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天台宗の開祖・最澄が延暦一三(794)年に開いたと伝えられている。これより六年前に建立された比叡山延暦寺の東門に当たることから東門院(とうもんいん)と呼ばれ、桓武天皇により比叡山を守る寺に名号されたことから守山寺(もりやまでら)とも呼ばれている。所在地名の守山はこれに由来するという。
江戸時代には朝鮮通信使特使の宿舎にもなったが、昭和六一(1986)年に本堂、庫裏が火災で全焼。本堂に安置され傑作と賞賛された十一面観音像も同時に焼失したが、平成二(1990)年に本堂を再建、十一面観音像も修復された。
焼失を逃れた護摩堂本尊の不動明王坐像、境内の片隅にある鎌倉時代の石造五重塔は国の重要文化財に指定され、その他の美術品とともに、千二百年余りに及ぶ寺の歴史を物語っている。
江戸時代には朝鮮通信使特使の宿舎にもなったが、昭和六一(1986)年に本堂、庫裏が火災で全焼。本堂に安置され傑作と賞賛された十一面観音像も同時に焼失したが、平成二(1990)年に本堂を再建、十一面観音像も修復された。
焼失を逃れた護摩堂本尊の不動明王坐像、境内の片隅にある鎌倉時代の石造五重塔は国の重要文化財に指定され、その他の美術品とともに、千二百年余りに及ぶ寺の歴史を物語っている。
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