NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/30


メンドン Mendon 

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 鹿児島県指宿市山川利永の利永神社では、毎年一月一六日にメンドンという伝統行事が行われる。
 主人公はメンドンに扮する若者数人。女装や奇抜な服装になり、ほおかむりに顔はオカメ、ヒョットコ、鬼、天狗等の面を付けて、大根を手に人々を執拗に追い掛け回す。大根には先にヘグロという真っ黒いススが付いている。メンドンはこのヘグロがたっぷりついた大根を町民、見物人、通りすがりの車の運転手等に遠慮なくなすりつけてしまうので、見物人は次々に真っ黒になっていく。しかしこのススを塗られると、子供達はより元気に、大人たちは無病息災で一年を過ごせると言われている。
 この風習はお伊勢講の際に、伊勢神の御利益にあずかろうと神輿に集まった村人に、いたずら好きのメンドンが現れた事からはじまり、疱瘡(ほうそう)除けなどの要素も入って今の形に発展したという。
 メンドンの言葉の由来は定かではないが、とてもユニークな行事である。
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2007/11/29


高千穂神楽面 Takachiho-kagura-men 

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 宮崎県の高千穂地方に伝わる岩戸神楽。その神楽で使われるのが「高千穂神楽面(たかちほかぐらめん)」である。
 高千穂地方は神々のふるさと、神々の里として全国に知れわたり、天岩戸地区は岩戸開きの伝説の地としても有名である。
 高千穂神楽面には、神楽舞用と装飾用があり、神楽舞用には軽い桐が、装飾用には香りのよい楠が使われる。鑿(のみ)で彫る一刀彫りでほとんどが手作業で仕上げられていく。
 特に難しいのは「生きた表情」を出すこと。職人の技によって作り出される繊細な表情は内外から高い評価を受けている。そのポイントの一つは木目をいかすことにあり、そのためには長年の経験と技術を要する。
 装飾用の面としては、手力雄命(たじからおのみこと)と天鈿女命(あめのうずめのみこと)が主に作られている。二人の神は開運招福の神として人気があり、最近では観光の土産として、また、縁起の良い贈答品として人気を集めている。
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宮崎手漉和紙 Miyazaki-tesuki-washi 

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 宮崎手漉和紙(みやざきてすきわし)は江戸時代から受け継がれた独自の工法を持ち、一枚一枚丹念に手で漉いて作られる貴重な和紙である。
 特に宮崎県日向にあった高鍋藩では紙の原料である楮(こうぞ)や三椏(みつまた)が多く群生し、美しくおだやかな石並川の流れが楮をさらすのに適していたため、藩の奨励産物として手厚く保護され続け、和紙は藩の重要な産物となっていた。
 宮崎手漉和紙の特徴としては、手作りの温かさ、独特の柔らかい手触りと、同時に強さを兼ね備えている。現在でも宮崎手漉和紙は便箋もとより凧、お面など色々な工芸品の材料としても使用されている。
 昭和六〇年には宮崎県伝統工芸品の指定を受けている。
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2007/10/5


秋葉まつり Akiba-matsuri Akiba Festival

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 知立神社(ちりゅうじんじゃ)は池鯉鮒大明神(ちりふだいみょうじん)とも呼ばれ、江戸時代には東海道三社のひとつに数えられた。境内には室町時代に建てられた多宝塔(国指定重要文化財)をはじめ、舞楽面、能面、獅子頭面などの貴重な文化財が多数残されている。
 知立神社の祭りはいくつかあるが、毎年九月に行われる「秋葉(あきば)祭り」は、敷地内に鎮座する秋葉神社の例祭である。春の知立神社大祭に対応した秋祭りとして、神楽や人形浄瑠璃などを奉納していたことが、宝暦六(1758)年の祭礼帳に記録されている。
 明治四〇(1907)年頃には手筒花火の奉納が始まり、以降、花火が秋葉祭りの中心となった。日中は市内にある西町、山屋敷町、宝町、山町、中新町、本町の六町の若衆が、花火玉に見立てた石を入れた玉箱をかつぎ、「長持ち歌」を歌いながら威勢よく町内を練り歩く。夕方になると知立神社に宮入りをし、円陣を組んで勇壮な手筒花火や打ち上げ花火を披露する。
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2007/9/28


