NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/1


鎌田流棒の手 Kamata-ryuu-bou-no-te Kamata-ryu Bo-no-te

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 天正の時代、岩崎城主丹羽勘助氏次(にわかんすけうじつぐ)が領民達の武術の指南役として鎌田兵太寛信(かまたへいたひろのぶ)を家臣として迎えた。寛信は武術の達人で特に棒術を得意としていた浪人であった。
 後に「小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)」においては勇戦した寛信であったが、戦後は戦没者の供養のため仏門に入り諸国を行脚した。
 郷里尾張を訪れた際、村民の懇願で、当地に鎌田流の道場を開設。やがて「鎌田流棒の手(かまたりゅうぼうのて)」は三河地方にも広まっていった。
 その後、農民の戦力であった棒の手は長い歴史を経て、農村の若者が演ずる農民芸能として神社の祭礼に奉納される行事となっていった。
 独特の掛け声で一・一メートルの棒を操る勇壮な姿は見物である。県の無形文化財に指定され、次の代に伝えるべく熱意を持つ人々によって今もなお技が磨かれ受け継がれている。
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2008/7/30


棒の手 Bou-no-te 

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 「棒の手(ぼうのて)」は愛知県に古くから伝わる、代表的な民俗芸能の一つで、剣術や棒術など武術の形を踊りにした、いくつもの流派を持つ日本舞踊である。
 棒の手の起源は定かではないが、一説によると本郷城主、主丹羽若狭守氏清(たんばわかさのかみうじきよ)が、農民達に武術を習得させたのが始まりだといわれている。丹羽氏の勢力と共に各地に広まったとする説や、修験道の影響が大きいとする説もある。
 以来、棒の手は若者衆により受け継がれ、小学校卒業から一六歳頃までの一定の年齢に達した男子は、青年会などの組織に入り、棒の手の手習いを受けたという。月に六回練習日を決めて通い、三年または六年目にしてようやく、年齢、技量、人格が備わった者にのみ免許が与えられる、厳しい道であったとされる。
 現在も県内各地でその各流派の伝統が守り続けられており、木刀や槍、薙刀などを使った迫力のある技が披露されている。
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2007/10/1


猿投神社 Sanage-jinja Sanage Shrine

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 猿投神社(さなげじんじゃ)は、愛知県豊田市猿投町大城にある神社である。祭神は大碓命(おおうすのみこと)。三河国の三宮とされる。
 創祀年代は仲哀天皇元(192)年とも伝わるが、実際にはよく分かっていない。記録に残るはじめでは、仁寿元(851)年、従五位下に叙されたとある。
 標高629mの猿投山麓に鎮座し、猿投神社を本社として猿投山東峯に東宮、西峯に西宮があり、古来、猿投三社大明神と称された。
 祀られている大碓命は日本武尊の双子の兄であり、日本書紀では景行天皇による東征の命を拒み、古事記では悪行の後に日本武尊に殺されたと伝えられる。
 社記によると、大碓命は猿投山中にて蛇毒の為に死亡し、山上に葬られたという。
 左鎌を奉っており、毎年一〇月に「棒の手」が披露、奉納される。
 猿投神社は、日本書紀・古事記にも関連する古社である。
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桜井町の棒の手 Sakurai-cho-no-bou-no-te Bo-no-te in Sakurai Town

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 桜井町の棒の手(さくらいちょうのぼうのて)は、愛知県安城市桜井町に伝わる民俗芸能である。
 戦国時代、桶狭間の戦いで織田信長の奇襲により破れた今川方の武士、式部太夫(しきぶだゆう)が戦の後もこの地に留まり、自衛のために農民に棒術を教えたこと始まりと言われ、当時は「式部流(しきぶりゅう)」とよばれた。
 やがて太平時代を迎えると、棒の手は五穀豊穣を願って奉納されるようになった。
 演技は棒のみを用いる「表」と、槍や十手、鎌などのキレモノを用いる「裏」がある。
 棒の手は現在まで大切に受け継がれ、地元の小学生による演技も上演されるようになった。
 昭和三九(1964)年に県の無形民俗文化財の指定を受ける。
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2007/8/6


くしふる神社大祭 Kushifuru-jinja-taisai Kushifuru-jinjya Shrine Festival

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 くしふる神社大祭(くしふるじんじゃたいさい)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井のくしふる神社にて毎年10月に開催されている祭りである。
 くしふる神社は、創建年代は不詳で、はじめは社殿もなく山そのものを神体として祀っていたが、元禄七(1694)年、延岡藩主や村人たちの厚い信仰によって社殿が建てられた古社である。祭神は、天津日子彦番火邇々杵命(あまつひこひこほのににぎのみこと)。
 大祭の見所である御神幸行列では、みこしや神楽隊など600人を超える大行列が、くしふる神社から高千穂神社までの市街地往復約2・6kmを練り歩く。
 350年以上の伝統を誇る奉納宮相撲は、午後から境内相撲場であり、乳幼児が泣き声を競って健やかな成長を願う「うなり相撲」の他、棒術隊に神楽隊の行進、弓道大会なども開催されている。
 くしふる神社大祭は、長い伝統を誇る勇壮な祭りである。
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