NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/7


知立神社 Chiryuu-jinja 

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 知立(ちりゅう)神社は愛知県知立市にあり、かつては池鯉鮒(ちりふ)大明神と呼ばれた。江戸時代に東海道三社の一つに加えられた名社で、東海道名所図会には当時の神社の様子が詳細に記されている。
 社伝によると、第一二代景行(けいこう)天皇の時代、日本武尊が東国平定にあたり当地で皇祖の神々に祈願を行い、無事に務めを果たした帰りに、その感謝のため皇祖神を祀ったのが始まりとされる。戦国時代に焼失したため、天正元(1573)年に現在地に移されたという。古来より「蝮(まむし)除け、長虫除け」の信仰があり、御札を身に付ければ、蝮蛇に咬まれないという言い伝えがある。
 境内には、室町時代に建てられた国指定重要文化財の多宝塔をはじめ、舞楽面や能面、徳川家康の寄進状など貴重な文化財が多く残る。毎年五月に行われる知立まつりでは、山車からくりなどを上演する本祭と、花車が繰り出される間祭が一年置きに交互に行われている。
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2008/2/18


宇和津彦神社 秋祭り Uwatsuhiko-jinja Aki-matsuri 

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 宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)は、延暦一一(792)年創建の古社で、一宮神社とも呼ばれ、藩政時代には藩の総氏神として伊達家の崇敬が厚かった。
 ご祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)と景行天皇の子である宇和津彦命(うわつひこのみこと)である。
 この神社で一〇月二九日に行われる秋祭りは、伊達氏とともに東北から伝えられたという八ツ鹿踊りが奉納される。この踊りは市の無形民俗文化財に指定されている。
 鹿の頭をつけ、紅染の布を上半身に纏った雄鹿七頭・雌鹿一頭を八人の少年たちが演じる。胸につけた太鼓を叩き、歌いながら舞う八ツ鹿踊り奉納後、いよいよ神輿の先駆けに牛鬼が登場する。
 牛鬼とは、深紅の布で全身を覆った体に鬼面を付け、胴の長さが6mもある怪物の事で、悪霊払いをしながら町を練り歩く。気に入らない家ではわざと暴れたり、牛鬼同士で争ったりする。悪霊払いの意味をもつ牛鬼は、宇和島を中心とする南予地方独特のものである。
 
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2008/1/24


黒貫寺 Kuronuki-dera 

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 黒貫寺(くろぬきでら)は宮崎県西都市にある寺である、正式名称は真言宗智山派黒貫寺。
 天慶九(946)年に真言宗の名僧である隆元によって建立された。また遡って、クマソ征伐の折にはヤマトタケルと景行天皇が訪れ、滞在した場所といわれる。
 南北朝時代に伊豆から現地に赴いた伊東氏 が都於郡(とのこおり)を治めていた時代には日向第一の寺院として栄え、その後も島津家の加護を受け江戸時代まで隆盛を誇っていた。
 境内の観音堂には大日如来坐像、聖観音坐像、薬師如来立像の三体が祀られている。明治七(1874)年に火災によって山門を残しすべて焼失し、現在残る観音堂は末寺である久峰(ひさみね)寺の観音堂を移築したものである。また、佐土原町西上那珂の平等寺にあった木造の仁王像がある。
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2007/12/10


秩父 三峯神社 Chichibu Mitsumine-jinjya 

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 三峯という名は、神社の東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法が岳の三つの峰が美しく連なることから呼ばれている。神社の由緒は古く、景行天皇が皇子の日本武尊を東国に遣わした時にさかのぼる。日本武尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向う途中で、雲取山、白岩山に登り、眼下に広がる山川が清く美しい様子を見て、その昔に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が国を生み出したことをしのび、お宮を造営して二神を祀ったのがはじまりとされる。
 現在三峯神社周辺には、日帰り温泉施設「三峯神の湯」、茶亭「小教院」があり、かつて修験の山として栄え、明治の神仏分離まで観音院と呼ばれていた時代の資料等を展示している「秩父宮記念三峰山博物館」などがある。
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2007/10/1


