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2007/6/18


岩野市兵衛(人間国宝) Iwano Ichibee Ichibee Iwano (Living National Treasure)

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 昭和八(1933)年、福井県今立町生まれ。越前奉書製造で有名な人間国宝、八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。九代目の自身も平成十二(2000)年に人間国宝に認定され、親子二代での人間国宝受賞となった。
 先代の市兵衛氏の漉く奉書は、広く内外の版画家から支持されピカソも愛用していたという。
 職人気質は父譲り、毎日ひたすら紙漉きを続けて六十余年、ただただいい紙を、という一念で仕事をしてきた。氏の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができないくらい丈夫。画家の精密な筆先でも絵の具が滲むことはない。
 葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたこともある。復刻版画はバレンを何百回もかける。それに耐える紙を漉くのは難しいが、「挑戦するときは職人の血が騒ぎますね」と氏は穏やかに笑う。根っからの職人魂は、父をも超えた。
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2007/1/30


越前奉書 Echizen-housho Echizen-housho

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 「奉書」とは、将軍や上皇の意志(上意)を下のものに下達するための文書のこと。この「奉書」のために江戸時代には各藩で紙が漉かれたが、とくに越前の奉書は日本一と評判だったという。
 良質の手漉きの和紙は、媒体として千年以上の時をくぐりぬけられる。このことは今に伝わる文書が実証しているとおり。
 鎌倉時代からその質でお墨付きを得ていた越前の和紙は、戦国時代から信長、秀吉、家康と時の権力者の保護を受け、ますます技術が発展、すぐれた製品がたくさん生まれた。
 腰が強くて丈夫、破れにくいことから、明治時代以降は日本画や浮世絵の復刻版画にも使われている。
 越前奉書の第一人者、岩野市兵衛氏(人間国宝)の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができない。その高い品質の秘密は、越前の水と空気、なにより手間を惜しまない古来の手作業、それに尽きるという。
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2007/1/26


志苔館 Shinori-date Shinori Date Manor House

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 室町時代初期、本州から渡来した和人豪族が築いた館の跡。
 松前藩の史書「新羅之記録」中に、康正二(1456)年からの「コシャマインの蜂起」、永正九(1512)年の「アイヌの蜂起」により館が陥落したという記述があるが、志苔館の創建はこれらの記録より古い14世紀後半から末頃と考えられている。
 また館内から中国製の陶磁器や越前の珠洲焼などが出土している。
 この館跡は、四方に土塁が巡らされ、沢地形を利用した空壕が掘られ、郭内の広さは、東西70〜80m、南北50〜65m、約4・10平方m。国指定史跡。
 函館市街地と津軽海峡の風景も美しい。
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2006/12/12


越前竹人形 Echizen-take-ningyou Echizen Take-ningyo dolls

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 越前竹人形は、越前の特産である真竹、孟宋竹などを使って造る人形のことだ。竹の持つ直線と曲線の美しさをそのまま取り入れ、優雅な趣を醸している。
 もともとは、昭和27年頃、竹製花額を造っていた師田保隆とその弟が「竹の切れ端を利用して人形が作れないか」と試作研究し、永平寺雲水人形、勧進帳、おけさ人形などを作ったのが始まり。それが全国的な賞を多数受賞したことで越前竹人形は福井県の新しい民芸品として定着したのだった。
 その越前竹人形を芸術作品として完成させたのが、師田保隆の息子、黎明。平成13年に日本文化振興会賞を受賞するなどの実績を持つ。その作風は愛らしく、どこかはかなげでノスタルジックだ。
 氏の作品は、福井県坂井郡の「越前竹人形の里」で観覧できる。
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2006/12/11


越前漆器 Echizen-shikki Echizen lacquer ware

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 漆器の5大産地(山中・会津・越前・紀州・輪島)のひとつに数えられる越前の漆器。別名河和田塗りとも言われ、福井県鯖江市河和田町・片山町周辺に多数の漆器工房や職人が集まっている。
 歴史は古く、約1500年前、6世紀にまで遡る。当時の天皇に冠の塗替えを命じられた漆塗りの職人が、冠を漆で修復するとともに黒塗りの食器を献上したところ、その艶の美しさにいたく感銘され、製作を奨励されたのが始まりとされている。
 丈夫で使いやすい越前漆器。丈夫さだけでなく、優雅な真塗りの美しさは他に比類がない。現代でも生活に根付いた使われ方をされる所以だろう。
艶めく色、そして得も言われぬ光沢は、うわべの華やかさを突き抜けた奥深い美しさをたたえている。
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越前和紙 Echizen-washi Echizen paper

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 和紙の中でも、その落ち着きのある光沢と崇高な繊細さで特に愛されている越前和紙。福井県の山裾の静かな町、今立で作られている。
 歴史は古く、今から1500年程前、この村の岡太川に美しい姫が現れて紙漉きの技を教えたという伝説が残っている。奈良時代には写経用紙として重用された。その後武士が大量に紙を使いだす時代には紙漉きの技術、生産量も向上し「越前奉書」など高品質の紙が作られるようになり、紙の産地として幕府などの保護を受けて発展を遂げた。
 綺麗な水で漉いたにごりのない和紙のたたずまいは多くの芸術家たちに支持され、横山大観も越前和紙を愛用していたという。また、現代では襖(ふすま)紙、免状、色紙、封筒、便箋など生活の身近な場面でも多く使われている。
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越前打刃物 Echizen-uchi-hamono Echizen forged blades

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 福井県越前市の伝統工芸に越前打刃物がある。700年の伝統の中職人が腕を磨き、独自の切れ味を生み出している。
 越前打刃物の歴史は南北朝時代に遡る。伝統はひとりの刀匠から始まった。1337年、京都の刀匠千代鶴国安が刀剣製作に適した地を求め、府中(現武生市)に来訪し、そのかたわら近郷の農民のために鎌を作ったのに端を発する。それ以来、武生は農業用刃物の一大産地となり、それらは北陸独自の行商というかたちで全国に広まった。
 現在は、日本古来の火づくり鍛造技術・手仕上げを守りながら、包丁、鎌、刈り込み鋏などを主製品として製造している。
 熟練した技と芸術的要素を兼ね備えた日常生活品として認められ、1979年、国の伝統工芸品の指定を受けた。
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越前焼 Echizen-yaki Echizen ware

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 自然な風合いと健康な素朴さで知られる越前焼。福井県越前市の名産品である。
 その素朴な風合いは、釉薬を用いずに高温で焼成されるときに薪の灰が器に流れ出し、溶け込む自然釉により生まれる。
 歴史は非常に古く、今から約850年前の平安時代末期に越前町小曽原(旧宮崎村)の丘陵に最初の窯が築かれたのが始まりだという。長く無名であったが、第二次世界大戦後、小山富士夫などにより日本六古窯のひとつとして「越前焼」と名づけられて全国的に有名になった。以来、派手さはないが生活に根ざした雑器にこだわりながら、古くからの焼き締めの伝統を守っている。
 長い歴史の中、陶工たちの努力が実り、1985年、国より伝統的工芸品の指定を受けた。
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