NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/31


退蔵院 Taizouin 

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 京都の庭園の中でも名園といわれているのが退蔵院(たいぞういん)である。
 臨済宗妙心寺派の塔頭の一つで、応永一一(1404)年、越前の豪族であった波多野出雲守重通が妙心寺第三世・無因宗因禅師(ういんそういんぜんじ)に帰依して建立された寺院である。
 この寺には、方丈の西と南に古庭園が二庭ある。方丈西庭は「元信の庭」と呼ばれ、室町時代に築かれた、狩野元信(かのうもとのぶ)が作庭したという枯山水の庭園である。枯山水とは、池泉や流れを用いず、石や砂などにより山水の風景を表現することをいう。方丈南庭は、白砂と青苔、赤松のみの構成で、これらの二つの古庭園は妙心寺山内では最も古いもので、国の史跡名勝に指定されている。
 また垣根を隔てて築かれた庭園は「余香苑」と呼ばれ、門をくぐった所に陰陽を表す枯山水庭がつくられているが、主に回遊式池泉庭となっている。斜面をうまく利用して作庭されており、昭和を代表する名庭の一つとなっている。
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2007/10/11


宇和島 西江寺 Uwajima Seigou-ji 

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 西江寺(せいごうじ)は臨済宗の禅寺で、宇和島では「えんま様」と呼ばれ親しまれている。貞治四(1365)年、京都東福寺開山聖一国師(しょういちこくし)の法孫和尚によって開山された。寛永二(1625)年には宇和島藩初代藩主の伊達秀宗(だてひでむね)により現在地に移され、今日に至っている。
 本堂内には、伊予生まれの天才芸術家・村上天心(むらかみてんしん)作の「閻魔大王木彫座像」「閻魔大王画彫像」「地獄極楽絵図」などがあり、広々とした堂内に迫力を添えている。年に数回、一般公開される。
 寺の庭園は県の名勝に指定。三尊石を中心に左右対象に鶴亀を配し 枯山水の様式を用い、バランスよく仕上げられている。桃山式より江戸初期の作庭といわれ、時代の特色を取り入れようと苦心した跡が見られる。清水を使わない枯山水の美的効果がよく生かされている点では、四国一との呼び声も高い。
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2007/9/10


知覧武家屋敷庭園 Chiran-bukeyashiki-teien Old Samurai Gardens in Chiran

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 知覧武家屋敷庭園(ちらんぶけやしきていえん)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)にある江戸時代の武家屋敷群で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 約260年余り前、知覧領主・島津久峰時代の武士小路区割の名残り。現在、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている。
 7軒の屋敷の庭園が見学でき、うち6軒は枯山水式庭園、1軒は築山池泉式庭園となっている。
 薩摩の小京都と呼ばれるにふさわしい佇まいを保ち、武家屋敷群は「人をもって城となす」という薩摩藩の気風を推し進めた外城のひとつとされる。
 各屋敷が塁のように防衛障壁となるよう工夫されており、端正にして優美、虚飾に走らず簡素を旨とした、薩摩武士の知性と上品さが伺える。
 知覧武家屋敷庭園群は、江戸の昔を思い起こさせる街並みである。
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2007/7/3


瑞楽園 Zuiraku-en 

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 瑞楽園(ずいらくえん)は、津軽地方で流行した大石武学流(おおいしぶがくりゅう)の枯山水式庭園で、宮舘(みやだて)地区の豪農であった対馬家の庭園として作られたものである。
 大石武学流三代宗匠・高橋亭山(たかはしていざん)が 明治二三(1890)年から一五年の歳月をかけ築庭し、後に高橋亭山の門弟にあたる池田亭月が昭和三(1928)年から昭和一一(1936)に増庭した。
 人工的な山を築き、枯滝(かれたき)や枯池(かれいけ)、大きな石、石橋等を配置するなど、大石武学流の特徴的な造庭技法が用いられており、その美しさを際立たせている。
 昭和五四(1979)年に国指定名勝に指定された。
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2007/6/27


梅村庭園 Umemura-teien 

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 梅村庭園(うめむらていえん)は、北海道二海郡八雲町末広町の八雲町公民館横にある庭園である。
 昭和五(1930)年、故・梅村多十郎が明治末期から造成してきた、池の周囲に自然景観を取り入れ築山、枯山水、自然林に模した樹木などが巧みに配置されている、北海道では珍しい池泉回遊式庭園が完成した。
 昭和五八(1983)年、町指定文化財となる。平成一三(2001)年、町が購入して整備を進め、平成一五(2003)年秋、開町125周年を記念して、土蔵と離れをつなぐ形で休憩施設「梅雲亭」が完成するとともに、蔵と離れの一般公開を開始した。土蔵内部には梅村家関連の資料が展示されている。
 梅村庭園は、園内にツツジや桜、紅葉などが植えられ、四季折々を体感できる貴重な施設である。
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2007/6/20


盛美園 Seibi-en 

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 盛美園(せいびえん)は、青森県平川市猿賀にある名園である。国の名勝に指定されている。
 明治時代の作庭の中でも、京都の無隣庵、青風荘と共に三名園の一つに数えられている。
 盛美園は清藤盛美が木幡亭樹匠宗を招き、明治三五(1960)年より9か年を費やして作庭した庭園であり、その面積は1・2ヘクタールに及ぶ。
 この庭は津軽地方で集中的におこなわれた武学流作庭の真髄を示した名園といわれ、築山庭造伝や造庭秘伝書の型式を忠実に再現したもの。
 庭園のつくりは、池を中心にして「真」「行」「草」の3部からできている。
 敷地内には、和洋折衷で庭園と融和して美しい盛美館や金色燦然と輝く御宝殿が建ち、日本情緒をたっぷりと味わえる。
 盛美園は、築山枯山水池泉廻遊式庭園の名勝である。
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2007/5/24


山口 普賢寺 Yamaguchi Fugen-ji 

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 普賢寺(ふげんじ)は、山口県光市室積の峨嵋(がび)山北のふもとにあり、平安時代の寛弘三(1006)年に播磨国(現在の兵庫県)性空(しょうくう)上人が一堂を建立したことに始まる古い寺である。
 雪舟作と言われる庭園は本堂の南側にあり、広さは周囲の雑木林の部分を含めると2177平方メートル。ほぼ正方形をしており、低いマキの生け垣で囲まれた美しい枯山水の庭園である。
 庭内には、このほか数個の横石を並べているだけで、周りのシイやクスなどの巨木と調和して、全体としてどっしりと落ち着いた雰囲気が漂っている。
 普賢堂に安置されている普賢菩薩は、海中から出現したといわれており、そのためか、海の守り菩薩として人々に親しまれている。
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2007/5/14


資福寺 Shifuku-ji 

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 仙台・北山五山の一つ「資福寺」は、起源が古い。元々は鎌倉時代、鎌倉五山の一寺・建長寺の末寺として、豪族の長井時秀西規が僧の紹規を招き、山形県に創建したものである。その後、伊達家と共に岩出山、仙台と移り、慶長五(1600)年に伊達政宗の師、虎哉禅師が現在の地に中興開山した。以来、伊達氏や家臣達の人間教育の場であったようだ。
 ここは紫陽花寺とも呼ばれ、境内には500株程の紫陽花がある。6月下旬〜7月中旬の初夏に色とりどりの紫陽花に彩られ、見ごろを迎える。茶会なども開かれ、参道の竹林や本堂のステンドグラス、枯山水の庭園が美しい空間を造り出している。心やすまる、ひとときが過ごせるだろう。
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