NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/12


焼山寺 Shousan-ji 

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 四国霊場第12番である焼山寺(しょうさんじ)。開基は修験道の開祖役小角(えんのおづの)といわれ、焼山寺山を道場として拓き、蔵王権現を祀ったことに始まるとされる。
 またこの寺は深い山中にあるため、四国八十八箇所霊場の中でも随一の難所として知られている。
 山号の由来は、のちに弘法大師がおとずれた時、焼山寺山の台地に大蛇がおり、火を吐いて山を焼くなど村人を困らせていることを聞き、水輪の印を結んで退治したことから、とされている。
 仁王門をくぐると、県の天然記念物に指定された見事な老杉が参道両脇に並び、境内には本堂、右手に大師堂、弁天堂、鐘楼、そして大師伝説の残る岩屋がある。
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2008/1/22


塩船観音 柴燈護摩 火渡り Shiofune-kannon Saitou-goma Hi-watari Saito Goma Fire Festival at Shiofune Kannon

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 塩船観音(しおふねかんのん)は、東京都青梅市塩船にある真言宗醍醐派の別格本山の寺院である。本尊は十一面千手千眼観自在菩薩像。関東八十八ヶ所霊場第72番札所とされる。
 大化年間(645~650)に、17歳の時に人魚の肉を食べ不老長寿の身となり、後に尼僧になったという八百比丘尼(やおびくに)が、この地に立ち寄った際に千手観音を安置したのが始まりと言われている。
 毎年五月三日の大祭には、お堂の中で火を焚き、炎の中に御本尊を勧請し、その中に様々な供物を投じて秘密の真言を唱え、諸願の成就を祈る真言宗修験道の柴燈護摩(さいとうごま)が焚かれる。
 その後に山伏の行列を行い、真っ赤になった火の中を刀を持った山伏たちが真言を唱えながら次々と歩いて渡るという、火渡り(ひわたり)の荒行が行われる。
 塩船観音の柴燈護摩と火渡りは、勇壮で荘厳な神事である。
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2007/12/20


埼玉 三峯神社 Saitama Mitsumine-jinja 

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 埼玉の三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある古社である。祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)である。
 由緒は、景行天皇(71~130)の御世、息子の日本武尊が東征のために碓氷峠に向かう途中、三峰山に登り、その山川の美しさに心を打たれて創建したのが始まりである。その後、この地を訪れた景行天皇が社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山から「三峯宮」の社号を授けた。
 後に飛鳥時代には伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、平安時代には空海が観音像を安置したとも言われ、中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。
 享保五(1720)年に入山した僧・日光法印が、日本武尊の道案内をした狼の大口真神(おおぐちまがみ)の護符を配布し「御眷属信仰(ごけんぞくしんこう)」が広まっていく。狼は火災や盗賊に対していち早く騒ぎ立てる事から、狼を神の眷属として信仰し、火難・盗賊除けを願うもので、数多くの講が組織された。
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2007/12/10


秩父 三峯神社 Chichibu Mitsumine-jinjya 

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 三峯という名は、神社の東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法が岳の三つの峰が美しく連なることから呼ばれている。神社の由緒は古く、景行天皇が皇子の日本武尊を東国に遣わした時にさかのぼる。日本武尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向う途中で、雲取山、白岩山に登り、眼下に広がる山川が清く美しい様子を見て、その昔に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が国を生み出したことをしのび、お宮を造営して二神を祀ったのがはじまりとされる。
 現在三峯神社周辺には、日帰り温泉施設「三峯神の湯」、茶亭「小教院」があり、かつて修験の山として栄え、明治の神仏分離まで観音院と呼ばれていた時代の資料等を展示している「秩父宮記念三峰山博物館」などがある。
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2007/11/1


智満寺 Chimanji Chimanji Temple

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 智満寺は、静岡県榛原郡川根本町にある曹洞宗の寺である。本尊は、八相釈迦牟尼如来、宝冠釈迦牟尼如来、千手観世音菩薩、厄除延命地蔵菩薩とされる。
 寺伝によると、創建は奈良時代で、鑑真の法孫にあたる広智という高僧が草庵を結んだのが始まりとされている。
 一説には、島田市の智満寺の末寺として奥大井に天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。
 延徳3(1491)年、駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え、曹洞宗に改宗開山された。
 平安時代中期以降は、修験道の霊場である山岳寺院として栄え、戦国以後は今川・徳川氏に厚く信仰された。
 智満寺境内の十本杉は樹齢800〜1200年の古樹であり、国指定天然記念物となっている。
 智満寺は、澄んだ空気と絶景の地に建つ古刹である。
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2007/10/12


薬王院有喜寺 Yakuou-in-yuuki-ji Yakuoin Yukiji Temple

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 薬王院有喜寺(やくおういんゆうきじ)は、東京都八王子市高尾町にある真言宗智山派大本山の寺院。本尊は、薬師如来、飯縄権現(いづなごんげん)。関東九十一薬師五番、関東三十六不動八番、多摩八十八ヶ所六八番札所である。
 天平一六(744)年、聖武天皇の勅願により行基が開いたと伝えられ、その際に本尊として薬師如来が安置された事から、薬王院と称し、真言宗智山派の関東三大本山のひとつとされている。
 後に京都の醍醐山の僧・俊源が飯縄大権現を本尊として山岳宗教の基礎を築いてからは、多くの修験者達の修行場となり、現在も高尾山修験道の本拠地となっている。
 江戸時代には高尾講と呼ばれる山岳信仰の組織が結成され、今日も信徒による参拝行事が盛んに行われている。
 薬王院有喜寺は、二五〇〇点余りの古文書も所持する名刹である。
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2007/9/26


役小角 En-no-ozunu En no Ozunu

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 役小角(えんのおづぬ)は、修験道の開祖。山岳信仰による呪力の獲得、自然との一体化による即身成仏を説いた。日本的霊性の源流として、只ならぬ影響力を持つ人物である。
 舒明天皇六(634)年、大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市)、葛木山のふもとで誕生。独学で仏像を作り、梵字を書き始める特異な少年だった小角は、一七歳で家を捨て、葛木山での本格的な霊的修行に入る。
 仙人と遊び、仏や神を叱り飛ばし、鬼を従者として使う強者となっていった。神通力が朝廷に知られ、恐れられ、天皇の命令で伊豆大島へ流刑されたりした。
 晩年は、諸国を巡り、数々の霊山高峰を訪れた。現在、日本で霊山とされるほとんどの山が役小角の開山という伝説がある。六八歳の時、天井ヶ岳にて、多くの弟子達に見守られるなか、微笑み続けながら息を引き取った。
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2007/9/18


八瀬尾の滝 Yaseo-no-taki 

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 八瀬尾の滝(やせおのたき)とは、鹿児島県川辺郡川辺町野崎八瀬尾にある瀑布群の総称である。町指定の名勝とされる。
 鹿児島市から川辺峠を越え、八瀬尾大権現の隣にあるのが八瀬尾の滝である。
 道路からは二の滝まで見ることができ、さらに滝の横の細い道を登れば八の滝まで行くことができる。三から六の滝の間には10もの小さな滝がある。
 そのうち、大きなものは、落差25mの一の滝、落差7mの二の滝、落差30mの三の滝と八の滝の4つである。
 この滝は修験道の修行場だったと言われ、周辺からは製鉄の時に出す鉄滓が見つかっており、かつては豊富な水を利用して製鉄が行われていたと思われる。
 八瀬尾の滝は、江戸時代の頃から「山中の瀑」として知られた、自然の織りなす名勝である。
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