NIPPON Kichi - 日本吉

記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/9/8


水海の田楽能舞 Mizaumi-no-Dengaku-Nou-Mai 

Jp

 水海の田楽能舞(みずうみのでんがくのうまい)は、福井県今立郡池田町水海の鵜甘(うかん)神社にて行われる伝統行事である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 建長二(1250)年、北条時頼がこの地を訪れ、雪深い池田に滞留して一冬を過ごす事となった。村人達は宴をひらき田楽を舞い、都を思い恋しくなる時頼を慰めると、喜んだ時頼がお礼に能を舞って村人達に教えた。その結果、田楽と能を合わせた珍しい田楽能舞が、この地に継がれる事となったと伝えられる。
 町内には色々な能面が残されており、小学校の授業で子供達が能面を作ったり、水海の田楽能舞の奉納を見学するなど、田楽能舞は人々の心に溶け込んでいる。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/8/14


福井 お水送り Fkui Omizu-Okuri 

Jp

 福井のお水送りは、福井県小浜市の若狭神宮寺にて行われる神事である。
 若狭神宮寺は天台宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。和銅7(714)年、泰澄大師の弟子、沙門滑元が創建したと伝えられる。
 天平勝宝四(752)年、インドの渡来僧・実忠和尚が国家安泰を祈願してお水送りを創始した。お水送りが始まった年は東大寺の大仏造営の翌年であり、大仏造営にあたって大量の水銀などを使用した鉱物汚染を若狭の清らかな水で清浄化したとも推定される。
 毎年3月2日、この鵜の瀬で行われる「お水送り」は、鵜の瀬で大護摩に火を灯し、炎が遠敷川の川面に燃え広がるなか、鵜の瀬の水が奈良へ送られる。若狭地方では「お水送り」が終ると春が来るとされている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/30


鵜祭 U-matsuri 

Jp

 鵜祭(うまつり)は、石川県羽咋市(はくいし)にある気多大社(けたたいしゃ)にて一二月一六日に行われる神事である。
 厳冬の深夜に鵜をもってして吉凶を占うという珍しい祭りで、平成一二(2000)年二月に国重要無形民俗文化材の指定を受けた。
 毎年一二月一〇日頃、七尾市鵜浦町の鹿渡島で鵜を一羽だけ生け捕りにする。この瞬間から鵜は神として崇められ「鵜様」と呼ばれる。葦で編まれた籠に丁重に納められた鵜様は、三人の鵜捕部(うとりべ)に交代で背負われ、気多大社まで約四〇キロメートルの距離を運ばれる。一行は、路上に出て賽銭をおとし手を合わせる人々に見送られながら、一歩一歩を踏みしめつつ、ゆっくりと大社を目指す。実に三日間の旅路である。
 一二月一六日の午前三時、いよいよ神社で神事が営まれる。二本のロウソクの灯りだけで神職と鵜捕部の問答がおこなわれた後、鵜を神前に向けて放つ。この鵜の跳躍によって翌年の吉凶が占われるという。大役を終えた選ばれし鵜は、その後一ノ宮海岸へ運ばれて、闇の空へと放たれる。 
 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/13


兵主祭 Hyouzu-matsuri Hyozu Festival

Jp En

 兵主祭(ひょうずまつり)は、滋賀県野洲市五条の兵主大社で、毎年五月三日~六日に行われている例祭である。
 兵主大社は、三世紀後半ごろ、現在の滋賀郡大津市遷都にともない社地が設けられ、さらに欽明天皇の時代に琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられる。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。
 当日は午前中に神社で神事を行い、午後には各氏子から大小約30の御輿や太鼓が神社の参道に集まり、クライマックスの神輿渡りが行われる。
 太鼓橋前にて各御輿が行う「鵜の息抜き」の所作は面白く、特に、大小様々な御輿・太鼓が「チョイトサ」の掛け声も勇ましく、約300mの松並木の参道を渡御する様は壮観で、祭りの一番の見所といえる。
 兵主祭は、兵主18郷による、勇壮で華やかな祭りである
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/3


