NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/27


久見神楽 Kumi-kagura Kumi Kagura

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 久見神楽(くみかぐら)は、隠岐島後(おきどうご)の久見地区にある伊勢命(いせみこと)神社に伝わる穏地神楽(おちかぐら)の系統で、島根県の無形民族文化財に指定されている。
 隠岐の神楽は社家(しゃけ)と呼ばれる専門の神楽師が家業として代々継いできたが、明治二二(1889)年に地元の有志が油井の和田社家より伝授され、久見神楽となって現在に至る。西暦偶数年は七月二五日に、奇数年は同月二六日に、伊勢命神社の例祭で奉納される。
 午後九時ごろから夜通し行われ、演目は久見神楽特有の女性による「巫女(みこ)舞」をはじめ、勇壮な「猿田彦(さるたひこ)の舞」、ユーモラスな「鯛釣り」など多数ある。舞う人と地区役員が一緒に酒を酌み交わす「幣(ぬさ)の盃」も珍しい。太鼓や笛の音に乗って繰り広げられる迫力のある舞いと鮮やかな衣装は、観る者の心に深く刻み込まれる。
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2007/9/11


館腰神社 Tatekoshi-jinja Tatekoshi Shrine

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 弘仁二(811)年に僧・空海がこの地に弘誓寺(ぐぜいじ)を創建するため、京都の伏見稲荷を分霊して作られたのが館腰神社(たてこしじんじゃ)である。弘誓寺の隣にある小高い丘に鎮座しており、奥州街道沿い、岩沼阿武隈の「要所」という意味でこの辺りが「館の腰」と呼ばれいたことから、館腰神社の名がついたという。
 ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)大宮姫神(おおみやひめのかみ)猿田彦神(さるたひこかみ)で、昔からこの地方の鎮守として知られる古神である。明治二年、神仏習合禁止により弘誓寺と分離した。
 この神社の入り口には、大正一三年建立の灯籠がある。お狐さまの入った灯籠を、四人の力士が支える珍しいものである。境内の石段を上がると山門や拝殿、本殿があるが、社殿はどれも昭和になってから造営されたものである。
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2007/9/7


鼻節神社 Hanabushi-jinja 

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 鼻節神社(はなぶしじんじゃ)はJR多賀城駅から西へ6キロ、七ケ浜半島先端の花渕浜明神崎の小高い丘の上にある神社である。
 周りは鬱蒼とした樹木に囲まれ、静寂の中に佇む神社である。
 第六代孝安天皇が猿田彦命を祭神として建立されたといわれる。
 都からわざわざ神官が出向き建立の儀式を司ったことからも、鼻節神社は朝廷の尊信が非常に大きかったと思われる。
 予明天皇の代には由緒正しき名神社のひとつに数えられていた。また、「枕草子」にも「はなふちの社」と記されていることから、都でも知れわたっていた神社でもあった。
 潮風の吹きつける中、鳥居をくぐり参道をいくと社殿前に海に面した階段がある。その先には鳥居が設けられ、海からも参拝する儀式があったのではないかと伝えられている。
 参道には境内社である山神社、稲荷神社が並んでおり、八海神社や月山神社の石碑もある。
 境内には拝殿に続き神殿があり、そこから海上を見ると、いくつもの奇岩が見える。
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2007/9/4


遠州新居手筒花火 Enshuu-arai-tezutsu-hanabi 

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 江戸時代から続く伝統行事「遠州新居手筒花火(えんしゅうあらいてづつはなび)」は、毎年7月下旬の金、土曜日の二晩、静岡新居町で約2000本もの手筒花火が舞い、旧宿場町は祭り一色に染まる。
 約300年前、三河地方の奉納神事で行われていた手筒花火が、新居関所を所轄していた吉田藩から伝えられたという。その後、新居の男達によって野性味が加えられ、お囃子に合わせて手筒を抱えながら踊る豪快なものになった。
 東海道の奇祭として知られる遠州新居手筒花火は、町の中心部にある諏訪神社祭礼の奉納煙火(ほうのうえんか)として行われており、クライマックスの「猿田彦煙火(さるたひこえんか)」は、天狗の衣装を纏った男をはじめ、数十人の男達が持つ手筒に一度に火を点け、夜空を焼き尽くすかの様に勇壮に火柱が立ち上げ、壮観な光景を楽しませてくれる。
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2007/8/9


