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挙母城址(ころもじょうし)は、愛知県豊田市小坂本町にある史跡である。昭和三四(1959)年、豊田市に改名されるまで、この地は挙母市という名であった。
矢作川の氾濫を避けるために七つの州が見える台地に作られたので、七州城とも言われた。
寛延二(1749)年、内藤政苗が2万石で上野安中から入封した時に、新しく挙母藩がひらかれ、政苗は幕府から築城費を与えられて、天明二(1782)年、童子山に挙母城が築城された。
江戸中期に作られた新しい城であるが、櫓2基と要所に櫓門を設けた小規模な造りとなっている。
内藤氏は政苗以後、挙母を動くことなく、11代文成の時に明治を迎え、挙母城は廃城となった。
現在、城跡は城址公園として整備されており、豊田市美術館を中心とした文化施設の一角に、昭和になって復興された隅櫓(すみやぐら)が建てられている。
挙母城址は、江戸時代の挙母藩を偲ばれる静かな史跡である。
矢作川の氾濫を避けるために七つの州が見える台地に作られたので、七州城とも言われた。
寛延二(1749)年、内藤政苗が2万石で上野安中から入封した時に、新しく挙母藩がひらかれ、政苗は幕府から築城費を与えられて、天明二(1782)年、童子山に挙母城が築城された。
江戸中期に作られた新しい城であるが、櫓2基と要所に櫓門を設けた小規模な造りとなっている。
内藤氏は政苗以後、挙母を動くことなく、11代文成の時に明治を迎え、挙母城は廃城となった。
現在、城跡は城址公園として整備されており、豊田市美術館を中心とした文化施設の一角に、昭和になって復興された隅櫓(すみやぐら)が建てられている。
挙母城址は、江戸時代の挙母藩を偲ばれる静かな史跡である。
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