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月蔵山(がつぞうざん)は、長野県伊那市高遠町にある標高1192mの山である。伊那谷で一番広い高遠と与地の間を望み、後方には中央アルプスの山並みが全て見廻せる。
天文一四(1545)年、武田信玄が当時の領主諏訪頼継を攻め破り、高遠城を築いたとされる。西側山麓の西に突き出した台地上に城趾は存在する。南に三峰川、北から西にかけて流れる藤沢川を見下ろす天険の地であり、彼方に中央アルプス駒ヶ岳を望む。元和七(1622)年、武田信虎の墓が月蔵山中腹に移された。
文化九(1812)年、月蔵山から高遠城内に水を引くために焼かれた土管が高遠焼の起源で、その後高遠藩の御庭焼きとなった。
春には高遠城址の満開になった見事な桜を見下ろせる。
天文一四(1545)年、武田信玄が当時の領主諏訪頼継を攻め破り、高遠城を築いたとされる。西側山麓の西に突き出した台地上に城趾は存在する。南に三峰川、北から西にかけて流れる藤沢川を見下ろす天険の地であり、彼方に中央アルプス駒ヶ岳を望む。元和七(1622)年、武田信虎の墓が月蔵山中腹に移された。
文化九(1812)年、月蔵山から高遠城内に水を引くために焼かれた土管が高遠焼の起源で、その後高遠藩の御庭焼きとなった。
春には高遠城址の満開になった見事な桜を見下ろせる。
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