NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


伊豆沼内沼はすまつり Izunuma-uchinuma-hasu-matsuri Izunuma-Uchinuma Lotus Flower Festival

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 宮城県の仙北平野に4平方キロメートル、水深は一番深いところでも1.6メートルの湖、伊豆沼・内沼(いずぬま・うちぬま)。国際的に重要な湿地としてラムサール条約の登録地となっている。天然記念物のマガンやヒスクイなどの水鳥が多く越冬し、豊富な水生植物のほか、魚類や貝類、水生昆虫などが生息している。
 この湖面には七月末から八月末の約一ヶ月間、一面にハスの花が開花し、「伊豆沼内沼はすまつり」が開催される。
 青空を背景に、緑の葉から透き通った薄桃色の大きな花が至る所から顔をのぞかせている。まるで巨大なお盆にハスの花を敷き詰めたようだ。
 道路や周囲からも見ることができるが、期間限定で運航される小型遊覧船に乗って、間近でハスを見ることもできる。
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2008/3/5


ワラ白蓮紋様七寸皿 Warabyakuren-monyo nanasun-zara Wara White Lotus Serving Plate

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 日本料理の美しさは、世界でも定評がある。それは料理そのものだけでなく、器の選び方に寄るところも大きい。ちょっとした家庭料理でも、風情のある器に料理を盛ると、がぜんおいしそうに見えてくるものである。器ごとに違う微妙な色と形は、自然のあり方をそのまま生活に溶け込ませる日本特有の美学。
 きちんと整形された美しさの対極にある。この「ワラ白蓮紋様7寸皿」も、手作りのため、ひとつひとつ形と色が微妙に違う。蓮の葉の模様が彫りこまれたシンプルな皿は、過分な主張がなく料理が栄える。七寸というのは、直径20・5センチメートル。どんな料理にも使いやすい大きさだ。
 小さな工房で生み出された、この世にひとつだけの器との一期一会。そんな出会いも、人生の彩りとなる。
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2007/12/10


蓮着寺 Renchakuji 

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 蓮着寺(れんちゃくじ)は、静岡県伊東市富戸にある法華宗陣門流の霊跡別院である。山号は俎岩山(そがんざん)。
 弘長元(1261)年、法華宗の宗祖である日蓮は、鎌倉幕府への批判をとがめられて伊豆国伊東に流罪となった。これが「伊豆法難」である。
 この際、日蓮は烏崎の海上の俎岩(まないたいわ)に置き去りにされ、漁師に救われたという。以後一年九ヶ月にわたり、日蓮はこの地に留まった。
 永正五(1508)年、正乗院日云(にちうん)が日蓮の霊跡を探してこの地に至り、蓮着寺として開山した。
 境内には上人ゆかりの袈裟掛けの松の根株や、石が幹にくい込んだ石喰いのモチの木、県天然記念物に指定されているやまもも「やんもの木」などが存在する。
 蓮着寺は、日蓮の伊豆法難ゆかりの古寺である。
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2007/11/28


妙宣寺 五重塔 Myousen-ji Gojuu-no-tou 

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 佐渡には新潟県内唯一の五重塔がある。妙宣寺(みょうせんじ)の五重塔、国の重要文化財である。
 寺のはじまりは、鎌倉中期、法華経を唱えた日蓮が佐渡へ流された時、日蓮の身の回りの世話をしていた遠藤為盛と妻の千日尼が自宅を寺として開基したのが始まりだと伝えられている。弘安元(1278)年のことである。為盛は日蓮の直弟子となり後に阿仏房日得上人といわれた。寺には日蓮聖人筆書状などが残されている。
 五重塔は、佐渡相川の宮大工の棟梁親子が三十年の歳月をかけ、文政八(1825)年に完成させた。日光東照宮の五重塔を模したといわれるその姿は、高さ約24m、本瓦葺の純和様で、四天柱と心柱を貫(ぬき)でつなぐ独自の手法が用いられている。東照宮の五重塔は文化一四(1817)年の再建である。
 初層の隅木(すみぎ)下の持送りには、棟梁作の竜頭の彫刻が見られるなど、地方色豊かな仕上がりになっている。
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2007/11/14


