長き道の最後の宿場である。現在の滋賀県大津市。
 慶長七年に本陣が置かれたため発展に貢献し、町数一〇〇ヶ所、人口一八〇〇〇人と非常に大きい上、琵琶湖の物資が集散するため湖上交通でも要であり、宿場としても本陣二軒、脇本陣一軒、旅籠七一軒が並ぶ最大規模の宿場であった。
 現在では、当時の賑わいもひっそりと息をひそめ、石碑が当時の案内を残すにとどまっている。
 安藤広重の「東海道五十三次・大津」では、のどの渇きを癒す茶店が描かれており、この茶店にあった「走井の清水」で知られた井戸も現在の月心寺に残されている。
 また、絵の中に登場する走井餅(はしりいもち)は、こし餡がやわらかい餅に包まれた細長くお菓子で、現在も名物としてファンが多い。
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