NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/12/7


川尻筆 Kawajiri-fude 

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 天保九(1838)年、広島県川尻の菊谷三蔵(きくたにさんぞう)が、現在の兵庫県にあたる摂州の有馬から筆を仕入れ、寺子屋などで販売したのが「川尻筆(かわじりふで)」の始まりである。
 その後、筆を仕入れるだけでなく、この地で筆の製造を始めることを村人に呼びかけ、安政六(1859)年に初めて川尻筆がつくられた。川尻の上野八重吉(うえのやえきち)が有馬や松江から職人を呼び、初めての試みとして高品質の「ねりまぜ製法」、大量生産の「ぼんまぜ製法」を扱い、川尻筆の名は次第に全国に広まった。
 明治時代における学制の制定から筆の需要が高まり、さらに川尻筆墨株式会社の設立もあって、技術や経営でも発展し続けた。
 第二次大戦中に多くの職人を失ったうえ、戦後の学制の変更で学校習字が廃止され、生産が衰退したが、昭和四二(1967)年に「川尻毛筆事業共同組合」が設立、続いて昭和四六(1971)年には学校習字が復活した。平成三(1991)年に県の伝統的工芸品の指定を受け、川尻筆の伝統は今なお大事に受け継がれている。
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2007/11/7


函館ハリストス正教会 Hakodate-harisutosu-seikyoukai 

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 函館ハリストス正教会は、北海道・函館西部のシンボル。日本で初めて建てられたギリシア正教会の聖堂である。
 江戸末期の安政五(1858)年に、キリスト教が禁止されていた日本で、初めてギリシア正教がロシアの司祭ニコライにより伝えられ、ロシア領事館付属の聖堂として建てられたのが始まり。日本のギリシア正教発祥の地となった。鐘の音から地元では「ガンガン寺」とも呼ばれ親しまれている。
 外観は、細長い三角屋根や、3つの小さなドームなどに見られるロシア風ビザンチン様式の建築が特徴的。漆喰塗仕上げの白壁と緑色の屋根の色の調和が美しい建物である。内部には、黄色と赤の唐草文様じゅうたんが敷きつめられ、正面壁面にはロシアから運んできた極彩色の絵が飾られている。
 この聖堂は、日本ハリストス正教会の発祥の地であり、意匠的にも優れているとして昭和五八(1983)年に国の重要文化財に指定された。
 
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2007/10/9


絹の道 Kinu-no-michi Silk Road

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 絹の道(きぬのみち)は、東京都八王子市~神奈川県横浜市を結ぶ道の事である。現在の国道16号とほぼ同様の経路を辿る。
 八王子は古くから桑都(そうと)と呼ばれ、生糸絹織物の生産が盛んだった。安政六(1859)年、横浜の開港と共に生糸の需要が高まり、八王子は信州・甲斐方面からの生糸商人たちの拠点となった。
 生糸貿易で頻繁に使われた道は鑓水(やりみず)街道または浜街道と呼ばれ、日本のシルクロードにあたるということから、のちに「絹の道」として知られるようになった。
 この生糸を運んだ交通路は、歴史的な意義が認められ、そのうちの一部が自然を残して整備されている。また、鑓水商人屋敷跡には「絹の道資料館」が開館している。
 絹の道は、幕末・明治の人々・特に鑓水商人たちの足跡を残す、貴重な史跡である。
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2007/9/4


無名異焼 Mumyoui-yaki Mumyoi Ware

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 無名異焼(むみょういやき)は、無名異と呼ばれる新潟県の佐渡金銀山中より産出される酸化鉄を含む陶土を用いて、高温焼成した各種焼き物のことである。
 無名異は漢方薬としても古くから用いられており、中風や胃腸病、やけど、止血剤としての効果に優れていた。
 焼き物としての歴史は、文政二(1819)年、佐渡金山の坑内で産出された無名異を用い、楽焼を製造したのに始まり、その後の安政四(1857)年に本焼が始まったとされている。
 その特徴としては、製造工程においての生磨きや焼成後の砂研磨など、他の焼き物ではあまり見られない特殊な作業が行われることにある。
 これら特殊な作業を経て生み出される製品は焼き物とは思えないほど非常に硬く、叩くと澄んだ金属音を発する。
 使用するほどに光沢を増すことでも知られており、飾るだけではなく日常に持ちいる事で、より味わいを深めていく逸品である。
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2007/7/11


