NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/12


烏帽子 Eboshi 

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 烏帽子(えぼし)とは、平安時代から近代にかけて被られた、長くて黒い帽子の事である。
 古代の帽子で、平安時代には公家は円筒状の立烏帽子、武家は少し先が折れた折烏帽子を着用した。
 冠から派生していると考えられ、文字どおり烏の羽根のように黒い漆が塗布されている。
 平安時代以降になると、身分の貴賤にかかわらず成人男性が被った帽子を指し、被り物をしていない頭を人前に晒す事は恥辱とされていた。
 当初は布で作られていたが、15世紀頃より紙に漆を馴染ませて強度を持たせた紙製の烏帽子が出現し、江戸期にかけて一般化するとともに、烏帽子の大型化に伴って頭頂を剃り上げる月代(さかやき)が普及し、一般民衆に烏帽子を被らない事が定着していった。
 烏帽子は、中世日本の成人男子にとって、基本となる服飾である。
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2007/4/13


金沢 箏 Kanazawa koto Kanazawa Koto Harp

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 日本に琴が登場したのは平安時代だが、現在のような13弦の箏(そう)を琴と呼んだのは鎌倉時代以降のこと。
 石川県金沢の地で箏が製造されるようになったのは、江戸時代に入ってからで、藩政時代に、藩主婦人や姫君をはじめとする武家の女性のたしなみのひとつとして箏が数えられていたのである。
 加賀藩の重臣・横山家には美しい琴が伝来しており、藩政期には箏を作る職人が存在していたことが窺える。
 金沢の箏は白山に植生する質のよい白山桐を使い、華麗な蒔絵や螺鈿をふんだんに施した雅な美術工芸品でもある。
 現在でも、金沢では身近な楽器として箏に親しむ人々が多く、有名無名を問わず、演奏会が盛んに行われている。
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2007/1/18


ひがし茶屋街 Higashi-chayagai Higashi Teahouse Street

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 金沢の浅野山麓を流れる浅野川別名女川の岸、石畳の道を挟むように紅殻格子のお茶屋が軒を連ねる。それがひがし茶屋街だ。
 文政三(1820)年、加賀藩によって作られた茶屋街である。このとき、にし茶屋街も作られ、明治二(1869)年には主計町茶屋も開かれたが、ひがし茶屋街が最も格式が高く、規模も大きかった。
 かつてこの茶屋街では、日が暮れると旦那衆が、酒をたしなみながら芸事を楽しんだ。一見さんお断りが主流だったが、今では茶屋を改装した喫茶店なども多く、気軽に立ち寄れる。それでも日が暮れると軒下灯に明かりが入り、三味線や太鼓の音が聞こえてくる。茶屋街が艶っぽい表情を見せる時間である。
 五木寛之の「朱雀の墓」の舞台ともなった。平成十三(2001)年に国の重要伝統的建造物保存地区に指定された。
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2007/1/5


京繍 Kyonui Kyo Embroidery

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 京繍(きょうぬい)とは、京都に古くから伝わる日本刺繍のことである。飛鳥時代から1200年の歴史を持つ、繊細かつ優美な絹糸の芸術だ。古来より貴族の知的・文化的なたしなみとして扱われ、現代ではその優れた技術と芸術性から、経済産業省より伝統工芸品に認定されている。
 京繍は、もともとは、飛鳥時代に仏画を刺繍で表現した掛け物である繍仏として始まった。これが、平安遷都に伴い、刺繍の職人を抱える「縫部司(ぬいべのつかさ)」が京都に置かれ、衣服の刺繍として技術・表現力ともに花開いたのだった。以降、十二単や武具、能衣装に用いられ、江戸時代に友禅染が確立されてからはその加飾技法として発展したという。素材となる絹糸、金銀糸の豊かな色彩と四季折々の風物をモチーフとした美しい紋様は、まさしく京の風土が生み出した美意識の結晶といえるだろう。
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