蓮 Hasu 

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 ハス科の「蓮(はす)」は多年生の水生植物で、花托(かたく)が蜂の巣の様にたくさんの穴が空いていて果実が実る事から「蜂巣(はちす)」と言われ、それを略してハスになった。蓮という字は、種子が連なって付く事からと言われる。
 原産地はインドやその周辺とされ、仏教において神聖なものとされている為、アジアの多くの国では国花となっている。
 夏の早朝、水面まで花茎を伸ばし白またはピンク色の花を咲かせるが、昼過ぎの午後3時頃には閉じてしまう。花の開閉を三度繰り返し、4日目には花びらが散ってしまう儚さがある。「夏」の季語になっている。
 昭和二六(1951)年3月、理学博士の大賀一郎氏が千葉の検見川遺跡から発見し発芽させたものは、約2000年前のもので、大賀ハスとして今でも可憐な花を毎年咲かせている。
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2007/10/4


良寛 Ryoukan Ryokan

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 良寛(りょうかん)は、江戸後期の曹洞宗の禅僧で、歌人、漢詩人、書家としても知られる。
 宝暦八(1758)年、越後国出雲崎(現・新潟県)に誕生。土地の名主で、俳人でもある父から、影響を受けて育った。
 大森子陽の塾で学び、名主見習役を経て、円通寺の国仙和尚のもとで出家。その頃、和歌に親しむようになり、歌人との交流や創作を重ねてゆく。
 三三歳の頃、国仙和尚より印可の偈を与えられる。以後、民衆の教化に努めたが、難解な説法を避け、分かり易い言葉を用いた。特定の寺を持たず、自らの質素な生活を開示することで、民衆の共感や信頼を得ていた。
 良寛の住む五合庵には、実に多くの芸術家や学者が訪れた。般若湯(酒)を好み、自らを慕う人々と頻繁に杯を交わしたと伝わる。
 天保二(1831)年、良寛死去。歌集『蓮の露』を弟子の貞心尼が編んだ。
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2007/8/2


湖水ケ池 Komizu-ga-ike Koshimizugaike Pond

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 湖水ケ池(こみずがいけ)は、宮崎県児湯郡新富町日置にある周囲おおよそ1km、南北に長く延びた面積7ヘクタールの池である。
 毎年7月の中旬から8月の中旬ぐらいまで、池一面に蓮の花が咲く。緑の蓮の葉の間からのぞく真っ白な蓮の花は、凛として美しい。
 常時渇水することなく、夏は湖水ヶ池全体が蓮の葉に覆われ、白色の蓮を中心に桃色の蓮も交じり、色鮮やかな光景となる。
 この蓮池で、古くから伝わる独特のレンコン堀りが、冬の風物詩として地元の人によって今も続けられている。
 レンコン栽培は、高鍋藩七代藩主・秋月種茂が冬場に困窮する農民を救う為に植えたのが始まりといわれている。
 池のそばには元禄のころの創建と伝えられる水沼神社がある。水波女神が祭られており、水難除けや農耕の神様として古くから親しまれている。
 湖水ケ池は、盛夏には蓮で埋め尽くされる美しい池である。
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2007/6/26


松前 法華寺 Matsumae Hokke-ji 

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 法華寺は、400年の歴史を持つ名刹。北海道松前郡松前町に所在する。
 開基については諸説あるが、正応四(1291)年に日蓮の六門弟の日持上人が海外布教のため渡道した折り上ノ国に一宇を建立したのを、享徳二(1453)年、京都本満寺の僧侶・日尋が松前に移して法華寺と名づけたという説が有力である。
 当寺に安置されている「木造日蓮聖人坐像」は鎌倉時代の作と言われており、北海道の有形文化財に指定されている。また、本堂の7メートル四方の天井に描かれた「八方睨みの龍」は、日本文人画の第一人者、池大雅の作と伝えられている。松前藩主の弟・廣長の念願で招かれた池大雅が寺の裏の林で見た大蛇にヒントを得て描き上げた大作で、どこから見ても龍から睨まれているように見える迫力ある絵である。
 境内には風格のある枝垂桜があり、海を背景とした構図は素晴らしく、見ごろの5月には花見がてら訪れる参拝客で賑う。
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