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2007/3/26


足利氏館 Ashikaga-shi-yakata 

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 源姓足利氏2代目義兼が、建久7 (1196) 年自らの邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が、堂塔伽藍(がらん) を建立し、足利一門の氏寺とした。
 周囲に土塁と堀をめぐらした寺域は、ほぼ正方形で、約4万平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷(平城) の面影を今に伝え、 大正11年3月、足利氏宅跡として国の史跡に指定されている。
 現在は鑁阿寺(ばんなじ)という寺になっており、足利氏ゆかりの建造物が数多く残されている。敷地は一辺が200mほどの、典型的な方形武士館の形状で、周囲には堀と土塁が廻っており、戦国期のような大規模なものではなく、一跨ぎで越えられそうなものだが、雰囲気はよく残っている。
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2007/3/12


當麻寺 Taima-dera Taimadera Temple

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 當麻寺(たいまでら)は、奈良県葛城市當麻にある高野山真言宗・浄土宗の寺である。本尊は、蓮糸大曼荼羅。新西国三十三ヶ所第十一番とされる。
 創始は用明天皇の皇子、麻呂子親王が推古20(612)年に河内の国に建てた、万宝蔵院禅林寺であるとされている。
 白鳳11(681)年、麻呂子王の孫、當麻真人国見の手により現在の地に移され、當麻氏の氏寺としたと伝えられる。
 當麻寺は当初、三論宗の寺院であったが、弘法大師が参籠してから真言宗に変わり、鎌倉時代になって浄土信仰の流行とともに、浄土宗が加わり、それ以降現在まで真言宗と浄土宗の両宗に属する珍しい寺院として存在している。
 中将姫伝説に彩られた「當麻曼荼羅」と牡丹の花でも名高い。
 當麻寺は、極楽浄土の霊場でもあり、仏を体感出来る寺である。
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葛井寺 Fujii-dera Fujiidera Temple

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 葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺にある真言宗御室派の寺である。本尊は十一面千手千眼観世音菩薩で、国宝とされている。
 寺伝によると、神亀2(725)年、聖武天皇の発願で行基が創建し、平安時代になって平城天皇の皇子・阿保親王が再興したとされている。
 実際は、百済王族の子孫である帰化人系氏族葛井連(ふじいのむらじ)の氏寺として、8世紀中頃に創建されたと推定されている。
 境内から奈良時代の古瓦が出土する事などから、創建が8世紀頃であるのは間違いない。
 永正7(1510)年、大地震によって寺の諸堂が倒壊した。その後修復され、現在の規模になったといわれている。
 葛井寺は、西国三十三箇所5番札所として信仰を集める、藤井寺の地名の起源となる古刹である。
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2007/1/30


奈良墨 Nara-sumi Nara-sumi

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「奈良墨」は、写経や論述などに墨を必要とした朝廷や寺院とかかわりの深かった文化高い奈良の地特有の名産品である。
 起こりは平安時代、大同年間に弘法大師・空海によって唐からその製法が伝えられ、その後室町時代に興福寺の僧が油煙墨を作ったのがはじまりと伝えられる。
 平安時代には、我国の各地でつくられていた墨も、時代の変遷と共に次第に途絶えていった。その中、奈良の墨は、寺社を中心としてつくり続けられたという。奈良時代に藤原氏の氏寺として建立された興福寺で、筆記や写経、春日版と言われる木版摺りの経典に使う墨などの生産を一手にひきうけていたのだ。
 千年以上を経た歴史が実証しているように、何十年、何百年も文字を残そうとするなら、和紙に墨を溶かして書くのが一番いい。パソコンが普及した今でも、墨は未来に受け継いでいくべき伝統工芸品である。
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