NIPPON Kichi - 日本吉

記事数189件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/10/2


大慈禅寺 Daijizen-ji 

Jp

 大慈禅寺(だいじぜんじ)は、熊本市の南部に位置し、古くから九州の曹洞宗の本山として人々の篤い信仰を集めてきた古刹である。
 創建は鎌倉時代の弘安元(1278)年。曹洞宗の開祖である道元禅師の高弟寒厳(かんがん)禅師(順徳天皇の第3皇太子)により開山された。
 開祖当時より時の権力者の庇護を受け、敷地4町の寺域内には殿堂僧房が立ち並んでいたという。また、この寺は数々の寺宝を持ち、寒厳義伊文書四類と梵鐘は国の重要文化財だ。その他掛け軸や仏像、宝筐印塔などの石造物の多くが県の重要文化財に指定されている。
 境内には、種田山頭火や夏目漱石の句碑が立つ。大慈禅寺の凛としたその品格のある存在感が、歴史的文化人たちに愛されてきたのである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/27


蟇股(かえるまた) Kaeru-mata 

Jp

 蟇股(かえるまた)は、木造建築物などで、横に渡された梁など上からの加重を支える構造材の一種で、カエルが足を広げて踏ん張っているような形をしていることから、この名が付いたとされる。
 日本で独自に発達した、和様建築のみに見られる構造であり、元々は機能優先のものであったが、次第に装飾としての意匠も施されるようになった。
 平安時代に入ってからは、本来の構造材としてよりも装飾を施す目的で用いられるようになり、意匠材としての役割を果たすようになっていく。
 室町時代以降はその意匠も華美を極め、厚い板の表面に彫刻を施した「板蛙股」や内部をくりぬいて透かし彫りとした「本蛙股」など、現代にも残る国宝級の建物にも、そうした豪奢な意匠が数多く見受けられる。
 神社やお寺に赴く機会があるならば、豪華な伽藍だけではなく、そのほんの一部である蟇股に注目して巡ってみるのも面白いかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/15


一之宮 貫前神社 Ichinomiya Nukisaki-jinja 

Jp

 上野國一之宮。延喜式神名帳では名神大社に列する。
 一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)の開基については諸説あるが、安閑天皇の元(531)年頃と言われ、一般に多胡碑(たごひ)などで知られる甘良(甘楽)の谷の帰化人集団が祀ったのが始まりと見られている。
 赤城神社から一之宮の称号を譲られたと言われ、渡来系氏族による古代上毛野國征服を表すとも伝えられる。
 もとは貫前神と抜鉾神(ぬきほこのかみ)の二社二神であったが、両社が一社と混同されるようになったので明治に入り貫前神社と名乗り、戦後の社格廃止に伴い一宮貫前神社と改称したと言われる。
 参道を上り正面の鳥居をくぐって急な石段を下ったところに社殿が有る、という特異な構えが特徴で、勅額鳥居の東隣等に神宮寺跡の石垣が残る。社域は約九万平米。総門から見下ろす朱塗りの社殿と社叢の調和には息を飲む。
 寛永一二(1635)年に徳川幕府によって造営された、本殿、拝殿、楼門は重要文化財に指定されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/8


旧取手宿本陣 Kyu-toridejuku-honjin Old Toridejuku Honjin

Jp En

 貞享四(1687)年に、水戸街道を通る大名などが利用する宿である本陣として取手宿の名主である染野家が選ばれた。それが旧取手宿本陣(きゅうとりでじゅくほんじん)である。
 寛政六(1794)年に一度焼失、翌年に立て直されたものが現在の母屋である。
 寄棟茅葺、桁行19m、梁間13・3mの大型の民家だが、式台玄関の上部に入母屋破風を造っており、重厚感を出している。
 内部は、宿泊を行う本陣部分と住宅部分が分かれており、三間続きの間や、書院造りの上段の間等があり、風格を重んじた造りとなっている。
 敷地内には、第9代水戸藩主徳川斉昭が天保一一(1840)年に水戸に戻る途中の利根川での船で詠んだ唄「指して行 さほのとりての渡し舟 おもふかたへは とくつきにけり」と、石に刻んだ歌碑が残っている。この歌碑は、後に江戸屋敷から届けられたもので、水戸徳川家と染野家のゆかりを示している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




