NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/25


宮本武蔵 Miyamoto Musashi Miyamoto Musashi

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 宮本武蔵(みやもとむさし)は、江戸時代初期に活躍した剣豪である。近代においては、処世訓や座右の銘を残した偉大な思想家としての認識も強い。
 天正一二(1584)年に誕生。13歳で最初の決闘に勝利し、諸国を巡り剣の腕を磨き、その後60回以上の決闘で負け知らずだった。剣客・佐々木小次郎との「巌流島の決闘」が有名。
 代名詞である「二刀流(二刀使い)」を始め、実用主義に貫かれた兵法が宮本武蔵の特徴だった。「なんのための剣か?」を肉体の側から思考し続けた。
 武蔵の手先の器用さ、感性の鋭さは、絵画・書画・彫刻・工芸の世界にまで及んだ。また町割り(都市計画)や造園などの事業でも優れた才能を発揮した。
 死の直前に、独自の兵法を理論化した『五輪書』を著した。戦術論を超えて、精神の扱い方を示唆する、武士道の先鞭をつける内容である。
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2007/3/16


讃甘神社 Sanomo-jinjya Sanomo Shrine

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 無敗の剣豪として知られる宮本武蔵。讃甘(さのも)神社は、その武蔵ゆかりの神社として有名だ。岡山県美作市の武蔵生家跡の隣に所在する。
 少年時代を宮本村(現美作市)で過ごした武蔵。厳格な父に反発したことから親子の縁を切られ、母の元(播磨の国)に身を寄せるが、連れ戻される。自らの葛藤をバネに、村人からは「悪蔵」と呼ばれるほどに暴れまわる。そんな武蔵も親友の本位田又八や、又八の婚約者、お通とだけは仲が良く、3人で讃甘神社や故郷の野山を駆け巡りながら成長したという。
 後に「二刀流」と呼ばれる剣法は、ここ讃甘神社の宮司が太鼓を打つバチさばきをヒントに編み出されたと言われている。太鼓を叩くバチは2本なのに、聞こえてくる音はひとつ。それを聞いた剣豪の心象はどのようなものだったろうか。
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