NIPPON Kichi - 日本吉

記事数11件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/2/1


広河原松上げ Hirogawara-matsuage Hirogawara Matsuage Torch Lighting Ritual

Jp En

 広河原松上げ(ひろがわらまつあげ)は、盆の精霊祭り、火災予防、五穀豊穣を祈願して、京都市左京区広河原で行われる火祭りである。
 元々は愛宕山を信仰する山伏が行う聖火奉納を、若狭街道沿道の集落にも伝え広めたのが始まりとされる。
 上桂川の河原に立てられた約一二〇〇本の松明に順次点火され、暗闇に火の海が浮かび上がる様は圧巻である。さらに鉦(かね)や太鼓の合図と共に、高さ二〇mほどの灯籠木(とろぎ)と呼ばれる太い檜柱の頂上部に取り付けられた「大笠」めがけて、火のついた手松明を男衆がいっせいに投げ込み始める。「松上げ」というのは松明を上げることに由来している。投げ上げる際に、くるくると回して反動をつけるため、何十もの火の軌道が浮かび上がる様がとても美しい。
 手松明が一つ二つと入り、大笠が炎に包まれた灯籠木は引き倒される。火の粉が夜空に舞うと、祭りは最高潮を迎える。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/1/8


奥州 善光寺 Oushuu Zenkou-ji Oshu Zenkoji Temple

Jp En

 奥州善光寺(おうしゅうぜんこうじ)は宮城県栗原市の愛宕山公園内にあり、信州・甲州・奥州の日本三善光寺のひとつである。
 平安時代末期、奥州藤原氏ニ代当主の藤原基衡(ふじわらのもとひら)が父清衡の菩薩を弔うために創建したとされており。本尊には信州善光寺の分身像である善光寺如来が奉ってある。
 また、その当時植えられたといわれる推定樹齢八〇〇年以上という枝垂れ桜の巨木があり、毎年四月中旬には、奥州善光寺の庭園は「愛宕山(あたごやま)の桜」と称され、桜の名所となっている。この時期に併せて善光寺如来大祭も開催され、桜の花びらが舞う中沢山の観光客で賑わう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/11


青梅 愛宕神社 Oume Atago-jinja 

Jp

 青梅市柚木町ある愛宕神社(あたごじんじゃ)は、標高五八四メートルの愛宕山にある。多摩川の上流域にあたる奥多摩を支配していた三田氏の居城、辛垣城(からかいじょう)の鎮護のために創建された神社である。
 三田氏はもともと青梅の勝沼城が本城だったが、北条氏が滝山城に進出したとき辛垣城に退いている。のちに北条氏に攻められ、三田氏は永禄六(1563)年に滅んでしまう。
 境内には桜とつつじが植えられており、花の名所として知られている。境内の長い石段の両側には、四月中旬頃から朱色の山つつじが咲き乱れ、別名「つつじが丘」とも呼ばれ親しまれている。石段を昇ると社殿があり、青梅市内を見渡すことができる。
 また、奥宮にあたる本社は愛宕山の頂上にあり、ご神体は勝軍地蔵である。火難除けの信仰が厚く、江戸時代には社領二〇石を付与された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/5


野村乙亥大相撲 Nomura-otoi-oozumou 

Jp

 四国カルストの急峻な山々に囲まれた愛媛県西与市野村町に、百五十余年の伝統を誇る野村乙亥大相撲(のむらおといおおずもう)がある。地域の一大行事で、開催中は町中が興奮と熱気に包まれる。
 相撲の歴史は大火災から始まった。江戸時代の嘉永五(1852)年、出火した炎は町の東地区を中心に数百棟を焼き尽くした。町民は愛宕山に火除けの神様として愛宕神社を祀り、旧暦十月の乙亥の日を選んで、三十三結びの火鎮祈願相撲を行ったという。
 現在は大相撲幕内力士、幕下上位力士、アマチュア相撲界の有名大学選手、実業団選手を招待し、各地区代表の一般選手や町内の小中高生が参加して、二日間にわたり熱戦が繰り広げられる。個人戦・団体戦のほか、稚児の土俵入り、関取の相撲指導、初切(しょっきり)などが行われる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/7


