NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/5


弥彦神社 yahiko-jinjya yahiko Shrine

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 越後平野の中央にそびえ立つ弥彦山の麓に、弥彦(伊夜比古)神社(やひこ(いやひこ)じんじゃ)はある。越後国の一ノ宮である。
 境内はうっそうとした樹林に覆われ、長い月日を経てきた老杉、古欅が佇んでいる。その創建年代は不詳だが、万葉集にも歌われたほどの古社。
 祭神は天香山命(あめのかごやまのみこと)。神武天皇の命を受け、越後国開拓のため地元の民に、漁労や製塩、稲作や養蚕などの農耕術を教えたという。かつては、伊夜比古さまと呼ばれ、越後の人々の心のふるさと、魂のよりどころとして、古くから栄えてきた。
 日本有数の長い日本刀である志田大太刀(しだのおおたち、重要文化財)や、源義家や源義経らに所以すると伝えられる武具などの文物が、社宝として宝物館に展示されている。
 現在の社殿は、火災のために焼失した後、大正五(1916)年に再建されたものである。
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2007/8/3


湯之宮棒踊り Yuno-miya-bou-odori Bo Odori at Yunomiya Shrine

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 湯之宮棒踊り(ゆのみやぼうおどり)は、宮崎県児湯郡新富町上富田の湯之宮神社にて毎年11月8日に舞われる踊りである。
 慶長二(1597)年、朝鮮出兵した勇猛果敢な島津兵をたたえた踊りで、明治二〇(1887)年頃、本町の今町地区に伝わったものを伝習したといわれている。
 一時期は中断していたが、昭和四九(1974)年、湯之宮地区の人々が保存会を結成して、復活した。
 旧島津藩に広く分布する棒おどりの一つであり、四人一組で6尺棒を打ち合う姿は勇壮そのもの。
踊りの種類には「六人立」「切りまぜ」「棒踊り」の3種類があり、音頭、鐘、太鼓が加わる。
 湯之宮棒踊りは、昔から御田植祭や、農耕、祝事、神事の時に奉納されてきた、地域を代表する民俗芸能である。
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2007/7/31


廿一田植踊 Nijuu-ichi-taue-odori 

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 廿一田植踊(にじゅういちたうえおどり)は、宮城県気仙沼市にて毎年元旦の早朝に行われる民俗芸能である。県の民俗文化財に指定されている。
 1830年代頃に起きた天保の大凶作の際、一人の若者が黒川方面で習得した田植踊りを広めたのが始まりだといわれるが、岩手県気仙地方から伝わり江戸時代から踊っていたとする説もあり、定かではない。
 廿一という名前は、地域に神社が21社あった事に由来しているという。
 毎年元旦の早朝に八雲神社と古峰神社で豊作祈願の舞いを奉納した後、地区の農家を門付して回る。
 22個の演目がある本踊りは「ハーヤンドーヤーハイ」の威勢の良いかけ声から始まり、手に太鼓を持ち演奏しながら踊る。
 太鼓を叩くテンポは速く、動作はひとつひとつ大きく、力強い。そのたくましい鼓舞が、豊作を祈る心を表しているようである。
 廿一田植踊は、古来の芸風を継承保持する伝統芸能である。
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2007/7/30


愛子の田植踊 Ayashi-no-taue-odori 

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 愛子の田植踊(あやしのたうえおどり)は、宮城県仙台市青葉区下愛子の諏訪神社にて、毎年4月29日の祭礼日に踊られている民俗芸能である。県の民俗文化財に指定されている。
 田植踊とは、稲田の作業を舞踊化し、真似る事でその年の豊年を祈願するものである。
 愛子の田植踊は元禄年間(1688~1704)に加藤某が京都から伝えたとされるが、同地鎮座の古社・御殿山諏訪神社の別当が代々修験であった事から、その関連が起源と考えられている。
 一時は途絶え、昭和五(1930)年、仙山線の開通で復活したが、後に再び衰えた。
 昭和二五(1950)年、村会の議決により復活し、以後は現在まで続いている。
 古くは旧正月から3月15日の諏訪神社祭礼までの期間に、他の集落をも踊り歩いたという。
 愛子の田植踊は、古の伝統を今に引き継ぐ踊りである。
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2007/7/26