武蔵御嶽神社 太々神楽 Musashi-mitake-jinja Daidai-kagura Musashi Mitake Shrine Daidai Kagura Dance

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 武蔵御嶽神社太々神楽(むさしみたけじんじゃだいだいかぐら)は、東京、奥多摩にある御岳山の山頂に鎮座する武蔵御嶽神社に江戸時代から伝わる神楽である。
 東京都荒川区にある真崎稲荷から伝わったといわれ、出雲神楽の流れを汲む。
 同神社には今も信徒の集まりを表す「講」が多数存在する。そうした講の人々の参拝方式として神楽を奉納するのが最も格式が高いといわれており、太々神楽はその際に舞われているものである。
 素面神楽と面神楽があり、面神楽は古事記などの神話を基にした物語のあるもので、素面神楽はその場を祓い清め、邪悪を鎮めるために舞い歩かれる。
 それぞれ演目が一二座あったが、現在は合わせて一七座が継承されている。
 太々神楽は、神にご覧頂くものという考えから、舞いの出と入りに拝み込みという独特の所作があり、また、全て神前に向かって舞われるのも特徴である。
 講の人々に守られながら、神と共に人も楽しむという神楽の本質を今に伝えている。
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2007/9/19


成川神舞 Narikawa-kanme 

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 成川神舞(なりかわかんめ)は、鹿児島県指宿市山川成川の成川南方神社にて、三年に一度、一〇月二七日前後に行われる神事である。
 成川南方神社は、創建年は不明ながら古くからこの地に建つ神社で、祭神は建御名方命(たけなかたのみこと)。
 成川神舞はお諏訪さんと呼ばれている南方神社に伝わる神楽で、以前は国家・神社や氏子に事ある時に神事を行い、その最後に神舞を奉納していた。
 成川神舞の起源は不明だが、慶安二(1649)年、藩主・島津家久の前で神舞を舞ったとの記録が残る為、慶安から万治年間(1648~1661)には成立していたと思われる。
 初日と二日目に、グレと呼ばれる神輿が家々を御神幸する神事を行い、二日目の夕刻から二〇番以上ある神舞が奉納される。
 成川神舞は、勇壮な中にも優雅さが感じられる郷土芸能である。
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2007/9/13


皿貝法印神楽 Saragai-houin-kagura 

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 皿貝法印神楽(さらがいほういんかぐら)は、宮城県石巻市の皿貝地区に伝わる伝統芸能である。
 その起こりは、元和年間(1615~1623)に本吉郡戸倉村から伝えられたものだといわれ、現在は皿貝大日婁神社(さらがいおおひるめじんじゃ)と称する本山派修験成就院の法印であった久峯重光が、京に上った際に取得した能を原型に、「古事記」を台本として編み出したものと伝えられている。
 演舞番数は全部で三三番あり、主に日本書紀や古事記などの神話を題材としている。現在では三三番中、一五番が伝承され、荒舞を得意とする神楽としても知られている。
 舞台には本舞台の二間後方に、一段高く附舞台を設けるのが特徴で、そうした特設舞台で旧暦の六月一五日の大日靈神社(おおひるめじんじゃ)例祭の他、近郷の祭礼などで演じられている。
 平成二(1990)年には、県の無形民俗文化財に指定され、皿貝地区の大日婁神社の氏子たちによって、今も大切に守り継がれている。
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2007/9/10


霧島九面太鼓 Kirishima-kumen-daiko 

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 霧島九面太鼓(きりしまくめんだいこ)は、鹿児島県霧島市にて行われる伝統芸能である。
 霧島市には霧島連峰があり、その中の高千穂峰には天孫降臨の神話が伝わる。
 昭和四七(1972)年、霧島九面太鼓は霧島温泉商工会青年部の若者たちによって創作された。
 霧島神宮に宝物として保存されていた九人の神様の面と云われる天狗面を使い、天孫降臨の神話にちなんで天降りの打法、演舞など基本的な所作を振り付け、演奏したのである。
 元旦の午前0時からと2月11日、霧島神宮本殿前で霧島の神話をモチーフにした曲を熱演する。
 また、国内各地の有名な太鼓を招いての霧島高原太鼓まつりは夏の催事として定着し、毎年各地から訪れるたくさんの聴衆を魅了している。
 霧島九面太鼓は、太鼓の音も神秘的な郷土芸能である。
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