NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


木葉猿 Konoha-saru 

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 熊本県玉東町(ぎょくとうまち)の木葉に伝わる「木葉猿(このはさる)」は、郷土玩具の中で、最も古いものの一つであるといわれている。
 養老七(723)年の元旦に「虎の歯(このは)」の里で生活していた都の落人が、夢枕に立った老翁のお告げにより奈良の春日大明神を祀った。そして木葉山の赤土で祭器をつくった際、残りの土を捨てたところ、それが猿に化けたという言い伝えがあり、木葉猿が誕生したといわれる。
 型を使わず、指先だけで粘土をひねる技法で猿の土焼人形をつくり、素焼きにしたままの伝統玩具である。
 昔から素朴さとユーモアある姿は人気があり、大正時代後期には、全国土俗玩具大番付で東の横綱になった。最近では彩色したものもあり、三匹猿・子抱猿・飯喰猿など合わせて一〇種類程あり、悪病、災難除け、子孫繁栄、子授けなどのお守りとして多くの人々に親しまれている。
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2008/1/24


明神古墳群 Myoujin-kofungun 

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 明神古墳群(みょうじんこふんぐん)は鹿児島県出水郡長島町の明神浜にある古墳群である。長島町はこの古墳群を含み多くの古墳群がある町として有名であるとされている。
 古墳群は明神浜にある鬱蒼と茂る雑木林の中にある。この古墳群が作られたのは出土品などから推測するにあたり古墳時代の後期、六世紀後半から七世紀といわれている。その数は三〇基と言われ、そのうち発掘されたのは六基。現在に至るまでの発掘で、鉄刀や、矢じりに使われる鉄鏃(てつぞく)、6センチほどの鏡、よく生活に使用されていたといわれる土師器(はじき)と呼ばれる素焼きの土器、そして人骨などが出土している。特に鉄鏃は大量に出土していることなどから、この地では早くから勢力争いなどが起こっていたとも考えられている。
 古墳の造られ方は、同じ長島町ある指江古墳群(さすえこふんぐん)と似ているといわれている。
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2007/12/26


博多おはじき Hakata-Ohajiki 

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 博多おはじきは、博多どんたくと博多祇園山笠と並び、博多三大祭りの一つに数えられる「放生会」(ほうじょうや)で限定販売されている、素焼きの素朴なおはじきである。
 福岡県福岡市にある筥崎宮(はこざきぐう)で、秋の例祭として毎年の九月一二日から六日間行われる放生会の初日、朝八時からお札所で販売が行われている。
 昭和五四(1979)年から、博多人形師達で構成する会が、博多人形に用いられるのと同じ土で手作りしているもので、今では放生会の名物の一つとなっている。
 そのデザインは様々で、様々な風物が直径二cmほどの丸い土台の上に形造られている。また、一セットにおよそ三〇個ほど入っているが、どれ一つとして同じものはない。
 毎年、表面のデザインも一新されるために人気も高く、午前中には売切れてしまうという。
 その手作り感溢れる、可愛らしく素朴な味わいのおはじきは、今も多くの人々を惹きつけている。
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2007/8/30


赤坂人形 Akasaka-ningyou Akasaka Dolls

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 赤坂人形は、福岡県筑後市赤坂にて作られる土人形である。福岡県特産民芸品に指定されている。
 赤坂土人形の歴史については、どの文献にも何も伝えられておらず、いつからこの地で作られたかは不明である。
 おそらくは徳川中期の頃、有馬藩の御用窯として発達した際、その余技として製作されたものであろうといわれている。
 「てってぽっぽ」(不器用な人という意味)として当時の子供達に親しまれた鳩笛が一番有名で、そのほか福神、天神、猿など、十数種の土型がある。
 粗い素焼きに胡粉(貝殻を焼いて作った白色の顔料)をかけ、彩色しただけの土人形で、素朴な童心にあふれている。
 赤坂人形は、飾り気のない単純な純真さを持つ、筑後を代表する懐かしい民芸品である。
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2007/5/1