仙台 愛宕神社 Sendai Atago-jinja Atago Shrine in Sendai

Jp En

 宮城県の仙台総鎮守にあたる神社が愛宕神社(あたごじんじゃ)である。
 元々は山形県米沢に鎮座していたが、天正十九(1591)年に仙台藩祖・伊達政宗の移動に伴い、岩出山を経てかつては天狗山とも呼ばれた現在の愛宕山に遷座されることとなった。
 その名残か、境内にある楼門の両脇には愛宕大神の使いといわれる大天狗とからす天狗の座像が今も訪れる人を出迎えてくれる。これら両座像は、日本でも最大の天狗の座像だといわれている。
 現在の社殿は慶長八(1603)年に伊達政宗が造営したもので、市指定の文化財にもなっている。
 祭神は火の神である軻遇土神(かぐつちのかみ)で、この神社で行われた火防の祭は、城下を挙げてとくに盛大に行われたという。
 境内には展望台も設けられており、眼下に清流広瀬川を望め、訪れる人に杜の都の景勝をもたらしてくれる。
 ここを訪れた正宗公も、同じように仙台の町を見下ろし眺めていたのかもしれない。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/6


能面 釈迦 Noumen Shaka Noh Mask Shaka

Jp En

 能面(のうめん)とは、能楽に用いる仮面である。
 釈迦(しゃか)は、釈迦牟尼仏の事で、愛宕山の天狗が、比叡山の僧正に命を救われたお礼に、釈迦が霊鷲山での説法のようすを真似る時に使う面である。
 「大会」のみに用いられる面で、天狗の面の上からつけるので大きな面になっている。
 「大会」とは、庵室で修行する比叡山の僧のもとに、かつてこの僧に命を助けられた天狗が山伏姿で現れ、どんな望みでも叶えると言い立てる。釈迦の大法会を見たいと望むと、本当に釈迦の説法を見せて貰えた僧が思わず拝んでしまい、神聖な仏法を天狗ごときが玩んだと怒った帝釈天が駆けつけ、幻の大会を滅茶苦茶にし、天狗を痛めつけるという話である。
 釈迦は、早変わりが大きな見せ場の特殊な能面である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/27


仙台 覚範寺 Sendai Kakuhan-ji 

Jp

 覚範寺(かくはんじ)は、宮城県仙台市青葉区北山にある臨済宗の寺であり、北山五山の一つとされている。
 天正一三(1585)年に非業の死を遂げた、伊達政宗の父輝宗の菩提寺である。
 翌、天正一四(1586)年、政宗によって米沢遠山村に創建された。政宗の師であり臨済宗の名僧として知られる虎哉和尚が、開山一世とされている。
 その後、伊達家に従って文禄元(1592)年、岩出山に、慶長五(1600)年、仙台愛宕山に移ったが焼失し、慶長六(1601)年、この地に再建された。
 政宗の正母・保春院の墓と政宗の三男・宗清、政宗正室愛姫の母堂などの供養塔が並ぶ。政宗の葬儀もここで行われている。
 また、覚範寺境内には、樹齢250年と推定されるヒヨクキバの古木が優雅に佇んでいる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/23


愛宕神社 Atago-jinja 

Jp

 地元民には「あたごさん」の名で親しまれている愛宕神社(あたごじんじゃ)は京都市右京区、愛宕山の山頂に位置する神社である。
 大宝年間(701〜704)に役小角と僧泰澄により開基されたと伝わる。神仏習合の社寺であり、修験道の修行の地としても信仰を受けた。
 祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、全国900余の愛宕神社の総本社でもある。
 古来より防火、鎮火に霊験あらたかと言われ、「火廼要慎(ひのようじん)」のお札は京都では多くの家庭に祀られている。また、3歳までにお参りをすると一生火難に遭わないという言い伝えがあり、多くの親子連れも参拝に訪れている。
 山頂から京都市内を一望できる隠れた眺望の地としても知られる。春には一月遅れの桜が咲き誇り、訪れる参拝客を楽しませている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数11件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter