NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/15


諏訪崎 Suwa-zaki 

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 諏訪崎(すわさき)は愛媛県八幡浜市諏訪崎にあり、宇和海に向かって延びる全長3キロほどの小半島にある岬である。その美しい風景から「夢咲き岬」とも言われている。
 八幡浜湾の南に位置し、宇和海県立自然公園に属している。岬の先端には白亜の魚霊塔が設けられ、そこに通じる道は、2キロに渡る遊歩道になっている。
 四季を通じツツジ、アジサイ、ツバキの花が咲き乱れ、小鳥のさえずりの声が聞こえる自然を楽しめる場所である。また、途中にはシイタケ園やツバキのトンネルがあり、先端からは佐田岬半島の美しい眺望を見ることができる。
 付近はハイキングコースとして整備され、キャンプ場も完備されているため、夏場を中心に訪れる人は多く、四国の自然100選や森林浴の森日本100選にも選ばれている。
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2008/7/28


鎮西大社 諏訪神社 Chinzeitaisha-Suwa-jinja Chinzeitaisha Suwa Shrine

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 長崎県長崎市に鎮座する、諏訪神社(すわじんじゃ)は、鎮西大社といわれ、諏訪大神、森崎大神、住吉大神を祀る長崎の総氏神様である。
 弘治年間(1555~1557年)に信濃の諏訪神社から分霊し、諏訪神社が建立されていたが、領主のキリシタン大名大村純忠は長崎をイエズス会の知行地として寄進し、市内の神社仏閣はほとんど破壊されてしまった。しかし、寛永元(1624)年に肥前唐津の宮司、青木賢清(あおきけんせい)の努力により諏訪神社、森崎神社、住吉神社を合祀して再興。慶安元(1648)年に現在の場所に社殿が造営された。安政四(1857)年に火災によりほとんど焼失したが明治二(1869)年に10年の歳月を費やして社殿が再興された。昭和五九(1984)年には御鎮座三百六十年祭を記念して昭和の大改修が執り行われ、現在の社殿の姿となっている。
 地元では「お諏訪さま」と呼ばれ、毎年秋には日本三大祭の一つである長崎くんちが開催される。
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2007/9/19


成川神舞 Narikawa-kanme 

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 成川神舞(なりかわかんめ)は、鹿児島県指宿市山川成川の成川南方神社にて、三年に一度、一〇月二七日前後に行われる神事である。
 成川南方神社は、創建年は不明ながら古くからこの地に建つ神社で、祭神は建御名方命(たけなかたのみこと)。
 成川神舞はお諏訪さんと呼ばれている南方神社に伝わる神楽で、以前は国家・神社や氏子に事ある時に神事を行い、その最後に神舞を奉納していた。
 成川神舞の起源は不明だが、慶安二(1649)年、藩主・島津家久の前で神舞を舞ったとの記録が残る為、慶安から万治年間(1648~1661)には成立していたと思われる。
 初日と二日目に、グレと呼ばれる神輿が家々を御神幸する神事を行い、二日目の夕刻から二〇番以上ある神舞が奉納される。
 成川神舞は、勇壮な中にも優雅さが感じられる郷土芸能である。
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2007/8/16


天麟院 Tenrin-in 

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 天麟院(てんりんいん)は、仙台藩祖・伊達政宗公の正室、愛姫(めごひめ)との間に生まれた一人娘である五郎八姫(いろはひめ)の菩提を弔った寺であり、日本三景の一つ、宮城県の松島にある。
 同じく松島にある陽徳院や円通院と並んで、松島の三霊廟に数えられている。
 五郎八姫は、徳川家康の六男であった松平忠輝のもとへ政略結婚という形で嫁いただものの、忠輝が家康に反発、大阪夏の陣への参戦を行わなかった事で高田七五万石を召し上げられ、離縁。仙台に戻った姫は仏門に入ることとなり、その落飾後の号が天麟院である。
 政宗公は姫を心配し、仏門に入った後も生活を支援し続け、二代藩主・忠宗にも「姫をくれぐれも頼む」といった遺言を残している。
 一説には姫はキリシタンだったといわれ、離婚を認めない教義のため、愛姫からの再婚の話にも一切耳を傾けなかったのだという。
 そんな五郎八姫の墓所は、忠輝の没した信州諏訪の方を向いているといわれる。二人の死後から三百有余年。誰にも邪魔されることなく、見つめ合っている。
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2007/6/1


野麦峠 Nomugi-touge Nomugi Pass

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 かつて岡谷や諏訪など信州にある製糸工場へ、糸ひき稼ぎの為に、飛騨の13歳前後の娘達が列をなして吹雪の中を命がけで越えた「野麦峠」は、野麦街道の難所だった。娘達は疲れた体を休めるのに、「お助け茶屋」と呼ばれる茶屋で休んでから、熊笹の群生する峠を信州へ、飛騨へと下っていったという。
 北に乗鞍岳、南に御嶽山が望まれ、見渡す限りの景観はとても素晴らしい。
 この峠に生い茂る熊笹は10年に一度、麦の穂に似た実を付け、土地の人間には「野麦」と呼ばれていた。それが峠の名前の由来となっている。
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