NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/18


妓王寺 Giou-ji Gioji Temple in Yasu

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 奥嵯峨の祇王寺とは別に、祇王・祇女(ぎおう・ぎじょ)の出身地といわれる滋賀県野洲町にも妓王寺(ぎおうじ)という寺がある。
 平家物語に登場する妓王はこの地に生まれた。父親の戦死後、母とともに都へ向かい、男装して舞いや歌を披露する白拍子(しらびょうし)となる。
 その美貌と優しさから平清盛の寵愛を一身に受けた妓王は、干ばつに苦しむ故郷を救うために、清盛に願い出て水路を掘らせ、一帯は息を吹き返し、有数の米どころとなった。村人たちは感謝を込めてこの水路に「妓王井川(ぎおういがわ)」の名をつけた。
 ある日、仏という美しい白拍子に清盛は心変わりをしてしまう。暇を出された妓王は深く悲しみ、妹の妓女、母とともに尼となって都を離れる。思わぬ結果に「明日は我が身、日が昇ればいつかは沈む。」と悟った仏は、邸を逃げ出し妓王のもとを訪れ、ともに尼となる。
 妓王寺は村人の感謝の念と、妓王と妓女、母親、そして仏の菩提を弔うために建てられたもので、四人の像が安置されている。
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2007/10/15


屋島 Yashima Yashima

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 屋島(やしま)は香川県高松市北東部にある海抜293メートルの半島形溶岩台地である。
 かつては孤島であったが、江戸時代の埋め立て事業により陸続きの地となった。台地の頂上部分が平坦になり、その形が屋根に似ていることから屋島と名づけられたという。
 この地は歴史的にも興味深い場所である。源平の戦いのさ中、戦に破れ西へと移動した平家は、幼少の安徳天皇を拝し屋島を本拠地とした。その後、水軍に勝る平家は一時優勢へと転じたが、この屋島において、源氏の英雄である源義経の奇襲に合い大敗をきすこととなる。この戦いでは、戦場の平家の船に立てられた扇の的を、見事射止めた那須与一(なすのよいち)の話が有名である。
 現在、屋島から見下ろす瀬戸内海の美しい景色が評判で、訪れる観光客は多い。また、室町時代の再建といわれる屋島寺は国指定の重要文化財であり、祀られている蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)は四国総狸の大将として崇められている。
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2007/9/13


日向十五夜祭り Hyuuga-jyuugoya-matsuri Jugoya Festival (Moon Festival) in Hyuga

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 日向十五夜祭り(ひゅうがじゅうごやまつり)は宮崎県日向市で毎年中秋の名月の頃に催される祭りで、人々からは「十五夜さん」とよばれている。
 日向市あげての祭りであり、見立細工や花屋台が奉納され、舞踊隊が道一杯を練り歩くことで有名である。沿道では多数の人々が見物し、県外からも多くの観光客が訪れる。
 この祭りのルーツは、壇ノ浦の戦いで、椎葉に逃げ落ちた平家の武者を追ってきた、那須与市(なすのよいち)、工藤祐経(くどうすけつね)の二人の武将がいた。彼らが兵士の士気を高めるため、鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮から勧請し建てた、富高八幡宮の祭礼が始まりといわれている。
 近年では日向市に八百年前から受け継がれている日向十五夜太鼓も組み込まれ、まつりの雰囲気を一層盛り上げている。
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2007/6/21


能面 十六 Noumen Juroku Noh Mask Juroku

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 十六(じゅうろく)とは若い武将、平家の公達といった男性を表現する能面の一つである。
 嘉応元(1169)年から元暦元(1184)年に生きた平敦盛をモデルとしている。
 「十六」という名称の由来は、平家物語に描かれる一ノ谷の戦いで熊谷直実に討れ、十六歳の若さでこの世を去った平敦盛の年齢からつけられたとされている。
 若き青年の多感さをかもし出しており、かわいらしいえくぼや、輝かしい瞳、そして女性の面に見られるような上品な雰囲気も特徴である。
 能面「童子」が一五夜の月の面と呼ばれるのに対し、一六夜の月の面とも呼ばれる。
 平敦盛を描いた「敦盛(あつもり)」で使用されるほかに「朝長(ともなが)」「経正(つねまさ)」等の曲に用いられる。
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2007/6/18


能面 俊寛 Noumen Shunkan Noh Mask Shunkan

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 能で使う男性の面の一つ。能、「俊寛」で使用する。
 俊寛(康治二(1143)年~治承三(1179)年三月二日(4月10日))は、平家物語に登場する僧。
 平安時代後期の真言宗の僧である俊寛が、平氏打倒の陰謀を藤原成親、平康頼らと企てたのがばれ薩摩国の鬼界ヶ島に流された。
 藤原成経、平康頼は、千本の卒塔婆を作り海に流したものの一本が安芸国厳島に流れ着き、平清盛が恩赦を行った。藤原成経、平康頼は赦されたが、卒塔婆を作るのに加わらなかった俊寛は陰謀の張本人だということから、島に一人取り残されてしまい、悲観して食を断ち自害したとされる悲劇から世阿弥が俊寛を作ったとされている。
 強い悲しみに疲れ果てていることが表現されている面である。
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2007/4/24


寂光院 Jyakukouin 

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 寂光院は京都府京都市左京区大原地区にあるお寺である。
 594年、聖徳太子が御父の用明天皇の菩提のために創建したといわれているが、草創は複数存在しており定かではない。平家物語で知られる平清盛の娘「建礼門院徳子(けんもんれいいんのりこ)」が余生を送った場所として有名である。
 平成十二(2000)年に火災で本堂と、本尊である六万体地蔵尊が焼失。しかし像内納入品は無事で、木造地蔵菩薩立像は、重要文化財に指定されている。
 本堂西側にある庭園は、平家物語当時のままであると言われ「心字池」「千年の姫小松」「苔むした石」「汀の桜」などがある。北側にも回遊式四方正面の庭がありいずれもシンプルな美しさがある。
 情緒あふれる静かな美しさを感じる、雰囲気のあるお寺である。
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