NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/25


巫女 Miko 

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 巫(かんなぎ)という言葉には、両手を胸に合わせて行う礼という意味合いがある。この言葉が示しているように、古代において巫女(みこ)は、神に仕え祈祷や神意を伺い、神託を告げる女性のことを示していたという。
 現在は、神社で神事の補助・参拝者の対応・社務所等での作業などを行う女性を指している。
 衣装は、白い小袖に赤い緋袴(ひばかま)・草履というスタイルが多い。結婚式や祭りで神楽舞を奉納する場合もあり、その際は薄手の布でできた千早(ちはや)を羽織り、髪にはかんざしや冠を付ける。神社によって様々な、色合いや飾りがあるとされている。
 神社本庁傘下の神社に神職として奉仕する場合は、本庁の発行する神職資格が必要になるが、巫女になる為の公的な資格は現在のところ存在しないという。
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2007/9/11


雄勝法印神楽 Ogatsu-houin-kagura 

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 雄勝法印神楽(おがつほういんかぐら)は、宮城県石巻市の旧雄勝町周辺に伝わる、民俗芸能の神楽舞である。
 法印神楽は宮城県北東部一帯に分布する神楽の一種で、法印と呼ばれた修験者によって行われた加持祈祷の儀式である。
 悪霊退散や五穀豊穣を祈って舞われ、その地方の特色を今も色濃く残す芸能である。
 雄勝法印神楽も、古くは山伏神楽や大乗神楽と呼ばれ、修験者である山伏が、一子相伝に則って口伝で伝承してきたものである。
 法印神楽にも能のように流派があり、大別して羽黒派、本山派、当山派の三つに分けられるが、雄勝法印神楽は羽黒派に属する神楽である。
 日本書紀や古事記などの神話物語で構成された、地方的特色の顕著な舞は大変貴重な文化遺産であり、雄勝法印神楽も平成八(1996)年に重要無形民俗文化財に指定され、今も地域の人々によって、大切に受け継がれている。
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江島法印神楽 Enoshima-houin-kagura 

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 江島法印神楽(えのしまほういんかぐら)は、宮城県牡鹿郡の江島地区に伝承されている神楽である。
 大正八(1919)年、当時の江島区長が、登米地方から師匠を呼び、神楽を習わせたのが始まりとされている。
 岩手県南部から宮城県北部に伝えられた戸倉流神楽と、隣接する地区の寺崎流神楽の流れを汲むものとされ、四方を海に囲まれるという江島の地理的条件から、他地方では根絶した型や曲目が良く保存されている。
 本来なら修験者である法印たちの五穀豊穣や無病息災などの祈祷の儀式である法印神楽だが、漁師の多い江島においては、冬場の荒れた海に船を出せず、波が落ち着くまでの間、娯楽の一つとして舞われていたという。
 古代布の装束を着け、「古事記」を題材にした一五番の演目を神言風という詞章を唱えて舞う。
 浜の気性を感じさせる力強い演舞は、他の神楽とは一線を画すものであり、県の無形民俗文化財に指定され、保存会によって今も大切に伝えられている。
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波伝谷獅子舞 Hadenya-shishi-mai 

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 波伝谷獅子舞(はでんやししまい)は、宮城県南三陸町の戸倉波伝谷地区に昔から伝わる伝統行事であり、春祈祷との別名も持つ。
 執り行っているのは、契約講と呼ばれる相互扶助による寄り合いの人々である。
 毎年の三月第二日曜の早朝から行われる、この地区独特の邪気祓いの儀式であり、かつては旧暦の二月一五日に行われていたものである。
 儀式当日の早朝から、獅子頭を朝日に直面させて遥拝した後、東の村境へ移動してお札を竹に挟んで立て、御幣を飾った榊を先頭に地区の家々を巡りはじめる。
 家主は必ず豆腐を一丁用意しておき、訪れた獅子はこれを噛んで吐き出し、酒で清める。
 そうして家々を回り、西の村境に到着すると、海岸に榊を立てて太鼓を打ち鳴らして石を投げつける。獅子はこの時、大きく口を開いて邪気を吐き出し、榊が倒れると同時に口を閉じる。閉じられた口は翌年まで、絶対に開かない。
 頑なに閉じられた口は、派伝谷に邪気を寄せ付けない、強い意志を物語っている。
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2007/9/7


