NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/7


知立神社 Chiryuu-jinja 

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 知立(ちりゅう)神社は愛知県知立市にあり、かつては池鯉鮒(ちりふ)大明神と呼ばれた。江戸時代に東海道三社の一つに加えられた名社で、東海道名所図会には当時の神社の様子が詳細に記されている。
 社伝によると、第一二代景行(けいこう)天皇の時代、日本武尊が東国平定にあたり当地で皇祖の神々に祈願を行い、無事に務めを果たした帰りに、その感謝のため皇祖神を祀ったのが始まりとされる。戦国時代に焼失したため、天正元(1573)年に現在地に移されたという。古来より「蝮(まむし)除け、長虫除け」の信仰があり、御札を身に付ければ、蝮蛇に咬まれないという言い伝えがある。
 境内には、室町時代に建てられた国指定重要文化財の多宝塔をはじめ、舞楽面や能面、徳川家康の寄進状など貴重な文化財が多く残る。毎年五月に行われる知立まつりでは、山車からくりなどを上演する本祭と、花車が繰り出される間祭が一年置きに交互に行われている。
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2008/8/1


東京 御岳山 Tokyo Mitake-san 

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 古くから山岳信仰の霊山として親しまれてきたのが、御岳山(みたけさん)である。標高は929メートルあり、東京、山梨、埼玉、長野の1都3県にまたがりそびえている。御岳山は、秩父多摩甲斐国立公園に属しており、その東端に位置している。
 御岳山山頂にあるのが武蔵御嶽神社で、関東一円に講が組織されている。御祭神は、櫛真知命(くしまちのみこと)大巳貴命(おおなむちのみこと)少彦名命(すくなひこなのみこと)である。その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が御東征のおりに、この山に陣を張り山頂に武具を納めたと言われ、これにより「武蔵」の国の名がついたと言われている。
 山頂からは日光連山や筑波山、空気の澄んだ日には房総半島、江ノ島なども眺められる。
 御岳山へはケーブルカーやリフトで山頂付近まで行くことができ、多くの人々が気軽に登山を楽しむ姿がみられる。周辺は御岳ロックガーデンと呼ばれる岩石園をはじめ、東京とは感じさせないほどの大自然が残り、年間を通じ多くの観光客で賑わいをみせる。
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2008/6/30


四阿山 Azumaya-san 

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 長野県と群馬県にまたがる四阿山(あずまやさん)は円錐状火山で、南峰2354メートル、北峰2333メートルの双耳峰となっている。
 この山は日本百名山のひとつに数えられ、レンゲツツジをはじめ、豊富な高山植物が生息している。
 四阿山という名前の由来は、日本武尊が御東征の帰り道に鳥居峠に立ち、弟橘姫(おとたちばなひめ)を偲んで「吾妻はや」と嘆いたことから、群馬県側では「吾妻山」といわれるようになったという。
 一方、長野県側では、山の形が「あずまや」という、四方の柱だけで、壁がない小屋の屋根に似ていることから「四阿山」と呼ばれるようになったといわれている。
 山頂からは浅間山をはじめ、田代池、北アルプスなどの山々など、360度の素晴らしい景色をみることができる。
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2008/5/23


五條天神社 Gojou-ten-jinja 

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 五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)は、東京都台東区上野公園にある神社である。祭神は大己貴命(おおなむじのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)。
 景行天皇の御代(71~130)、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東夷征伐の際、現在の上野の山一帯である上野忍が岡を通った時、大己貴命、少彦名命の加護を感謝して、この地に両神を祀ったのが創祠という。
 社地は以来、今の摺鉢山である天神山、アメヤ横丁入口にあたる瀬川屋敷他、幾度か変遷を重ね、昭和三(1928)年、創祀の地に最も近い花園稲荷神社隣りに遷座した。
 祭神2柱は兄弟の緑を結び、特に疫病や耕病に苦しむ人々に製薬と治療の方法を授けた事から、医薬の祖神として信仰されている。
 五條天神社は、室町時代中期には上野山に鎮座している事が明らかになっている古社である。
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2008/2/19