はねこ踊り Haneko-odori 

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 宮城県石巻市桃生町で、四年に一度開催される寺崎八幡神社例大祭。その祭で、豊作の感謝を込めて奉納されるのが、はねこ踊りだ。
 この地域では、宝暦、天明、天保の時代に飢饉に見舞われ、村人達はそれでも豊作を願って神社に踊りを奉納していた。
 そんな中、ようやく大豊作の年を迎えることができ、百姓たちは今までの踊りにさらに飛び上がらんばかりの喜びを加え、踊りまわったのが始まりとされている。
 はねことはこの地方の方言で「跳ねる人」という意味を持ち、踊りの中にも豊作の喜びを表現した跳ねる様子を見ることが出来る。
 また、踊りの身振りの中には田植えや刈り取りを伺わせるような動作も盛り込まれており、飢饉に苛まれていた村人達の切なる願いが垣間見られるようである。
 そして、そんな状況を乗り越え、ようやく大豊作を迎えられた喜びを表す跳ねる動作。
 両手に扇を手にして練り歩くこの踊りには、当時の農民達の希望と喜びが凝縮されている。
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2007/7/10


岩手 旧後藤家住宅 Iwate Kyuu-gotouk-e-jyuutaku 

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 江戸時代の豪農の住宅をそのままとどめる貴重な遺構、「旧後藤家住宅」。岩手県奥州市前沢区七日町に所在する。
 建立年代は定かではないが、解体工事中に地下掘立柱の穴底から発見された笠塔婆の残骸に、元禄八(1695)年の記録があることから、江戸時代の建造と推測されている。
 旧後藤家住宅は、南部の曲り家式家屋(平面がL字形をし、突出部が広い厩となっている構造)、東北地方における民家の形式を代表する家屋。間取りは、全体の半分を占める土間と、床上に二列の部屋を配した平面からなり、上・下屋から構成されている。土間には、断面多角形の太い上屋柱が林立している。直家、寄棟茅葺の原形をとどめ、盛土や無双窓など、日本の民家の建築史上大変貴重なものである。
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2007/6/12


北海道大学 札幌農学校第2農場 Hokkaidou-daigaku Sapporo-nougakkou-dai2-noujou Farm No. 2 of Sapporo Agricultural College

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 札幌市の北海道大学構内に残されている「札幌農学校第2農場」は、1876年9月13日に札幌農学校の頃に開設されたもので、明治時代に建てられた木造の歴史的な建造物9棟が保存されている。これは、あの有名なウィリアム・スミス・クラーク初代教頭の大農経営構想に基づいて建てられたもので、「農黌園(College Farm)」という、「第1農場」と「第2農場」の2つの区域に分けられた施設であった。第1農場は農業教育の研究の為のもので、第2農場は畜産の経営を実践する農場として機能していた。
 1969年に国の重要文化財に指定され、しばらくは閉鎖されていたが、2000年に「模範家畜房(Model Barn)」と「穀物庫(Corn Barn)」が一般公開され、北海道開拓時代の農具や歴史資料などの展示を見る事が出来る様になった。その後、2001年に北海道遺産に登録された。
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2007/5/2


岡本焼 Okamoto-yaki 

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 香川県の岡本焼は、古くから農家の副業として焼かれてきた素朴な焼き物である。この豊中町岡本地区では、近くで良質の粘土が採れる。
 もともと自分たちが日常につかう土鍋や鍋、豆炒り瓦など生活雑器が中心で、俗に「ほうろく」といわれる800度から900度で低温焼成されたうす赤茶のあたたかい色味の土器である。
 かつては、「ほうろく売り」と呼ばれた行商人が、製品を荷車に積み、雲辺寺山を越えて、遠く徳島まで売り歩いた。
 讃岐の醤油豆を煎るのにつかう「おくどさん」やほうろく焼に使う広くて浅い皿。
 明るくのんびりとした姿は、まるで瀬戸内の穏やかな日差しの中にいるような印象である。
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