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2008/2/18


甚目寺 三重塔 Jimoku-ji Sanjuu-no-tou 

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 甚目寺(じもくじ)は町名にもなっている真言宗の古刹で、伝説によると推古五(597)年の建立といわれる。出土した瓦から、7世紀後半にはすでにこの地に伽藍が存在していたことが確認されており、三重塔や南大門、東門など多くの国の重要文化財が残る。
 江戸時代初期の寛永四(1627)年、名古屋の両替商吉田半十郎政次の寄進により建立された塔は約25m。三重塔としては日本有数の高さを誇る。本瓦葺の純和風の大型の塔で、釘は一本も使われていない。
 塔の内部には四天柱(してんばしら)や須弥壇(しゅみだん)があり、鎌倉時代の作で県の文化財に指定されている愛染明王坐像(あいぜんみょうおう)が祀られている。柄杓を奉納する風習がある。
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滋賀 願成寺 Shiga Ganjou-ji Ganjoji Temple

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 滋賀の願成寺(がんじょうじ)は、滋賀県蒲生郡蒲生町川合にある曹洞宗の寺である。本尊は聖観世音菩薩像。蒲生観音霊場第26番、釈迦三十二禅刹第9番、近江湖東名刹二十七ヶ所霊場第24番札所とされる。
 聖徳太子の発願によって仏法興隆、諸国安泰のため全国46ケ所に建立された願成就寺の1つであり、本尊は33年に1度の開扉とされる秘仏で、聖徳太子の母の面彰を写し刻まれたと言われている。
 もとは天台宗であったが、寛永二(1625)年、三栄本秀禅師によって中興され、曹洞宗に改宗した。
 昔この寺にいた美しい尼僧を慕い、姿を変えて毎日通った人魚のミイラと伝えられているものが観音堂に保存されている。また、本堂には中世の石造遺品が数多く残っている。
 滋賀の願成寺は、古式ゆかしい聖徳太子ゆかりの寺院である。
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2008/1/22


鳴子漆器 Natuko-shikki Naruko Lacquer Ware

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 鳴子漆器(なるこしっき)は、宮城県大崎市鳴子温泉に伝わる工芸品である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 寛永年間(1624~1643)、当時の岩出山藩三代城主・伊達弾正敏親が塗師・村田卯兵衛、蒔絵師・菊田三蔵を京都に派遣し修行させ、鳴子漆器の振興を図った事から発達し、その子孫が伝承して今日に至る。
 挽物木地の塗立て技術には、塗りは木目を生かした木地呂塗(きじろぬり)やふき漆仕上げ、また独特の墨流しの技法である竜文塗(りゅうもんぬり)があり、伝統的な塗立て技術による製品には、しっとりとした美しさがある。
 また、木地に厚みがあり、いく重もの重ね塗りにより、長期の使用に耐えられるのも特徴とされる。
 鳴子漆器は、日常生活に根ざした味わい深い伝統工芸品である。
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新潟漆器 Niigata-shikki Niigata Lacquer Ware

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 新潟漆器(にいがたしっき)は、新潟県新潟市、加茂市に伝わる工芸品である。国の伝統的工芸品に指定されている。
 かつて北前船の寄港地であった新潟市は、海から陸から様々な地方の文化が入ってきた。
 新潟で漆器づくりが始まったのは、江戸時代初めの元和年間(1615~1624)と言われており、寛永一五(1638)年には現在の古町七番町付近に椀店(わんだな)と呼ばれる塗り物の専売地域が定められ、盛んになったと伝えられる。
 明治以降、吉田久平が竹を模造した竹塗の手法を導入し、目黒平吉が金磨塗を考案、また磯草塗、花塗、錦塗、堅牢で知られる石目塗などの産地としても知られる。
 新潟漆器は、特に竹塗が優美さと堅牢さをあわせ持つ新潟独自の塗として全国的に有名な、伝統工芸品である。
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2008/1/15