田束山 Tatsugane-san 

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 宮城県本吉郡南三陸町に位置する田束山(たつがねさん)は、かっては霊峰田束山として奥州平泉で栄華を極めた藤原一族が崇拝していた山である。
 そのため、山頂からは平安時代末期の藤原氏ゆかりの経塚群などが多く出土し、平泉文化を研究するうえでも貴重な場所である。
 山腹には三十三観音や不動明王が並ぶ石像公園や、しあわせの森、ふれあいの森公園などが設けられ、市民の憩いの場ともなっている。
 特に、五月のつつじ、六月のアヤメと初夏の田束山には見所が多く、たくさんの人々で賑わいをみせている。また、山頂から見るリアス式海岸も美しい。
 五月には僧侶と山伏による盛大な護摩祈祷も行われる。
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松沢山光明院 火まつり Matsusawa-yama-koumyou-in Hi-matsuri Fire Festival at Matsuzawayama

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 宮城県の最南端の町、丸森町は阿武隈山地に囲まれた、自然豊かな町である。また、歴史的な遺稿や文化が数多く残る町でもある。
 その町に、本山修験宗「松沢山光明院(まつざわやまこうみょういん)」が今も残る。ここに古くから伝わる例祭、「松沢山の火まつり」があり、毎年四月二九日に奉納されている。
 鳥海山の山伏から伝わった儀式とされる「火まつり」は、「火渡りの儀式」とも呼ばれ、心身の罪・悪行・病気・災難などを焼き捨てるため、山伏や一般参拝客が祈りながら裸足で火の上を渡るというものである。
 夕暮れの境内に張られた結界、その中央の護摩壇(ごまだん)に点火されると、勢いよく赤々とした炎が夜空に燃え上がる。その周りには祈祷を唱える山伏達が鎮座している。
 火が下火になり、灰が平らにならされると、まず山伏衆による火渡りの儀式が始まる。その後、一般の参拝者達による儀式が行われる。危険も伴うため、皆の表情は真剣そのものであるという。
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2007/8/20


貴船祭り Kifune-matsuri 

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 神奈川真鶴町で毎年七月二七、二八日に行われる「貴船祭り(きふねまつり)」は、神輿を乗せた船が海を渡り、豊漁や海運の安全を願う。日本三大船祭りの一つで、その歴史は一七世紀まで遡る。
 およそ一一〇〇年前、真鶴岬の沖合いから一隻の屋形船が流れ着き、それをある翁が見つけた。その船を調べてみると、木像一二体と書状が添えられてあり、翁と村民達は力を合わせ社を建造、鎮守の神として祀ったのが「貴船神社」と伝えられている。
 その後、船に神霊を移して港内の漁船や石船の祈祷をして回り、神輿が村を渡御する様になった。
 貴船神社から出された神輿は船に乗せられ、装飾を施した豪華な船など数隻を従えて対岸のお返殿に運ばれる。そこで一晩を過ごし、翌日になると周辺の町民に担がれ町内を一周、再び神社に戻る。
 神事舞踊や鹿島踊りの奉納で盛り上がるこの祭りは、平成八(1996)年に国重要無形民俗文化財に指定されている。
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鶯沢神楽 Uguisuzawa-kagura 

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 目は鏡のごとく照り輝き、背びれ尾びれをたなびかせた大蛇をキラリと光る刀で打ち砕く。
 鶯沢神楽(うぐいすざわかぐら)は栗原市鶯沢地区に約150年前から伝わる伝統神楽である。
 宮城県北部、岩手県の信仰地であった岩手県一関市萩荘の自鏡山金剛院では、古くから祈祷として山伏神楽が奉納された。これが明治以降一般民衆に広がり、踊られる事によって、神々しい中にもストーリー性豊かで華やかなリズム、民謡調のセリフ回しなど、親しみのある南部神楽となったとされている。
 鶯沢神楽は、この南部神楽の師匠を招き習得したと言われており、このきらびやかな南部神楽の特色を強く持っている。
 現在は創作仕組舞として、弁慶安宅の関、扇の的、宝剣の納め盗み取り、大蛇退治などの演目があり、保存会が活発な活動を行っている。
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