NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/17


内田敏郎 Tosirou Utida Toshiro Uchida

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 1925年、東京都台東区生まれ。東京銀器の伝統工芸士。
 古くから独特の光沢と趣で珍重されてきた銀製品。現在、それらの九割が東京でつくられている。
 東京銀器は、絵柄の部分を切り抜き、銅や赤銅などの別の金属をはめ込む切嵌(きりばめ)の他、鍛金、彫金など、江戸時代に培われた技術・技法で、渋い艶と輝きの品々を生み出している。
 1946年より父・宇三郎氏のもとで鍛金技法を、さらに小川友衛氏のところで切嵌技法を修行。現在、鍛金の切嵌作家として活躍。切嵌を得意とする現代の銀師(しろがねし)である。
 1984年、通商産業大臣指定伝統的工芸品「東京銀器」伝統工芸士認定(鍛金部門)。
 1988年、東京都伝統工芸士に認定(東京銀器)。同年、東京都優秀技能者として表彰される。
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2007/2/8


銅水瓶 Dou-suibyou 

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 全国で重要文化財工芸品として指定されている水瓶。
 愛知県実相寺、滋賀県宝厳寺、奈良県東大寺、広島県尾道市などで保存されている。
 愛媛県上町、実相寺の銅水瓶は、鎌倉時代から南北朝時代に作られたものとされている。
 水瓶はもともとは僧侶が仏道修行に必要とする用具のひとつであった。その後供養具として仏前の献水に用いられるようになった。
 実相寺の水瓶の特徴は、朝顔形の口、細くくびれた頸、卵形の胴、基部に蓮華を飾った注口などで紐状の飾りを周囲に施されている。
 材質は「鋳銅製」で色は黒色である。
 全国にある水瓶の形は、微妙に違い、またそれによって用途も様々である。
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2007/1/29


増田三男(人間国宝) Masuda Mitsuo Mitsuo Masuda (Living National Treasure)

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 明治四十二(1909)年4月24日、埼玉県に生まれる。平成三(1991)年、重要無形文化財「彫金」の保持者に認定される。
 東京美術学校(現東京芸術大学)金工科彫金部を卒業後、富本健吉の指導を受けながら数々の作品を世に出してきた。
 彫金とは、ノミなどを用いて、金工品の素地を彫ったり打ち出したりして装飾する技法をいう。氏の作品は、銀・銅・黄銅・鉄などを打ち出して成形した壷や箱に、自然からヒントを得た模様を彫りこんだ、季節感に富んだ点に特徴がある。特に、めっきを施した作品が高い評価を得ているという。
 かつて氏が浦和高校で教鞭を取っていた際、「人間は素質だけではなく努力だ。努力できることこそが才能だ」と語ったとか。その言葉通り、七〇年あまりもの間第一線で活躍してきた氏の作品には、「美」の表現者としての志が生き生きと息づいている。
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大澤光民(人間国宝) Oosawa Komin Osawa (Living National Treasure)

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 昭和16年、銅器産業の地、富山県高岡市に生まれる。平成17年、「鋳金(ちゅうきん)」の重要無形文化財として認定された。
 鋳金は金属を溶かして鋳型に注入し、器物を鋳造する金工技術。弥生時代以来の長い歴史を持ち、鋳型の造形法により惣型(そうがた)、蝋型(ろうがた)、砂型(すながた)、焼型(やきがた)などに分類できる。
 焼型鋳造は複雑な造形作品や大型の銅像などを鋳造できるが、すべての工程に経験と高度な技術が求められる。
 氏は、焼型鋳造に精通し、新たに独自の「鋳ぐるみ技法」という、器の表面に模様を表す技法を研究、独自の作風を確立してきた。以来、線と点などからなる幾何学模様の美を追求している。ひとつの作品を作るだけでも作業が深夜におよぶ日もしばしばだが、「本当に一生懸命やっていると、ふっと新しいことが頭に浮かぶものだよ」と語る氏の笑顔は清清しい。
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2007/1/24


近水園 Omizuen Omizuen

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 近水園(おみずえん)は、旧足守藩主木下家の庭園。旧藩邸の背後に続く宮路山の麓に造られた、池を中心とした池泉回遊式の築庭方式を取っている。
 造営時期は定かではないが、6代藩主木下キン定の18世紀初めと推定されており、県下では岡山市の後楽園、津山市の衆楽園と並ぶ大庭園だ。
 池のほとりには、池に乗り出すように数奇屋造りの「吟風閣(ぎんぷうかく)」が建てられている。ここから見渡す庭の眺めは宇野山を借景とした眺望が開け、格別美しいという。吟風閣は、京都御所を築く際の残材で建てられたもので、当時は茅葺の切妻屋根だったが現在は銅板葺きになっている。
 ほかに、この地ゆかりの歌人、木下利玄の歌碑や隠れキリシタンのマリア灯篭も見ることができる。
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2007/1/11


直島ヤマツツジ Naoshima-yamatsutsuji Naoshima-Yamatsutsuji (Naoshima Mountain Azalea)

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 香川県香川郡直島という、おおよそ本州側に近い瀬戸内海にある小さな島では、ヤマツツジが「町花」
 となっている。
 毎年3月末から5月にかけ、山の斜面はピンク一色のヤマツヅジで覆い尽くされる。
 俗称としてこの地では「直島ヤマツツジ」と呼ばれる。この地にゆかりのある「宗徳上皇」がこよなく愛した花であると言われている。
 大正時代、銅精錬所が造られると、煙害汚染が進み、たちまち島の北半分は禿山と化した。そんな苦い経験からか、今ではリサイクルや緑化に感心が集まっている。
 現在、観光地、リゾート地として力を入れている直島は、「みどり創生」と題し植樹林を積極的に行っている。2004年に島の8分の1を焼失した大火災後の跡地などに植樹されている種は、この直島ヤマツツジが代表的な種のひとつである。
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2007/1/9


京都 金属工芸品 Kyoto Kinzokukougeihin Kyoto Metal Crafts

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 金、銀、銅、鉄、真ちゅうなどの金属を、「溶かして型に流し込む」、「たたく」、「彫る」などの技法を使って形作り、表面を加工して仕上げるのが金属加工品だ。平安時代から京都に伝わり、千二百年の歴史を誇る伝統工芸品だ。
 奈良時代、仏教の興隆とともに寺院や仏像が増え、それに伴って金工技術が発達した。平安時代に京都遷都が行われると、金工師たちは奈良から京都へ移り住み、武具や貨幣、大がかりな鋳造品まで様々な金属工芸品が作られるようになったという。以来、金属工芸は京都の洗練された美意識と文化によって育まれ、造形の美しい緻密な装飾が特徴の独自の技術を発達させてきた。
 生活に必要な鍋や釜から鐘などの神仏具、細かい手仕事によるアクセサリー。現代では様々な金属工芸品が作られ、それぞれの用途に応じて洗練された意匠と高度な手工業技術を発揮している。
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