佐倍乃神社 Saeno-jinja Saeno Shrine

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 佐倍乃神社(さえのじんじゃ)は、宮城県名取市にある旧号・笠島道祖神社(かさじまどうそじんじゃ)といわれた、由緒ある神社だ。
 社伝によれば、景行天皇四十(110)年に天皇より東征を命ぜられた日本武尊がこの地に勧請したのがその始まりとされ、この際、道祖神としても崇められる猿田彦が道案内として随行していたことから、道祖神を祀り、創建されたと伝えられている。
 大永二(1522)年に本殿が造営されて以降は、伊達政宗公ら仙台藩の歴代藩主達に篤く尊崇され、政宗公直筆の神額や古刀剣などが収蔵されている。
 祭神である猿田彦神(さるたひこ)は道の神として、また一緒に祀られている天鈿女命(あめのうずめ)は夫婦の神であり、二神が共に生活の道を守ることから縁結びや夫婦和合の神として崇められ、毎年四月二十日の例祭日には県の無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納される。
 歴史の重みあるこの神社で拍手を打てば、ひょっとしたらなにか道が開けるかもしれない。
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岡崎市 六所神社 Okazaki-shi Rokusho-jinja Rokusho Shrine in Okazaki

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 岡崎市の六所神社(ろくしょじんじゃ)は、愛知県岡崎市明大寺町耳取にある神社である。祭神は、猿田彦命、塩土老翁命、事勝国勝長狭命。
 徳川氏発祥の地である松平郷の六所神社より、3柱の祭神の勧請を受けて創建したとされ、江戸時代には松平・徳川氏の産土神(うぶすながみ)として信仰を集めていた。現在は、他に12柱の神を祀る。
 また、徳川幕府からの厚い保護を受けており、楼門の前の石階段は五万石以上の大名のみ上ることを許されていた。
 慶長七(1602)年、徳川家康が社殿の造営を行い、その後、三代将軍・家光、四代将軍・家綱により社殿の改築や修復が行われ、本殿・幣殿・拝殿・楼門・神供所が重要文化財に指定されている。
 岡崎市の六所神社は、徳川家ゆかりの古刹である。
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2007/8/3


小園臼太鼓踊り Kozono-usu-daiko-odori Kozono Usudaiko Odori

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 小園臼太鼓踊り(こぞのうすだいこおどり)は、宮崎県東臼杵郡門川町小園の門川神社(かどがわじんじゃ)にて毎年11月に奉納されている民俗芸能である。
 門川神社は、享禄三(1530)年、人畜守護のために勧請された神社で、祭神は宇気母智神、大国主命、大山祇神、猿田彦神。
 秋の門川神社大祭では、もちまき、大人御輿、子ども御輿などと共に、小園臼太鼓踊りが夜7時過ぎ頃から古えの戦勝を祝って踊られる。
 古えの戦勝とは豊臣秀吉の出兵に関連していると言われており、陣中で舞われたものと思われる。
 踊りは、人を集める道鏡から始まり、出兵の内容を盛ったうたが静と動で構成され、踊りの各部分に伝わっていく。
 小園臼太鼓踊りは、古くから門川町に伝わる勇壮な舞踊である。
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2007/7/31


田林神楽 Tabayashi-kagura Tabayashi Kagura

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 宮城県丸森町に存在した丸森城。
 その、今は亡き城の本丸跡にある田林愛宕神社に伝わる伝統芸能が、田林神楽(たばやしかぐら)である。
 現在の島根県にあたる出雲国でいち早く始まったとされる十二神楽が伝えられたものとされており、演目や演舞の方法なども、典型的な十二神楽である。
 舞いは、舞台の清めと神の降臨のために、素面で榊や太刀などの採物をもって舞う採物舞(とりものまい)と、神話などを題材として面をつけ、舞踊劇風に舞う神楽能の二つに分けられる。
 演目は猿田彦から始まり、「猿田彦」や「うずめ」、「田の神」など、須佐之男命の「出雲切り」までの十二座の神々の功績を称える舞が行われ、国や自然の平穏と作物の豊穣を祈り、災厄を払って幸福を祈願する神楽として舞われる。
 日本を創りし神々の演舞は、荘厳さと優美さが混在した古来の信仰を今に伝えている。
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