NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/2


寝殿造 Shinden-zukuri 

Jp

 寝殿造(しんでんづくり)は、平安時代における代表的な貴族の住宅建築様式である。
 南向きに建てられた高床式の寝殿を中心として南には庭を敷き、寝殿の左右背後に対屋(たいのや)と呼ばれる付属的な建物が、渡殿(わたりどの)でつながれ、上空から見ると「コ」の字型の建物群が形成されているのが特徴である。
 また、庭には池や築山などが造園され、対屋から更に南に張り出した泉殿(いずみどの)や釣殿(つりどの)が池にかかるように造られた。
 建物内部はあまり仕切られておらず、屏風や簾などで用途に応じて間仕切りしていたとされる。
 万事に広く造られていて、大きな敷地を要するのもこの造りの特徴である。あまり位の高くない貴族であっても一町(120m)四方を標準として、一千坪以上の敷地に建てられていた。
 鎌倉時代に入ってから寝殿造を簡略化した「武家造」や、それを経て造られるようになった「書院造」に至るまで、日本における家屋の代表的な建築様式として今に伝えられている。
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2008/3/18


匂い袋 Nioi-bukuro 

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 匂いに関する文化は世界中に存在し、古来より権力を制した者や身分の高き者は香りを非常に大切にしていたという。
 香りの文化を日本ではじめて取り入れたのは、聖徳太子であるといわれている。匂い袋に関しても奈良時代にはじまり、正倉院の宝物の中に、現在の匂い袋の原点である裛衣香(えびこう)が残されているという。
 匂い袋の中は常温で香りを発散する香原料を刻み、調合して和紙や袋に詰められているのが特徴である。袋を身につけたり、壁や柱につるしたり、禅僧の座傍などにも用いられてきた。また、香原料のうち白壇(びゃくだん)や龍脳(りゅうのう)、丁子(ちょうじ)は防虫効果もあるので、袈裟(けさ)や僧衣(そうい)にもつけられていたという。
 平安時代に入ると貴族たちは個々の香りを出す為に、色々な香原料を工夫したという。香りに関しては源氏物語の中にもしばしば登場する。その後、公家から武家へと香りの文化は受け継がれていったとされる。匂い袋は日本文化の一端を香りで感じるものである。
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2007/11/22


浅沓 Asagutsu 

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 浅沓(あさぐつとは)屋外で執り行われる神事の際に神官が履く靴のことをいう。
 浅沓の歴史は古く、奈良時代の書物にその存在が記されている。もともとは公家や貴族の履物であったと言われている。
 その独特の光沢と重量感から木製であるように思われているが、実は和紙を幾重にも重ねて作られたものであり、内部には布が敷き詰められ、足の甲の部分には絹製の綿が詰められている。靴の表面には漆が何重にも塗られ、見事な光沢が品格すら感じさせる。製造には職人の巧みな技と精神が注がれており、和紙で作られているにもかかわらず、非常に硬く、しっかりした靴となっている。威厳と品格を重んじる神官の靴として独特の趣を醸し出している。
 江戸時代に入ると、伊勢神宮のある伊勢地方でも江戸時代から浅沓の製造がはじまり、現在でも昔ながらの技法を守り作られ続けているという。
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