一之宮 貫前神社 Ichinomiya Nukisaki-jinja 

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 上野國一之宮。延喜式神名帳では名神大社に列する。
 一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)の開基については諸説あるが、安閑天皇の元(531)年頃と言われ、一般に多胡碑(たごひ)などで知られる甘良(甘楽)の谷の帰化人集団が祀ったのが始まりと見られている。
 赤城神社から一之宮の称号を譲られたと言われ、渡来系氏族による古代上毛野國征服を表すとも伝えられる。
 もとは貫前神と抜鉾神(ぬきほこのかみ)の二社二神であったが、両社が一社と混同されるようになったので明治に入り貫前神社と名乗り、戦後の社格廃止に伴い一宮貫前神社と改称したと言われる。
 参道を上り正面の鳥居をくぐって急な石段を下ったところに社殿が有る、という特異な構えが特徴で、勅額鳥居の東隣等に神宮寺跡の石垣が残る。社域は約九万平米。総門から見下ろす朱塗りの社殿と社叢の調和には息を飲む。
 寛永一二(1635)年に徳川幕府によって造営された、本殿、拝殿、楼門は重要文化財に指定されている。
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2008/1/8


寛永寺 五重塔 Kanei-ji Gojuu-no-tou 

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 東京都台東区の上野公園に寛永寺の五重塔がある。
 寛永一六(1639)年の建立。上野東照宮の建物の一部であったが、明治の神仏分離によって寛永寺の所属となった。
 寛永寺の創立者は徳川家光、初代住職は天海、本尊は薬師如来である。日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として近世には強大な権勢を誇った。
 境内は現在の上野公園のほぼ全域を占め、墓地には徳川将軍家の祈祷所・菩提寺であり、徳川歴代将軍一五人のうち六人が眠る。
 しかし慶応四(1868)年の上野戦争で主要な伽藍は焼失されてしまう。
 五重塔は、旧本坊表門や清水観音堂などのいくつかの建物とともに焼失せずに残った。
 構造は三間五重塔、五重銅瓦葺からなり、全層が和風造りである。高さは地上から一番上の宝珠まで、36・36メートル。一層の中央、心柱をかこんで、東西南北に薬師、阿弥陀、弥勒、釈迦の四方四仏を安置している。
 明治四四(1911)年、国指定重要文化財となった。
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2007/12/25


時の鐘 Toki-no-kane 

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 かつて鐘撞き守が時を知らせていた「時の鐘(ときのかね)」。現在では規則的に、午前六時・正午・午後三時・午後六時の一日四回、蔵造りの美しい街並みに、暮らしに欠かせない時を告げる鐘の音が響く。
 時の鐘は、寛永年間(1624~1644)川越城主であった酒井忠勝が、現在の幸町に建てたものが最初といわれている。度重なる火災によって焼失し、その度に建替えられてきたという。現在の鐘楼は、明治二六(1893)年の川越大火の翌年に、街の人々によっていち早く再建されたものだと伝えられている。
 木造の櫓(やぐら)の高さは約一六mあり、歴史的な街並や寺院などが多く残る「小江戸」川越のシンボル的存在になっている。
 平成八年六月、環境省主催の「日本の音風景百選」に選ばれた。
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銭形砂絵 Zenigata-sunae 

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 江戸時代に広く流通した通貨「寛永通宝(かんえいつうほう)」。その寛永通宝を模した巨大な砂絵が、銭形砂絵(ぜにがたすなえ)と呼ばれるものである。
 その大きさは縦一二二m、横九〇mで、周囲の長さが三四五mという観る者を圧倒する大きさである。そして、有明浜の白砂に描かれたその美しさも大きさには劣らないという。
 寛永一〇(1633)年に、村人達が藩主を歓迎するために一夜で造り上げたという伝説が残るが、詳細は定かではなく、起原は謎に包まれている。
 年に数回市民によって補修され、化粧直しが施される。付近の琴弾山(ことひきやま)山頂の展望台から砂絵を見下ろすことができ、夜にはライトアップされた松林の中に、その姿はくっきりと鮮やかに浮かび上がるという。
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