三宅 隆 Miyake Takashi Takashi Miyake

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 福岡県博多地方に伝わる伝統工芸品「博多人形」の伝統工芸士。
 昭和五十一(1976)年、伝統工芸士に認定される。4回の内閣総理大臣賞、2回の通産大臣賞など多数を受賞。元博多人形商工業協同組合理事長でもある。
 博多人形は江戸時代の初め、黒田長政が筑前に封入した際に瓦師の正木宗七が素焼きの人形を作り、献上したのが始まりとされ、その後庶民用の人形が多く作られ、全国に広まった。
 題材が非常に豊富であり、美人、歌舞伎、子供、祭りなどの題材のほかに現代の風俗をかたどったものも作られている。
 この道50年を超える氏であるが、新作を作る際は常に悩み抜く。
 
 しかし、構想が決まった後は迷いなく鮮やかな技量で見事な作品を作り上げる。博多祇園山笠の人形の作成など幅広い活動を行っており、後進の育成にも力を注いでいる。
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2007/2/23


小石原焼 Koishiwara-yaki Koishiwara Ware

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 小石原焼は、福岡県朝倉郡小石原村にて焼かれる陶器である。主生産品は、生活雑器。
 1682年、江戸時代前期に黒田藩藩主によって開かれた、筑前最初の窯である。
 当初は「中野焼」と呼ばれ、大型のかめ、壷、徳利等の磁器を焼いていたが、18世紀初めから陶器が焼かれるようになり、小石原焼と呼ばれるようになった。
 刷毛目、飛び鉋、櫛描きなどによって表現される独特の幾何学的な紋様が特色で、素焼きを行わず、釉薬を流し掛ける。
 元々はささやかな里であったが、昭和30年代後半からの陶芸ブームにのり、小石原焼は全国的に有名になった。
 現在、村には50余軒にのぼる窯元があり、最も古い窯元は300年の歴史をもつ。
 小石原焼は、400年の歴史を受け継ぐ伝統工芸品である。
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2007/2/7


博多人形 Hakata-ningyou 

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 博多人形は、福岡県福岡市にて造られる伝統玩具である。
 素焼きの人形を愛でる習慣は、約800年前(鎌倉時代)、博多や鎌倉の繁華街や寺社から始まったと言われる。
 博多人形は17世紀、黒田長政が福岡城を築いた時、鬼瓦の細工物から焼き物作りの技法を学んだ職人が、優れた作品を藩主に献上したのが始まりと言われている。
 また、19世紀前半に博多祇園町の住人が作り出した土俗素焼きの玩具人形が、博多人形の元になったとも言われている。
 素焼きに着色する、落ち着いた感覚の美しさと、きめ細かい彫り込みなどが博多人形の持ち味、特性である。
 現在では100名近い作家達が、伝統を活かした作品を制作し続けている。
 博多人形は、日本を代表する人形であり、伝統工芸品である。
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2007/1/31


風鈴 Furin Furin (Wind Bells)

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 風鈴は風を受けて音が鳴る小さな釣鐘型の鈴。内側に舌と呼ばれる部位をつけ、音を響かせる。
 歴史は古く、中国では「占風鐸(せんふうたく)」と呼ばれ、竹林につるし、風向きや音で吉凶を占った。仏教と共に日本に渡来してからは「風鐸」と呼ばれ、音を鳴らすことで魔除けとして使われた。
 享保年間(1716〜1735)にガラス製の風鈴が作られ、幕末にかけて庶民に広まったとされる。
 現在、材質、形状は多岐にわたり、美しい絵を描いたガラス製の江戸風鈴、無骨な鉄細工の南部風鈴、火鉢を下げた形の火鉢風鈴、素焼きの土鈴、炭を組み合わせた炭風鈴など様々な種類がある。
 涼感ある音を奏でる、日本の夏の風物詩の一つである。
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