NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


雄飛滝 Yuuhi-daki The Yuhidaki Waterfall

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 静岡県の伊豆市修善寺町北端にある山田地区に、雄飛滝(ゆうひだき)がある。
 沼津と修善寺の境にある滝で、全長30メートルあり、上段20メートル、下段10メートルに分かれている。
 この地方独特の地層で、石を積み上げた様な岩肌を流れる美しい雄飛滝は、滝の下に不動明王を祀っている。
 近くの山道には八重桜の並木があり、4月の下旬に満開の花を咲かせる。また滝へ降りる道沿いにはあじさいが植えられ、6月には別の美しい姿を見せる。
 また冬になると見事な氷柱となってあらわれ、上から突き刺さるような感じで尖った先端がこちらを向いている状態がみられる。普段激しく落ちる滝が、時が止まったような氷柱となり、夏と冬では全く対極する景観となる。
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2007/8/16


群馬 白井宿 Gunma Shiroi-juku Shiroi-juku

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 群馬の白井宿(しろいじゅく)は、群馬県渋川市白井に残る昔懐かしい江戸情緒にあふれた街並みを現在に伝えている。
 白井宿は、利根川と吾妻川の合流点に栄えた宿場町である。
 道路の真中を流れる白井堰や路傍の石造物などが点在し、昔の佇まいが続いている。
 往時の面影をそのまま残す土蔵造りの家並みや、鐘楼、8つのつるべ井戸が今も残り、懐かしさを醸し出す。
 国道17号とバイパスからほんの僅かだが離れた場所にあるため、車も少なく、絶好の散策コースとなっている。
 毎年4月の第4日曜に開催される「白井宿八重桜まつり」には、武者行列や六斎市を楽しみに、多くの行楽客が訪れる。また、秋の紅葉も見事である。
 群馬の白井宿は、訪れた人を郷愁に誘う、日本情緒漂う心が落ち着く街並みである。
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2007/5/11


土師百井廃寺跡 Hajimomoihaijiato 

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 土師百井(はじももい)廃寺跡は、白鳳時代に、行基が開いた慈住寺(じじゅうじ)跡とみられ、南大門、三重塔、金堂、講堂などをもつ大伽藍であったと推定されている。今は国の史跡に指定されている。
 土師百井は、鳥取市の南にある霊石山(れいせきざん)の南の山麓にあり、郡家(こおげ)盆地を一望できる景勝地である。
 霊石山を越えると因幡の国の中心、鳥取平野が広がる。古来より交通の要所として発展し、今も鳥取から瀬戸内に抜ける際の岡山方面、姫路方面への分岐点となっている。
 廃寺跡には、直径1.5mの四天柱礎が4つ、側柱礎が12個残り、曼荼羅の中で四仏と四菩薩を配する八葉蓮弁の模様の瓦も出土する。
 土師百井廃寺跡は桜の名所としても知られ、春には敷地内の八重桜が満開になり花見客を誘う。
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2007/5/9


鳥取 船上山 Tottori senjouzan Mt. Senjozan

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 鳥取県の大山隠岐国立公園内にある標高600mの山。歴史と景勝が探訪できる山で、手軽に登山できるハイキングコースとして多くの観光客の人気を集めている。
 平安時代には霊験あらたかな修験場として山岳仏教が発展。その後鎌倉時代には隠岐の島を脱出した後醍醐天皇が立てこもった山として知られる。
 山の東側は山腹一帯、600mにもおよぶ岩壁「屏風岩」がそびえ立ち、その脇を滝が流れる。また、修験道の寺や神社、史跡も多数あり、独特の雰囲気を持っている。
 紅葉の名所でもあり、11月頃には登山客で賑わう。山麓は「万本桜公園」が整備され、春には八重桜が満開になる。船上山は、四季それぞれの景勝で、豊かな自然を堪能できる名山である。
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2007/5/7


鹽竈神社 Shiogama-Jinja 

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 鹽竈神社(しおがまじんじゃ)は、宮城県塩竃市一森山(いちもりやま)にある東北鎮護・陸奥国一之宮の神社で、多賀城の東北に位置する。祭神は、塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主神(ふつぬしのかみ)。塩土老翁神は、潮(しお)と塩(しお)、潮流を司り、製塩の神である。この地の人々に製塩を教えたことに始まると伝説にある
 全国にある塩竈神社(塩釜神社)の総本社である。
 仁和四(888)年以後は天皇の代替わりごとに神宝を奉献した大神宝使の対象社として選定され、奥州藤原氏・伊達氏など歴代領主からも崇敬された。
 境内には、塩竈桜(シオガマザクラ)という珍しい八重桜がある。眺望のよい海に面しており、花菖蒲、宮城野萩なども美しい。 今も昔も「しおがまさま」と呼ばれこの地の人々に親しまれている。
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2007/4/24


大和郡山城 Yamato-kooriyamajo 

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 大和郡山城は、奈良県大和郡山市にあった城である。
 天正八(1580)年、筒井順慶は、それまで居城としていた筒井城からこの地に移り、新たな城郭の建築を開始した。
 順慶の死後豊臣秀長が入城し、城は更に大規模なものに修築された。以後、次々と城主が入れ替わったが、享保九(1724)年、柳沢吉里が入城し、その後は明治まで柳沢家が続いた。
 明治三(1870)年、維新と共に郡山城は廃城となる。
 現在、城跡公園には梅林門、月見櫓、大手東隅櫓、多聞櫓が復元されており、本の丸天守台北面の石垣には「逆さ地蔵」をはじめ、多くの地蔵が組み込まれている。
 春にはソメイヨシノ、山桜、枝垂れ桜、八重桜など約1000本の桜が咲く名所であり、ライトアップされた夜の公園は魅力的な人気スポットとなっている。
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2007/1/17


倶利伽羅峠 源平供養塔 Kurikaratohge Genpeikuyohtoh Kurikara Pass Genpei Memorial

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 倶利伽羅峠は、富山県と石川県の県境にある峠。かの有名な源平合戦があり、「火牛の計」の作戦により平家が敗れたところである。源平砺波山合戦にまつわる史跡が多い倶利伽羅峠古戦場。源平供養塔もその史跡のひとつだ。
 寿永二(1183)年、源平合戦の際、源氏の軍勢は太鼓、ほら貝を用いて一斉にときの声を上げ、角に松明を付けられ猛り狂う五百頭の牛を平家軍に放った。京都からの長途の行軍に疲れまどろんでいた平家軍は、暗闇の中を慌てふためき、武具も整えられず右往左往するばかり。将兵は軍馬もろとも地獄谷へ駆けこみ落ちたという。これが後に「火牛の計」と名づけられ、源平盛衰記にも記されている。
 源平供養塔は、「倶利伽羅公園」から小矢部市側に歩いて数分の猿ケ馬場にある。側には八重桜があり、見ごろの5月には、あまたの魂をなぐさめるように辺りを淡い桜色に染め上げるという。
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