NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/6/21


能面 万媚 Noumen Manbi Noh Mask Manbi

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 万媚(まんび)は能楽に用いる面のひとつで、若い女性の色っぽさ、なまめかしさを表現している。
 万媚とは「百の媚に勝る」という意味があり、艶やかな中にも目元や口元に媚びを表現している。
 目が切れて長く、口が少し突き出しているが小さいため、正面から見ると美しい女性だが、少し面を上げるとかわいらしい笑顔、少し下に傾けると、不適な笑みをたたえる女性にも見え、陰影を使いたくみに表現を使い分けられる能面である。
 能「紅葉狩」では、若い美女の宴に参加した平維茂が、酒と美女の舞に酔い眠ってしまうが、夢の中で八幡宮の神からの「美女に化けた鬼を退治せよ」とお告げ受け鬼を退治する。この美女役の面として、万媚を使う。他にも「熊野」「殺生石」では鬼女の化ける若い女として使われる。
 万媚は、大人の女性の艶っぽさと、あどけない少女のようなかわいらしさをあわせ持った、不思議で魅力的な面である。
 
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2007/6/19


北上みちのく芸能まつり Kitakami-michinoku-geinou-matsuri Kitakami-Michinoku Performing Arts Festival

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 北上みちのく芸能まつり(きたかみみちのくげいのうまつり)は、岩手県北上市にて毎年8月の第一土曜から三日間開催されている祭りである。東北六大まつりに指定されている。
 北上市は民俗芸能の宝庫と言われ、伝承活動をしている民俗芸能団体が多数存在する。
 祭りでは、街のあちこちで100を越す民俗芸能が披露される。
 開催期間中、昼から夜まで北上市内各地会場で鬼剣舞、鹿踊り、神楽などの実演が行われ、フィナーレを飾る最終日のトロッコ流しと北上川河畔での花火は、毎年とても混雑する。
 最も人気のある「鬼剣舞」は、仏の化身であるいかめしい鬼の面をつけた踊り手が勇壮に舞う、北上地方に1300年前より伝わると民俗芸能である。
 北上みちのく芸能まつりは、北上の夏を彩る大祭である。
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2007/6/12


鬼追い会式 Oni-oi-esiki 

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 鬼追い会式(おにおいえしき)とは、兵庫県姫路市の書写山にある円教寺にて毎年1月に行われる行事である。
 円教寺は天台宗の寺で「西の比叡」とも言われる名刹であり、鬼追い会式は開祖、性空上人が亡くなった1000年前から始まったとされる。
 会式では境内の邪気を焼き尽くして断ち切るため、赤鬼と青鬼が出てくる。赤鬼は毘沙門天の化身である若天、青鬼は不動明王の化身である乙天といわれ、赤鬼は槌を背負い鈴と松明を持ち、青鬼は宝剣を持つ。
 鬼であると同時に山の守護神であるため、角がないのが特徴である。
 かつて深夜に行われていた名残から、扉が閉じられて真っ暗になった摩尼殿の中を鬼がゆっくりと歩きたいまつを振り回す。
 鬼追い会式は、五穀豊穣と平和を祈る法会である。
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2007/6/8


能面 石王尉 Noumen Ishioujou Noh Mask Ishio-jo

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 石王尉(いしおうじょう)は、創作者・石王兵衛正友から名が取られたと言われており、老体の神あるいは柳や桜などの老樹の精を表している。
 尉(じょう)面とは老人の面のこと。老体の神で、序の舞いを舞う時に用いる舞尉として、この石王尉の他に舞尉(まいじょう)、皺尉(しわじょう)があり、品格が高く神の化身である老人の役に用いられる小尉類として、小牛尉(こうしじょう)、阿古父尉(あこぶじょう)がある。また、この世を去った人間が老人の姿を借りて登場する時に用いられる双髭尉類として、朝倉尉(あさくらじょう)、三光尉(さんこうじょう)、笑尉(わらいじょう)などがある。
 この面は他の尉面とはかなり雰囲気が異なっており、眼窩がくぼんだ伏し目がちな表情は、渋く苦味ばしっている。髪は植毛を結い上げ、顎鬚も植毛だが、口ひげは毛描き。総体的に様式化の意図が強く現れていて、舞尉の柔和さに比べると虚無感さえ感じさせる。能「遊行柳」、「西行桜」などに使われる。
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2007/5/24


