NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/12


名寄鈴石 Nayoro-suzuishi 

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 名寄鈴石(なよろすずいし)は、褐鉄鋼(かってっこう)という鉱物の一種で、昭和一四(1939)年九月に国の天然記念物の指定を受けた。
 約一〇万年前にできた丘陵や台地の土中に産出し、昭和五(1930)年に、名寄在住の弁護士で郷土史家の田中長三郎が発見した。
 核となる粘土などに、鉄分が殻のように巻き付いてできたと考えられる。鉄サビの固まりのような色で、ほぼ丸く、ピンポン玉からこぶしほどまでの大きさがある。
 振ると音がすることから「鈴石」と呼ばれるようになった。全国でも同様のものは、岐阜県の岩壷、奈良県の鳴石があげられる。
 中国の漢方では「石薬」として不老長寿の薬とされ、正倉院にも納められていた。
 名寄(なよろ)の由来は、アイヌ語で川のそばの国「ナイ・オロ・プト」がなまった「なよろ」からきている。語源のとおり、名寄市は西に天塩川(てしおがわ)、東に名寄川が流れている。
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2007/12/4


瑠璃釉 Ruriyuu 

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 「釉(ゆう)」とは、釉薬(ゆうやく)、いわゆる陶磁器に使われる上薬(うわぐすり)のことで、水漏れ防止・保護膜・強度・見た目の綺麗さを表すなど、様々な役割がある。その中でも「瑠璃釉(るりゆう)」とは、本焼用の透明釉の中に、染め付けに用いる鉱物質の顔料である呉須(ごす)を入れてつくる、瑠璃色の釉薬のことをいう。
 単に瑠璃と呼ぶ場合は、釉薬を意味する場合と、瑠璃釉の掛かった作品を指す場合がある。磁器によく使われ、陶器に用いられることは殆どない。
 瑠璃釉の作品は深い藍色が特色である。
 藍色の染付との違いは、染付は呉須を原料とした下絵付けの絵具ですが、瑠璃釉は透明な白磁釉に呉須を混ぜたもの。瑠璃釉は釉薬なので、深く透明感のある発色がでる。
 瑠璃釉は、普通の磁器釉にコバルトを1~3パーセント添加してつくる。長石分が少なく、石灰が多い方が美しい色合いだといわれている。
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2007/11/22


辰砂(シンシャ) Shinsha 

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 辰砂(しんしゃ)とは、硫化水銀からなる鉱物である。
 銅紅釉(どうこうゆう)と呼ばれる事からも解るように、銅分の酸化によって得られる織部釉(おりべゆう)などの銅緑釉(どうりょくゆう)に対して、還元されて得られる様々な色合いを言う。
 辰砂という名前は、中国の湖南省辰州産のものが質が良く有名であった事による。
 日本でも弥生時代から産出され、古くは「丹(に)」と呼ばれ、水銀の重要な鉱石鉱物とされていた。
 魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山・丹有」と記述されており、古墳の内壁や石棺の彩色、壁画に使用されていた。
 日本画などの岩絵の具の原料であり、陶芸ではこれに似た色の釉薬を「辰砂釉(しんしゃゆう)」というようになった。
 辰砂は、水銀の精製や赤色顔料として重宝される原料鉱物である。
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2007/8/29


持田古墳群 Mochida-kofun-gun 

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 高鍋町は、九州の東側、宮崎県中央部海岸沿いに位置しており、宮崎平野の北部にあたる。ここには古くから多数の古墳があちらこちらに存在し、そのひとつが持田古墳群である。この辺りに昔から有力な勢力が高鍋周辺に栄えていたことをうかがわせる。
 持田古墳群は国の指定史跡で、五~六世紀ごろに作られた大小八五基の古墳群である。この第二五号噴から青銅鏡が出土されている。人類は太古の昔、水面に自分の姿を映していたが、鉱物を研磨することで鏡を作り出すことを覚え、銅鏡を製造したといわれる。
 毎年一〇月下旬には持田古墳群二六号墳(山の神塚)前に祭典場を設け、先祖の霊を慰め敬う。
 また、古墳の一角には持田古墳群の霊を慰めるため、岩岡保吉が半生をかけて作り上げた七百体あまりの石仏群が高鍋大師に鎮座する。
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2007/7/27


台ヶ森焼 Daigamori-yaki 

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 そのお湯は刀傷に効くといわれ、仙台藩伊達家の湯治場の一つとなっていた台ヶ森(だいがもり)。
 そこに侍達のための療養所が建てられ、その後各種方式の窯を築き、仙台北部の吉田川上流に位置する台ヶ森から取れる陶土と亜炭鉱質の粘土を上薬として様々な焼き物が生まれていった。それが台ヶ森焼(だいがもりやき)の始まりだといわれている。
 台ヶ森一帯は昔から石炭鉱として知られ、採掘も行われていたこともあり、亜炭や鉄、銅などの様々な含有鉱物が織り成す複雑な色合いが、焼き物の肌に味のある美しさを映し出す。
 鉄分が放つ美しさと偶然から生まれる銅のはしりが調和した、落ち着いた印象の焼き物は、手に取るものに安らぎを与えてくれる。
 付近からは遺跡として窯が出土されるなど、古来から周辺では陶芸が盛んに行われていたことを伺わせ、この地の土が焼き物に適していることを今に伝えている。
 湯治にやってきた侍達も、この時ばかりは戦を忘れ、のんびりと陶芸をして余暇を楽しんでいたのかもしれない。
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2007/5/16


谷野剛惟(人間国宝) Tanino Takenobu 

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 1935(昭和十)年、兵庫県生まれ、名塩雁皮紙(なじおがんぴし)の人間国宝(重要無形文化財保持者)。
 49年、谷野徳太郎に師事、83年、名塩紙技術保存会理事就任、2002年、人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定。
 名塩雁皮紙は別名「泥入り間似合い紙」とも言われる襖用紙であり、雁皮を原料として、西宮市名塩近辺で取れる鉱物の粉末を混ぜて漉かれる。
 特徴として耐火性に優れているため、城郭、寺社の襖などに使用され、貴重な文化財を保護している。
 氏はこの紙の作成方法である溜漉きや板干しなどの古伝の技法を受け継ぎ、間似合紙、鳥の子、箔打紙などの多くの種類を作成できる唯一現役の職人であり、現在に伝統を継承している。
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2007/1/29


居醒の清水 Isame-no-simizu Isame Spring

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 居醒の清水(いさめのしみず)は、滋賀県米原市醒井にある加茂神社から、湧き出る名水である。
 古くは「古事記」や「日本書紀」にも登場し、東征からの帰りに伊吹山の荒ぶる神を退治に出掛けた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、熱病に倒れた時、体の毒を洗い流した霊水とも伝えられている。
 その時、武尊はこの泉を「居醒の清水」と名付けたと伝わる。
 水源は霊仙山水系で、湧き出る過程で岩や土の間を通り、味や成分が変わるという。
 神社境内脇の石垣の下から湧き出て、旧中山道のほとりを川となって流れるこの水は、近在の西行水、十王水とともに、醒井の人々にとって欠かせない生活の水であり、この宿場を訪れた旅人の疲れをとるオアシスの水でもある。
 居醒の清水は、古より連綿と続く癒しの名水である。
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