NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/11


弓道 Kyuudou 

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 弓道とは、剣道・柔道と並ぶ日本で最も広く行われている武術の一つである。
 長さ221センチメートルの長い和弓(わきゅう)を用い、矢を放ち的にあてる。この間、射法八節(しゃほうはっせつ)という規定動作が行われる。足踏み(あしぶみ)・胴造り(どうづくり)・弓構え(ゆがまえ)・打起し(うちおこし)・ 引分け・会(かい)・離れ・残心(ざんしん)の順に所作を行う。この動作は、心身の鍛錬と礼儀作法を基調としている。
 上着は白木綿で襦袢(じゅばん)形の筒袖、黒や紺色の袴(はかま)を着用する。男性は馬乗袴、女性は馬乗袴または、長いスカートのような行灯袴(あんどんばかま)である。弓掛(ゆがけ)という鹿の革の手袋を右手に着け、弓を引く。
 競技方法は「あたり」と「はずれ」のみで判定する得点制と、審査員が採点する採点制がある。
 現在は武芸からスポーツへ移行してきてはいるが、古来から続く流派も存在している伝統文化である。
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2008/4/9


都城大弓 Miyakonojou-daikyu 

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 都城大弓(みやこのじょうだいきゅう)は竹製の弓道具で、江戸後期には盛んに作られていた記録が残っている。明治時代に入り、鹿児島県川内地区から楠見氏親子が移住し、多くの弓作りの職人を養成。都城を大弓の産地に押し上げた。
 櫨(はぜ)や真竹といった原材料に恵まれたこともあって、昭和初期には海外に輸出するまでに成長したが、第二次大戦後は大弓の製作が禁じられ、徐々に衰退して行った。しかし、現在も都城は日本唯一の竹弓産地として、全国生産量の九割を占めている。平成六(1994)年四月、経済産業大臣より伝統的工芸品に指定された。
 材料の切り出し、油抜き、自然乾燥、煙によるいぶし、芯竹の火入れ、各部の削り、弓の張り込み、握束など、二百を超える工程のほとんどを手作業で行い、長い年月を費やして一本を完成させる。
 最近は後継者不足に悩みながらも、新築時に魔よけの縁起物として床の間や玄関に飾られる破魔矢(はまや)の製作など、新しい取り組みも行われている。
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2008/1/24


肥後三郎弓 Higo-saburou-yumi 

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 肥後三郎弓(ひごさぶろうゆみ)は、名人松永重児によって作られた、薩摩弓の強さと京弓のしなやかさの、両方の特徴を合わせ持つ、美しい弓である。
 重児氏は七歳から弓作りを始め、一六歳で薩摩弓の研究のために鹿児島へ修行に出向いた。芦北白石の球磨川沿岸が竹と櫨(はぜ)の産地だということを知り、後にその地に移住して弓作りに情熱を傾けたという。
 鹿の皮を煮詰めて作った「ニベ」という接着剤で、竹と櫨の木を何重かに交互に重ね合わせて芯を作り、さらに両側から竹を張り合わせて原型が作られる。使用される竹と櫨は球磨川沿岸の厳選されたもののみを、二〇年もの間寝かせてから加工するという。
 時間を惜しまず、手間も惜しまず、職人の手で心を込めてゆっくりと制作された肥後三郎弓は、国内外の弓道家などに高い評価を得ているという。
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2007/11/29


四半的矢 Shihanmato-ya 

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 四半的(しはんまと)、正式には四半的弓道という。宮崎県日南市にあった飫肥藩(おびはん)に伝わっていた武道弓技である。四〇〇年の歴史を持つ。
 特徴としては標的の直径が4寸5分(約13.6センチ)、弓矢の長さが4尺5寸(約1.36メートル)、標的までの距離が4間半(約8.2メートル)と、4と5の数字を基準としたルールになっており、正座姿勢の状態で弓を射る。
 現在では弓技スポーツとして鹿児島県や熊本県にも広がり、競技大会も数多く開催される。
 競技内容は4間半の距離で的を射て当たりを競い合うというもの。矢を10射して3回、合計30射の当たり本数で勝敗が決められる、団体戦、個人戦がある。
 競技に使用される矢は高山に自生するクマザサを長期間乾燥させた後、火であぶり、微妙な色合いを出したものがつかわれる。竹の素朴さを生かした優れた工芸品でもある。
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2007/10/1