積丹半島 神威岬 Shakotan-hantou Kamui-misaki 

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 神威岬(かむいみさき)は、北海道に位置する岬で、積丹半島北西部から日本海に突き出す形になっている「ニセコ積丹小樽海岸国定公園に属する。
 大海原へとダイナミックにせり出した神威岬の先端までは、駐車場から「チャレンカの小路」を歩く。この遊歩道の両岸には様々な海鳥たちが生息し、時にはハヤブサの姿が見られることも。冬には北の海からトドやアザラシ、オオワシなどがやってくる。岬の先端に辿り着いたとき、切り立った断崖と、積丹ブルーと形容される海岸美が眼前に広がる。海のはるか向こうには積丹岬が望め、海には「水無の立て岩」「カムイ岩」が浮かぶ。カムイ岩は神威岬のシンボルで、夏にはハヤブサ、冬にオオワシが止まることもあるという。このカムイ岩は、澄み切った海中に立ち尽くす乙女の化身だという伝説も残る。
 神威岬は、自然の動植物の宝庫。次世代に残したい北海道の宝物だ。
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2007/5/9


多鯰ヶ池 Tanegaike Tanegaike Pond

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 鳥取県の鳥取砂丘の南側にある周囲3.37キロ、最大深度17.3mの堰止池。堰止池とは、砂丘の砂や川の堆積作用などにより、谷や川が堰き止められてできた池のことである。
 蛇の化身の美女伝説「お種の伝説」が残る神秘的な池だ。昔、国府町に住んでいた裕福な長者のもとに雇い入れられた使用人「お種」が実は蛇の化身であり、毎夜蛇体になっては多鯰ヶ池にある柿の木から柿を取っては使用人仲間に振舞っていたというもの。ある日正体を知られてからはその夜限りで長者のもとを去り、鯰ヶ池の主になってしまったそうだ。
 鯰ヶ池では、6月には睡蓮の花が咲き乱れる。お種の生まれ変わりかと思わせるような白く可憐な花だ。また、この池はバス釣りスポットとしても有名で、釣り愛好者達で賑わいを見せる。
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2007/3/29


鬼剣舞 Oni-kenbai Onikenbai Demon Sward Dance

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 鬼剣舞(おにけんばい)とは、岩手県北上地方に伝わる郷土芸能である。
 大宝年間(701〜704)、修験道の祖と言われる役小角が念仏と共に踊ったのが起源とも、大同年間(806〜810)に羽黒山の僧が、荒沢鬼渡大明神で大日如来の化身に伝授されたとも伝わる。
 踊り手は仏の化身とされる鬼に似た仮面をつけ、胸当て、鎖帷子に赤いたすきをかけて、手平鉦、太鼓、笛の囃子方の曲目にあわせて舞い踊る。
 念仏剣舞の一種であり、演目中に反閇(へんばい)と言われる邪気を払う、鎮守の歩法が行なわれるのが特徴。衆生済度、悪魔退治のために行なわれる。
 現在岩手県各地に流派が残り、伝統の剣舞を今に伝えている。
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2007/3/19


館林城跡 Tatebayashi-jyou-ato Tatebayashi Castle Ruins

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 館林城は、群馬県館林市に所在する、戦国時代から徳川時代の争乱の舞台になった城である。別名、尾曳(おびき)城とも言う。
 尾曳城の名は、築城主とされる赤井照光が子ぎつねを助けたところ、お稲荷様の化身の白きつねが現れ、尾を曳いて城の配置を教えてくれたという言い伝えに由来する。
 築城年は定かではないが、15世紀とされる。記録によると、文明三(1471)年に上杉軍がこの城を攻略した戦乱についての記述が最古となる。
 その後、戦国時代に越後の上杉氏、甲斐の武田氏、相模の北条氏などの、三つ巴の攻防を経て、天正十八(1590)年の徳川家康の関東入りに伴い、徳川四天王のひとり、榊原康政が城主となる。江戸時代には江戸から東北方面への交通の要所として、また将軍を輩出した地として重視され、江戸幕府の重鎮を務めた七家の居城として栄えたという。
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