猿投神社 Sanage-jinja Sanage Shrine

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 猿投神社(さなげじんじゃ)は、愛知県豊田市猿投町大城にある神社である。祭神は大碓命(おおうすのみこと)。三河国の三宮とされる。
 創祀年代は仲哀天皇元(192)年とも伝わるが、実際にはよく分かっていない。記録に残るはじめでは、仁寿元(851)年、従五位下に叙されたとある。
 標高629mの猿投山麓に鎮座し、猿投神社を本社として猿投山東峯に東宮、西峯に西宮があり、古来、猿投三社大明神と称された。
 祀られている大碓命は日本武尊の双子の兄であり、日本書紀では景行天皇による東征の命を拒み、古事記では悪行の後に日本武尊に殺されたと伝えられる。
 社記によると、大碓命は猿投山中にて蛇毒の為に死亡し、山上に葬られたという。
 左鎌を奉っており、毎年一〇月に「棒の手」が披露、奉納される。
 猿投神社は、日本書紀・古事記にも関連する古社である。
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知立 山車からくり Chiryu Dashi-karakuri Chiryu Float Karakuri

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 知立・山車からくり(ちりゅう・だしからくり)は、愛知県知立市の知立神社にて隔年で5月2日~3日に行われている祭りである。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 知立神社は景行天皇四二(112)年に創建された三河の二の宮であり、まむし除け・雨乞い・安産の神として信仰を集めている。祭神は、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)他3柱。
 知立では、江戸時代からからくり人形を町内の人が工夫して作り、受け継いできた。人形の機構も精巧ではなく、ありあわせの雑木と布で作られてきた。
 知立の山車からくりは、山車の上で浄瑠璃にあわせて、からくりだけで物語を上演する大変珍しいもので、山車からくりとしては、もっとも発達した形とも言われる。
 知立・山車からくりは、市民の誇りといえる伝統文化である。
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2007/8/27


桐生天満宮 Kiryu-tenman-guu Kiryu Tenmangu Shrine

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 桐生天満宮(きりゅうてんまんぐう)は、群馬県桐生市天神町にある神社である。祭神は、天穂日命、菅原道真。
 景行天皇の時代(71~130年)に、天穂日命を祀る神社として創建されたと伝えられ、当初は礒部明神といった。
 観応年間(1350年頃)に、桐生綱元が現在の所在地に移し、京都より北野天満宮の分霊を合祀して桐生天満宮と改称した。
 江戸時代には徳川家の祈願所となり、境内には織物市が開設され、繁栄した。寛政五(1793)年、社殿が落成する。
 岩の上の天神と称されるように、本殿・幣殿は岩の上に建ち、社殿全てが当時の建築装飾技術の粋を集めた建造物として、県指定の重要文化財となっている。
 桐生天満宮は、古い歴史を持つ社として、今も崇敬されている。
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2007/8/15


秋田 真山神社 Akita Shinzan-jinja 

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 真山神社(しんざんじんじゃ)は秋田県男鹿市北浦真山に位置する神社である。
 景行天皇の御世に武内宿禰が、使命達成、国土安泰を祈願したのが始まりとされる。祭神は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)。
 平安時代には神仏習合の地として修験道の修行が盛んであった。江戸時代に入り、秋田藩主佐竹氏の祈願所として信仰され、大いに栄えた。
 境内には薬師堂、神楽殿などが並び、慈覚大師が植えたとされる県天然記念物にも指定されている、樹齢1000年以上の榧(かや)の大木が立つ。
 正月には神事である柴灯祭が行われ、柴灯を焚いて大餅を焼き、神に捧げ、五穀豊穣、海上安全を祈願する。
 二月の第二金・土・日曜日にはこの祭礼となまはげを合わせた行事「なまはげ柴灯まつり」が行われ、多くの観光客が訪れている。
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