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2007/10/24


三原城 Mihara-jyou Mihara Castle Ruins

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 三原城は、現在の広島県三原市にあった城である。国指定史跡となっている。
 三原城は、天正8(1580)年、小早川隆景によって沼田川河口付近にあった中州に建てられた城である。
 その姿が、まるで海に浮いているように見えたため「浮城」或いは「海城」と呼ばれたという。
 東は湧原川から西は現在の臥龍橋付近まで約900メートル、南北に約700メートルの広さがあった。
 隆景の死後、関ヶ原の合戦を経て紀伊和歌山藩筆頭家老の浅野忠吉が入城し、広島藩の支城として幕末まで使用された。
 明治4(1871)年、廃藩置県により廃城となる。
 現在は、石垣とお堀が残り、周辺は公園として整備されている。
 三原城は、秀吉や家康も宿泊したという要害であり、素晴らしい景観を誇った城である。
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2007/10/18


土浦城 Tsuchiura-jyou 

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 土浦城は茨城県土浦市中央に位置した城である。
 桜川の支流を引き込み、水掘を周囲に囲ませた平城で、水に浮かぶ亀に見立て「亀城」の異名を持った。
 永享年間(1429〜41)に今泉三郎が築城した。戦国時代には小田守治が城主となるが、佐竹氏に攻められ降伏。江戸時代に入り転封が続くが、貞享四(1687)年に土屋政直が移封した後は幕末まで続いた。
 廃藩置県後廃城となり、明治一七(1884)年の火災で建物の多くが焼失した。
 現存するのは城門と櫓門で、本丸内櫓門は関東地方唯一のもの。周辺には土塁や堀が残り、往時の繁栄をうかがわせる。
 東櫓は近年復元されたもので、土浦市立博物館の一部として使われ、鯱瓦などの遺構を保存している。
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2007/10/12


福山城 Fukuyama-jyou Fukuyama Castle

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 福山城は、広島県福山市丸之内にあった城である。日本100名城に選定。国指定史跡である。
 元和五(1619)年、徳川家康のいとこである初代福山藩主、水野勝成が、徳川幕府からの命で西国鎮護の拠点として築城したのが福山城である。
 以後福山藩の藩主は、水野氏、松平氏、阿部氏と続き、明治維新に至るまで藩主の居城であった。
 廃藩置県後、明治六(1873)年に廃城となった。
 国宝であった天守と御湯殿は、昭和二〇(1945)年、米軍の空襲により焼失した。昭和四一(1966)年、天守、月見櫓、御湯殿が同時に再建されている。
 現存する伏見櫓、筋鉄御門(すじがねごもん)は、国の重要文化財に指定されている。
 福山城は、江戸時代建築の、最も完成された形の名城として、今にその姿を残している。
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2007/8/10


岩手 桜山神社 Iwate sakurayama-jinjya 

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 岩手県盛岡市内丸にある桜山神社。もともとは盛岡城の三の丸にあり、盛岡藩の総鎮守として篤く信仰された神社である。
 創建は江戸時代の寛延二(1749)年。盛岡藩の8代藩主・南部利視が初代藩主の没後百五十年にあたることから盛岡城内の淡路丸に勧請したのがはじまりだ。
 明治維新の際、明治四(1871)年に廃藩置県により盛岡城は廃城。それに伴い、桜山神社も遷座を余儀なくされ、妙泉寺山に場所を移したが、第二次世界大戦後、再建された盛岡城内に戻ってきた。
 現在祀られているのは初代藩主だけでなく、藩祖・光行、2代藩主・利重、11代藩主・利敬の4人。南部藩の守り神として今も盛岡を見守りつづけている。
 神宝の南北朝初期国長作とされる刀は国指定の重要文化財。毎年5月25〜27日には例大祭が行われ、武者行列やさんさ踊りが賑やかに執り行われる。
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2007/6/4


犬山城天守 Inuyama-jyo-tensyu The donjon of Inuyama Castle

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 愛知県犬山市にあり、国宝に指定されている日本最古の天守閣を残す城。
 犬山は、室町時代末期に建てらたといわれ、1537年に織田信長の叔父信康によって現在の地へ移された。
 江戸時代から明治時代に至るまで、数人の城主が誕生した。明治4年、廃藩置県で廃城となり天守閣を除くほとんどが取り壊された。明治24年の震災で城門などが壊れた際、旧犬山藩主成瀬正肥氏が城を修理するという条件で政府から譲られ、現在に至っている。個人が所有する城は日本でひとつである。
 天守は三層五階の望楼式となっている。木曽川を背に、標高80メートルの三方断崖の丘の上に建っている。天守閣最上階からは、犬山市が望める。
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2007/3/19


大田原城跡 Ootawara-jyou-ato Ohtawara Castle Ruins

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 大田原(おおたわら)城は、戦国時代に那須七騎のひとりとして活躍した大田原貴清(すけきよ)が天文十四(1545)年に築城。明治四(1871)年の廃藩置県に至るまでの326年もの間、大田原氏の居城となった。
 大田原氏は、永正十五(1518)
 年に大関氏に大田原から追放されるも、天文十一(1541)年には大関氏を討ち、大田原を奪還。その後豊臣秀吉にも重用され、関が原の戦いでは徳川家に組し、戦後14400石を与えられるなど、一大大名として名を馳せたという。大田原氏は、戦国時代を生き残り、明治維新まで力が衰えることのなかった大名として、非常に稀な例である。
 往時は本丸、二の丸、三の丸、北曲輪、西曲輪、馬場などがあり、大名城としては規模の大きいものだったが、現在完存しているのは本丸、二の丸、北曲輪のみ。
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高崎城 Takasaki-jyou Takasaki Castle Ruins

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 江戸幕府が開かれる直前の慶長三(1598)年、徳川四天王の一雄、井伊直政により築かれた城。現群馬県高崎市に所在する。
 江戸と大阪を結ぶ中山道が開かれ、碓氷峠(現群馬県安中市)の戦略的価値が増したため、徳川家康が井伊直政に命じて築城させた。慶長五(1600)年、関が原の戦いの後井伊直政は近江佐和山へと移動。城主も諏訪氏、酒井氏、松平氏と、譜代大名がめまぐるしく変わり、明治維新を迎える。
 明治四(1871)年の廃藩置県により廃城。以降、跡地の大半は歩兵の駐屯地として使用された。
 現在、お堀の周辺は高崎城址公園として整備されており、春には約3000本のソメイヨシノが咲き乱れる、市民の憩いの場となっている。
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2007/3/7


古河城 koga- jyou 

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 古河城は茨城県古河市、渡良瀬川の東岸に位置した城である。
 鎌倉時代、この地を支配した下河辺行平が築城、当時は古河御陣の名で呼ばれた。
 康正元(1455)年、鎌倉公方足利成氏が鎌倉からこの地に移り根拠とし、古河公方を称して周囲へ勢力を広げた。
 天正十(1582)年に古河公方断絶の後は豊臣秀吉により破却、その後、徳川家康の命により復興し、明治維新まで幕府重臣に城主が任ぜられた。
 日光東照宮への参道であり、水運の要所であったことから城下町としても栄え、天主である御三階櫓や多くの櫓を持つ城であったが、廃藩置県で廃城。大正年間の渡良瀬川の大改修により城址の大半は水没し、現在残るのは福法寺に移築された乾門と一部の土塁のみである。
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