梯子滝 Hashigo-daki 

Jp

 梯子滝(はしごだき)は、北海道岩内郡岩内町にある名瀑。
 以前は岩内町市街から島牧方面へ進み、敷島内の集落を越えたところにある樺杣内覆道と鵜の岩トンネルの間のわずかな場所を流れていたが、現在はこれを迂回する新トンネルの上を流れている。
 このトンネルは、長さが4km近くあり、出口は雷電温泉手前になるため、現在は海上で船から見ることしかできない「幻の滝」である。
 高い崖から三段になって水流が流れ落ちる様は圧巻。冬には水が大きく氷結し、見事な氷瀑を見ることができる。厳しい海風が吹き付ける北海道ならではの風景である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/15


鵜ノ崎海岸 Unosaki-kaigan 

Jp

 鵜ノ崎海岸は秋田県男鹿市船川港に位置する海岸である。
 男鹿国定公園の一部であり、男鹿半島南部から台島までの約1・5キロの地域をさす。日本の渚100選にも選ばれている風光明媚な場所。
 環状に広がる磯で、干潮時には全国でも珍しい200メートルほどの遠浅の岩場が広がり、貝や魚を取るなどの磯遊びができる。
夏場には海水浴やキャンプに訪れる観光客で賑わい、カップルや家族連れなど多くの人々が訪れる。
 夕暮れ時には海面全てが金色に輝き、岩場や波の影が連なる絶景を生み出し、男鹿半島でも屈指の夕日の眺望ポイントとして人気が高い。
 鵜ノ崎海岸は大人から子供まで、楽しむことができる海岸である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/24


熊野速玉大社 御船祭 Kumano-hayatama-taisha Mifune-matsuri Mifune Festival at Kumano Hayatama Grand Shrine

Jp En

 和歌山県・熊野川の河口付近に位置する熊野三山のひとつ、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)。ここで毎年10月に行われるのが「御船祭(みふねまつり)」。和歌山県無形民俗文化財の指定を受けている神事で、実に1800年余の歴史を持つ。
 御船祭は神代のころの熊野の海賊船を起源とし、造船と航海技術を現三重県の鵜殿村にて育んだことに由来するという。
 御船祭は「ハリハリ踊り」を奉納する神事。熊野川の川原で神霊を神輿から神幸船(しんこうせん)に移すことから始まり、9隻の早船が主導しながら諸手船(もろとぶね)が島を3周して速さを競う。諸手船には、鵜殿村の烏止野神社氏子総代が船夫に扮して乗り込み、塗りの櫂を回し、漕ぎ手の音頭に合わせ時々手をかざす踊りを披露する。「ハリー、ハリセー」と唱えるこの踊りは、「ハリハリ踊り」と呼ばれて古来より受け継がれてきたものだ。
 御船祭は、神代の時代絵巻を今に伝える古式ゆかしい祭りである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/13


ユルリ島 Yururi-tou Yururi Island

Jp En

 ユルリ島は、北海道根室市の根室半島の沖合に浮かぶ、小さな無人島である。北海道の天然記念物に指定されている。
 ユルリ島はアイヌ語で「鵜の居る島」という意味で、ウミウをはじめ、絶滅が心配されるエトピリカ、ケイマフリ、チシマウガラスなどの海鳥が繁殖している。
 標高40mの台状の島で、すぐ北にユルリ島より小さなモユルリ島を持つ。
 眼下に広がる草原の緑がまぶしく、昔、コンブを運ぶために飼われていた馬が、20頭あまりの野生化した群れとなって悠々と草をはむ。
 アザラシ、ラッコの繁殖地として絶好の生殖地となっており、絶壁の上には湿原が広がっていて、植物も300種が生育する。
 ユルリ島は、人間の入島が禁じられている神秘の島である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数16件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter