NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/29


青島盆踊り Aoshima-bon-odori 

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 愛媛県大洲市の青島盆踊り(あおしまぼんおどり)は、毎年八月一三・一四日に開催される大掛かりで華やかな伝統行事である。
 一三日には魚を供養する賑やかな踊りの大漁踊りが、一四日には死者の霊を慰めるため、赤穂四十七士の亡者踊りが披露される。討ち入りの衣装や、鎧兜などを身につけ舞う亡者踊りは哀愁を帯びた印象である。
 青島は一七世紀までは無人島であったが、島原の乱により頻繁に船が往来しはじめ、播磨(はりま)の漁師が立ち寄ったことをきっかけに、播州(ばんしゅう)からの移住者が増えた。それが青島の盆踊りが赤穂四十七士にまつわる由来とされる。現在は県指定の無形民俗文化財に指定されている。
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2007/3/5


原城跡 Harajyou-seki 

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 有明海の岬を利用したこの城は、日野江城の支城として明応5 (1496) 年に築かれた。
 キリシタン大名有馬晴信の頃は日暮し城と讃えら、日が暮れるまで見ても飽きないほど美しかったが、有馬氏が日向へ移されると廃城となり、松倉重政は島原に城を築いた。 
 徳川幕府治政下では最大の反乱だった島原の乱、寛永14(1637)年の一揆軍が城にたてこもり、3万7千人は悲惨な最期を遂げた。
 現在は公園になっている。島原の乱で殉教したキリシタンたちの追悼の意を込められているかのような大きな白い十字架や、200年以上経過している天草四郎の墓石や天草四郎像など、天草四郎に関するものが残っている。
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2006/12/20


唐津城 Karatsu-jou Karatsu Castle

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 唐津城は、唐津湾に面し、石垣が直接海にそびえるという数少ない構造である。満頭山頂部に本の丸を置き、西に二の丸・三の丸を配置し、更に南に外郭を設けた中規模の城である。
 文禄4年、豊臣秀吉は唐津に寺沢広高を封じ、広高は関ヶ原では東軍に付きその戦功で123,000石を領した。慶長13年に名護屋城を廃して、満頭山に築城したのが唐津城である。
 島原の乱で、寺沢家は責任を負い、断絶される。その後何人かの城主があらわれ、最後に小笠原氏が明治維新での廃城となるまで居城する。建物は一旦解体され、舞鶴公園となった。その後昭和41年5層5階の天守閣、門や櫓が築かれる。
 松浦川河口に架けられた橋の上から、本の丸に建つ五層の模擬天守、櫓門と山頂部にめぐる石垣、その山裾には白い城壁と平櫓が見え、迫力あるお城だ。

  
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