NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/3/26


徳丹城 Tokutan-jyou 

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 徳丹城は、もともとあった志波城を、水害を理由に弘仁2(811)年、文室綿麻呂の建議により南10kmに移転・造営したものである。
 沖積面の微高地に立地し、約350メートル四方となる。材木列で周囲を囲み、70〜80メートルの間隔で櫓を建てていた。 
 内部には官衙建物群があり、志波城の政治機能を引き継いだものとされている。
 さらに弘仁6(815)年には配置されていた鎮兵500人が廃止され、正規軍が配置されなくなる。しかし、徳丹城自体は9世紀半ばまで使用されていた形跡があり、律令国家に協力的な俘囚の軍が配置されていたと考えられている。
 内部の周辺にはいくつかの役所群が存在するが、その実体は明らかでなく、九世紀の中頃にいたって徳丹城は衰退したものと思われる。
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2007/3/6


水落遺跡 Mizuochi-iseki 

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 水落遺跡は奈良県高市郡明日香村から出土した、飛鳥時代の水時計の遺構である。
 日本書紀に「初めて漏刻(ろうこく)を造る。民をして時をしらしむ」と記された水時計は、斉明天皇六(660)年、中大兄皇子が造ったもので、堀で囲まれた堅固な楼状の水時計建物の中に配水管を通し、水が落ちることで時間を計測する漏壺を建物中央に配置して時間を計る大規模なものであった。
 当時、律令国家として中央集権制度を整えていた日本にとって、正確な時間は必要不可欠とされ、計測された時間は太鼓と鐘により伝えられ、都の全ての場所で聞くことができたと言う。
 現在、飛鳥資料館で発掘された模型を見ることが出来る。
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天武・持統天皇陵 Tenmu・Jitou-tennou-ryou 

Jp

 天武・持統天皇陵は奈良県高市郡明日香村にある陵墓、正式な陵墓名は桧隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)。天武天皇、持統天皇の合葬陵墓である。
 直径50メートル、高さ6・4メートル、高さ9メートルの八角墳で、周囲に石壇が築かれている。
 鎌倉時代に残された「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」により被葬者が判明している数少ない天皇陵。石室は大理石、朱漆の柩と金銅の容器が安置されていると記録されている。
 律令国家建設を推し進めた天武天皇と、それを引き継いだ持統天皇は、波乱に満ちた人生を終え、夫婦揃って静かに緑の陵で眠りについている。
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