足助神社 Asuke-jinja Asuke Shrine

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 愛知県東加茂郡足助町には二つの神社が並んでいる。大きいほうが足助八幡宮(あすけはちまんぐう)と呼ばれ、白鳳三(652)年に創建された由緒ある古い神社である。
 寄り添うように隣に立てられた足助神社(あすけじんじゃ)は明治三五(1902)年に創建された比較的新しい神社である。
 足助神社に祀られているのは、元弘の変の時に後醍醐天皇の味方となり、京都の笠置山に篭城した足助次郎重範という軍の総大将だった人物である。最後は捕らえられ、六条河原で斬首となったが、敵軍からは勇猛果敢、弓の名手として恐れられた。
 そのためか、足助町は弓道の盛んな土地柄でもある。
 足助神社の鳥居脇には、誤ってガンを射たことから出家した久右衛門という人物の辞世の句「先立ちし雁や浄土の道しるべ」が書かれた「雁塚」が建てられている。
 
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2007/9/14


都農神社例大祭 Tsuno-jinja-reitai-sai The Annual Festival at Tsuno Shrine

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 都農神社(つのじんじゃ)はJR日豊本線の都農駅から車で約5分、宮崎県児湯郡都農町に位置する神社である。
 神武天皇御東遷の際に、この地に祭壇を設けたことが始まりといわれ、代々の天皇とのご縁も深い神社である。社内は見事な森林に覆われ、静寂に包まれている。玉砂利の敷かれた参道を歩んでいくと、厳かな雰囲気に包まれるようである。
 都農神社例大祭は毎年一ニ月四日と五日に執り行われる。四日が前夜祭、五日が例大祭である。
 例大祭では大勢の人々が輪になり踊る「都農町総踊り」、ひょっとこの面をつけて舞うコミカルな「日向ヒョットコ踊り」、弓道を競う「大弓四半的」、神楽奉納などが行われる。
 また、例大祭の間、訪れた人々には、甘酒、酒、焼酎、豚汁がふるまわれる。
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2007/8/6


くしふる神社大祭 Kushifuru-jinja-taisai Kushifuru-jinjya Shrine Festival

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 くしふる神社大祭(くしふるじんじゃたいさい)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井のくしふる神社にて毎年10月に開催されている祭りである。
 くしふる神社は、創建年代は不詳で、はじめは社殿もなく山そのものを神体として祀っていたが、元禄七(1694)年、延岡藩主や村人たちの厚い信仰によって社殿が建てられた古社である。祭神は、天津日子彦番火邇々杵命(あまつひこひこほのににぎのみこと)。
 大祭の見所である御神幸行列では、みこしや神楽隊など600人を超える大行列が、くしふる神社から高千穂神社までの市街地往復約2・6kmを練り歩く。
 350年以上の伝統を誇る奉納宮相撲は、午後から境内相撲場であり、乳幼児が泣き声を競って健やかな成長を願う「うなり相撲」の他、棒術隊に神楽隊の行進、弓道大会なども開催されている。
 くしふる神社大祭は、長い伝統を誇る勇壮な祭りである。
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2007/6/29


永山神社 Nagayama-jinja 

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 永山神社(ながやまじんじゃ)は、北海道旭川市永山地区にある神社。屯田兵により建てられたもので、旭川で最も古い神社である。
 創建は明治二十四(1891)年。永山に入植した岡山県出身の屯田兵が、出身地の御分霊である天照大神、大国主神を頂き、現在の永山駅裏に小さな祠(ほこら)を建て祀ったのが始まりとされる。
 明治四十五(1912)年に社殿を現在地に移転。以来110年余に渡り地域の繁栄と発展を見届けてきた。
 屯田兵入植完了をした7月1日を「入地記念日」とし、毎年「永山祭」が開かれ、今でも神輿かつぎや獅子舞、奉納弓道、奉納相撲などが盛大に行われ、旭川市民はもとより近郊町民が大勢訪れるという。
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