八雲本陣 Yagumo-honjin Yagumo Honjin

Jp En

 八雲本陣(やぐもほんじん)とは、出雲地方屈指の地主、木幡家(こわたけ)が代々守ってきた本陣宿で、江戸時代に松江藩主が領土内を見回る際に利用されていた。
 木幡家は酒造業を営みながらも、庄屋をまとめる下郡役も務めたため、名家と呼ばれている。
 敷地一二〇〇坪、建坪八〇〇坪の大きな建物は、享保一八(1733)年に建てられ、当時、旅館として営業されていたが昭和四四年に重要文化財として指定された。
 近年まで料理旅館として営業しており、室内の調度品もすばらしいものが多い。
 八雲本陣は昔の人々の生活が身近に感じられるような、心やすらげる場所である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/14


康楽館 Kouraku-kan 

Jp

 康楽館(こうらくかん)は、明治四十三(1910)年、銅や亜鉛、鉛の鉱山として栄えた小坂鉱山の厚生施設として作られた、木造の芝居小屋である。秋田県鹿角郡小坂町に位置する。
 歌舞伎、新劇、映画等の公開、上演が行われてきたが施設の老朽化やテレビの普及などで衰退、昭和四十五(1970)年には使用を停止されたが、昭和六十(1985)年に市民の手により再興され、現存する日本最古の芝居小屋として、いまも公演が行われている。
 和洋折衷の造りであるが、舞台には花道、切穴、回り舞台などが揃っており、全て人力で稼動する。
 国重要文化財、秋田県指定有形文化財に指定され、明治の息吹を感じながら公演を見ることができる建物である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/15


黒巖山遍照院大日寺 Kokuganzan-henjouin-dainichi-ji 

Jp

 四国霊場第4番札所である黒巖山遍照院大日寺(こくがんざんへんじょういんだいにちじ)は、以前は黒谷寺と呼ばれていたこともあったが、大日如来を本尊とすることから、大日寺と呼ばれるようになったとされる。
 本尊の大日如来は、当時の阿波藩主の蜂須賀家(はちすかけ)の守り本尊であったことから、同家の尊信を厚く受け、元禄年間(1688~1703)に現在の堂塔を修理するなど、手厚い庇護を受けた。
 本堂と太子堂を繋ぐ回廊には、明和年間(1764~1772)に信者が奉納した西国33箇所の木造観音像が安置されている。
 大日寺の手水は、白く濁った湧き水で、これを飲むと胃腸に効果があることから蛤水(はまぐりみず)と呼ばれて親しまれてきたが、現在では透明の水になっている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/31


奈良 柿本神社 Nara Kakinomoto-jinjya Nara Kakinomoto Shrine

Jp En

 奈良の柿本神社は、奈良県葛城市柿本にある神社である。祭神は三十六歌仙の一人、柿本人麻呂で、島根県益田市にある柿本神社本社の摂社にあたる。
 万葉の歌人、柿本人麻呂の生地ともいわれ、各地に散在する人麻呂伝説の一つとなっている。
 石見国で没した人麻呂を宝亀元(770)年に改葬して、社殿を建てたのが始まりという。
 柿本人麻呂は宮廷歌人であり、格調高い作風で万葉集中随一の叙情歌人と言われた。後世、歌聖と称される。
 社殿左側にある墓は江戸時代の造営、また神社隣の影現寺は別寺で、通称柿本寺と呼ばれている。
 本堂には、紀僧正真済作といわれる木造の人麻呂像が安置されているが、非公開とされている。
 奈良の柿本神社は、人麻呂死後数年で創建された、由緒ある神社である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数189件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter