NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


能代凧(べらぼう凧) Noshirodako(Beraboudako) 

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 能代凧(のしろだこ)は、秋田県能代市にて発祥したとされる凧で、別名べらぼう凧(べらぼうだこ)と呼ばれている。
 坂上田村麻呂の蝦夷討の時(780~802)、空高く揚がった能代凧を目印に入港したという伝説が伝わる。
 全国の凧に比べて人物の顔が大きく描かれており、空高く揚がっても一目でそれと分かる。また、男女の絵柄がある事も大変珍しく、大きな特徴とされる。
 男べらぼう凧は、目のまわりに歌舞伎のくまどりが塗られ、頭には芭蕉の葉っぱの柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 女べらぼう凧は、牡丹の花の柄が描かれた頭巾をかぶっている。
 他に、べらぼう顔以外にも、歌舞伎絵や武者絵など20種類以上という多種の絵柄が存在している。
 能代凧は、アッカンベーをしたユニークな絵柄と鮮やかな色彩が目を引く、面白い凧である。
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2008/1/8


宮城 加美町 鹿島神社 Miyagi Kami-machi Kashima-jinja Kashima Shrine in Kami Town, Miyagi Prefecture

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 鹿島神社(かしまじんじゃ)は宮城県加美郡加美町にある神社で、創建は782年頃とされている。征夷大将軍であり蝦夷を平定した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)の勧請と伝えられる。
 神社の境内には「おものめ様」が奉られており一つの伝説が残されている。
 昔々、加美町に住んでいた娘が大蛇の化身である美しい男性に恋をし、若者の子を身ごもった。娘の家に住みついていた年老いたガマが娘を気の毒に思い、男性が大蛇の化身である事を知らせたが、娘は信じなかった。ガマは「今度男性が尋ねてきたら、彼の着物の裾に、長く糸をたらした針を通しなさい。」と目印をつけるよう娘に忠告した。するとその後男性は訪れなくなり、悲しんだ娘は森に入りその糸をたぐると、その先には男性の化身と見られる、息絶えた大蛇を見つけた。娘はたいそう悲しみ、せめて世の中の男女が幸せになるように縁結びの神として奉仕したいと言い残し、近くの沼に身を投じてしまったという。
 村人はこれを哀れんで供養し「おものめ様」を奉っているという。
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2007/12/25


常燈明台 Joutou-myoudai 

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 靖国通り九段坂上にある「常燈明台(じょうとうみょうだい)」は、東京湾の漁船の目印のために建てられたものだという。今からではとても考えられないが、当時はここから東京湾が見られるほど見晴らしの良い高台であったといえよう。遠く房総からもその明かりを見ることができたともいわれる。
 明治四(1871)年、当初は靖国神社に合祀されている霊を慰めるために、靖国神社に建立された。その後道路改修のために現在地に移されたという。
 台座は日本様式の石造りになっており、上部は八角円筒の西洋式で、頂上には金色の風見鶏がつけられている。和洋折衷の建築様式が流行した、明治初期の雰囲気が今も漂う。
 一〇〇年以上もの間、街の移り変わりを見下ろしてきた燈台である。
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2007/8/27


小泉稲荷神社 Koizumi-inari-jinja Koizumi Inari Shrine

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 小泉稲荷神社は、群馬県伊勢崎市小泉町にある神社である。祭神は、倉稲魂命、大己貴命。
 伝承によると、崇神天皇の御代(紀元前97~紀元前30年)に、勅命によって伏見稲荷大明神の分霊を奉祀し、創建されたと伝えられている。
 慶長五(1600)年、領主久永源兵衛が社殿を大改修した。
 この神社最大の特徴は、拝殿前に信者から奉納された200以上に及ぶ様々な鳥居が、三列約100mにも渡って並んでいる事であろう。
 全高22.17mを誇る県下一の大鳥居と併せ、その様子は大変壮観で、幻想的風景である。
 また、商売繁盛の御利益があると言われ、初詣ではもちろんのこと、毎月1日、15日にも多くの参拝者で賑わう。
 小泉稲荷神社は、赤い鳥居が目印の、神気溢れる神社である。
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2007/7/30


オホーツク庭園 ohotsuku-teien Okhotsk Garden

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 北海道紋別市街の中心部に、オホーツク海が一望出来る流氷展望台があり、これを目印とする紋別公園(もんべつこうえん)がある。「オホーツク庭園」はその紋別公園の一部にあり、多くの木々に囲まれ日本の情緒溢れた美しい庭園が整備されている。
 庭園では、木々の静かなざわめきが時間の経過を忘れさせてくれ、人工ではあるが岩肌を流れ落ちていく3つの滝は涼を誘う。日本庭園の趣きを持つこの庭園は紋別八景の一つに数えられ、自然な景観を楽しませてくれる。
 春、桜の季節にはお花見、真夏の暑い季節には夕涼み、そして紅葉の季節には紅葉狩りと四季折々の情景が楽め、多くの人々が訪れている。
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2007/6/26


汐首岬 Shiokubi-misaki 

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 汐首岬は、北海道で一番本州に近い場所。
 国道278号線を函館から恵山に向けて走り、戸井漁港を過ぎてやや行ったカーブに、汐首岬はある。「北海道~本州最短地点」の標識が目印だ。対岸の青森県大間町までわずか17・5kmだそうだ。海を挟んで、下北半島はすぐ目の前。本州が最も身近に感じられる岬である。17・5kmと言えば、直線距離で考えると汐首~函館間よりも大間への方が近い距離である。
 この地が最も本州に近いのに青函トンネルが福島の方に大回りして本州につながっているのは、トンネルを通すにはここの海の水深が非常に深すぎるからだそうだ。しかし、代わりに最近、汐首岬から本州をつなぐ津軽海峡大橋を架ける運動が活発になっているという。もし実現したら、車で20分ほどで北海道~本州を行き来できることになる。
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2007/3/15


伊那下神社 Inashimo-jinjya Inashimo Shrine

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 伊那下神社は、静岡県賀茂郡松崎町にあり。祭神は、彦火火出見尊となっている。
 仲哀天皇の妃である神功皇后が、神のおつげにより新羅を討った頃、新羅国の人が長門国豊浦を経て、伊豆の地に来て住吉三柱大神を祀り、唐大明神と称したのがはじまりといわれる。通称「下の宮」。
 伊那下神社には、社殿の建つ場所に大きな滝壷があり、2匹の龍が住んでいたと伝えられている。
 境内には、天然記念物である樹齢1000年、周囲8メートル、高さ25メートルにおよぶ大銀杏の木、めずらしい畳表の碑(桜田おもて)、名水(神明水)などが存在する。
 拝殿横には大足大明神を祀る祠があり、草鞋を奉納すれば足が強くなるという。
 伊那下神社は、古くから大銀杏が航海の目印となったという、商売繁盛と交通安全の神社である。
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2007/2/22


淡路城 Awaji-jyo 

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 淡路城は、瀬戸内を見下ろす北端の丘陵地に堂々とそびえ立つ城郭だ。三層の天守が目印となっている。
 平成二(1990)年に観光目的で建てられ、1万坪以上の敷地の中に、日本庭園を囲むように天守閣や集古館、美術館が配置されている。天守閣の内部では、重要文化財の武具、国宝級の甲冑を中心にした東洋美術品を公開、萬翠美術館では洋画家・掘江優の作品を展示している。錦翠集古館にはインドやタイを経て渡ってきたブロンズの像があり、エキゾチックな仏像を観覧することができる。
 庭園を散策すると、芸術的なモニュメントとの出会い、風情ある日本庭園でのくつろいだひとときと、充足感も格別である。
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