石狩八幡神社 ishikari-hachiman-jinja 

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 石狩八幡神社(いしかりはちまんじんじゃ)は、北海道石狩市弁天町にある、創建から150年の古い歴史を持つ神社だ。
 安政五(1858)年、当時の石狩が幕府の直轄地となってから、函館総社八幡宮の神主が同八幡宮の末社の創建を請願し、同じ年に川東町(現八幡町)にて蝦夷総鎮守として建立された。
 その後、明治七(1874)年に現在の弁天町に奉還されることとなる。
 元々、現在の場所には石狩弁天社があったが、同社もまた奉還されたため、その跡地にて稲荷大神の相殿で祀られることとなる。
 こうした経緯から、同神社入り口の鳥居は元々は弁天社のもので、同社が鮭の豊漁や海上の安全を祈願して建てられた社だっただけに、鳥居には「海上安全」の文字が今も刻まれて残っている。
 毎年一月にはどんど焼き、九月には例大祭も行われており、今も多くの参拝者が途切れることなく訪れ、清い空気をまとった静かな境内で拍手を打っている。
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2007/6/26


松前藩戸切地陣屋跡 Matsumae-han-hekirichi-jinya-ato 

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 松前藩戸切地(へきりち)陣屋跡は、江戸時代に蝦夷地の防衛を強化する目的で、幕府が安政二(1855)年に松前藩に命じて作らせた陣屋の跡地である。北海道北斗市に所在する。
 この陣屋は、四陵の星型をしており、東側の一陵に砲台六門を擁していた。明治元(1868)年には函館戦争の旧幕府軍の攻撃に遭い、松前藩兵の手により自焼、放棄されている。その後昭和五四年から国や道の保護を受けて環境保護を行い、平成十三年に再建。現在では市民の憩いの場として親しまれている。
 陣屋に続く長い道路には桜が植えられており、春の満開時には桜のトンネルとしてたくさんの人々の目を楽しませている。
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北海道 赤松並木 Hokkaido Akamatsu-namiki 

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 北海道の赤松並木(あかまつなみき)は、北海道亀田郡七飯町峠下~函館市桔梗町を結ぶ約14kmの並木道である。
 安政四(1857)年、箱館奉行支配組頭・栗本瀬兵衛が、故郷佐渡から取り寄せた赤松の種子を七重の官園で育成し始める。文久二(1862)年、瀬兵衛は育った若木を旧道に移植、明治九(1877)年には更に植樹を増やし、現在の景観になった。
 「北海道の名木美林」に収録され、「日本の名松・100選」「日本の道100選」「新・日本街路樹百景」にそれぞれ選出、歴史国道にも認定されている。
 青森県が天然分布の北限とされながらも、北限を越えた異郷の地、北海道の厳しい自然条件下で育成し、多くの人々に親しまれてきた。
 北海道の赤松並木は、特に初夏から秋にかけて、道路が緑のトンネルとなり、すばらしい景観となる名勝地である。
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2007/6/19


正信寺 Shoushin-ji Shoshinji Temple

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 正信寺(しょうしんじ)は、北海道浦河郡浦河町にある浄土真宗大谷派の寺である。本尊は、阿弥陀如来像。
 安政五(1858)年、函館に役寺正信坊施設として創立されたのが、始まりとされる。
 明治一一(1878)年、最初の住職となる清水綱道が、日高国浦河郡への移転を願い出た。
 翌年、堂宇を建て、本尊である阿弥陀如来像を持って浦河村鱗別に移転し、本願寺末寺とした。
 昭和三四(1959)年、昭和二七年の十勝沖地震により破損した本堂その他を現在地に移転すると共に、新築した。
 正信寺は、浦河で一番開基が古いといわれる寺であり、今も地元の人々に篤く崇敬されている寺院である。
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