奥石神社 Oiso-jinja Oiso Shrine

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 奥石神社(おいそじんじゃ)の創建年は不明であり、もともと繖山(きぬがさやま)山頂の磐座(いわくら)を遠拝する祭祀場として営まれたものとされている。
 祭神は、藤原氏の祖である天津児屋根命(あまつこやねのみこと)である。
 日本神話によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が受けた海神の怒りを解くため、后である弟橘媛(おとたちばなひめのみこと)が海に身を投じた。
 このとき懐妊していた妃は、「自分は老蘇(おいそ)の森に留まって女人安産を守る」と言い残した。このことからこの神社は安産の神といわれて、広く信仰されている。
 老樹の茂る参道を進んでいくと、神域である老蘇の森が神社を護るように広がっている。
 本殿は三間社流造で重要文化財である。棟札より天正九(1581)年の建立とされている。
 境内の一隅には「夜半ならば老蘇の森の郭公今もなかまし忍び音のころ」という本居宣長(もとおりのりなが)の歌碑も立っている。
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2007/12/20


埼玉 三峯神社 Saitama Mitsumine-jinja 

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 埼玉の三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある古社である。祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)である。
 由緒は、景行天皇(71~130)の御世、息子の日本武尊が東征のために碓氷峠に向かう途中、三峰山に登り、その山川の美しさに心を打たれて創建したのが始まりである。その後、この地を訪れた景行天皇が社地を囲む白岩・妙法・雲採の三山から「三峯宮」の社号を授けた。
 後に飛鳥時代には伊豆国に流罪になった役小角が三峰山で修業をし、平安時代には空海が観音像を安置したとも言われ、中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けた。
 享保五(1720)年に入山した僧・日光法印が、日本武尊の道案内をした狼の大口真神(おおぐちまがみ)の護符を配布し「御眷属信仰(ごけんぞくしんこう)」が広まっていく。狼は火災や盗賊に対していち早く騒ぎ立てる事から、狼を神の眷属として信仰し、火難・盗賊除けを願うもので、数多くの講が組織された。
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2007/12/11


奥氷川神社 Oku-hikawa-jinja 

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 奥氷川神社(おくひかわじんじゃ)は、東京都の奥多摩町にある大変歴史ある古社だ。
 その創建は今からおよそ千九百年前の景行天皇の御代とされ、日本武尊が東国平定のおり、創建されたといわれる。
 関東一円には氷川神社がおよそ二百二十社あり、その中でも最も奥に位置することから奥氷川神社の名を持つ。
 また、本社であるさいたま市の氷川神社、所沢市の中氷川神社と並び、「武蔵三氷川神社」と呼ばれており、この三社はほぼ同一線上に、一定の距離を置いて鎮座している。
 境内には、根元付近から三本に別れながら、50mにも達する高さの巨大な杉の木があり、「氷川の三本杉」の名で、古来よりご神木として保護されている。その樹齢も七百年といわれ、東京都の指定文化財ともなっている。
 毎年八月の例祭では獅子舞が奉納され、関東随一の歴史と信仰、祭の美を求めて、今も多くの参拝者が途絶えることなく訪れている。
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2007/12/10


秩父 三峯神社 Chichibu Mitsumine-jinjya 

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 三峯という名は、神社の東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法が岳の三つの峰が美しく連なることから呼ばれている。神社の由緒は古く、景行天皇が皇子の日本武尊を東国に遣わした時にさかのぼる。日本武尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向う途中で、雲取山、白岩山に登り、眼下に広がる山川が清く美しい様子を見て、その昔に伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が国を生み出したことをしのび、お宮を造営して二神を祀ったのがはじまりとされる。
 現在三峯神社周辺には、日帰り温泉施設「三峯神の湯」、茶亭「小教院」があり、かつて修験の山として栄え、明治の神仏分離まで観音院と呼ばれていた時代の資料等を展示している「秩父宮記念三峰山博物館」などがある。
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