NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/12


徳利 Tokkuri 

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 徳利(とっくり)とは、酒など液状のものを入れる陶製・金属製のもので、口の細い容器である。酒のほか醤油・酢・油などを運搬する際に使われたり、保存容器としての役割を果たしていた。
 名称は、注ぐときに「トクトクトク」「トックリトックリ」と聞こえる事が、由来といわれる中でも有名な説である。
 かつては、酒屋から酒を買ってくる時に、一升(いっしょう)以上入る大きな「通い徳利」というものを借りて使用していた。
 貸し出し主である酒屋の屋号・地名・商標などが筆太で書かれている徳利を渡し、中身がなくなったら店に入れに来るという販売方法である。
 しかし、第二次大戦中に酒の計り売りが禁止された為、主に日本酒を温めて飲む「燗徳利(かんとっくり)」として用いるようになった。
 各地の陶器によって色や形・特徴なども異なり、重みのある形やシンプルなもの、色鮮やかなものまで様々な徳利が酒を引き立てる。
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猪口 Choko Choko (sake cup)

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 猪口(ちょこ)とは、日本酒を飲むときや、蕎麦を汁につけるときなどに使われる陶製の小さな器のことをいう。
 名称の由来は、本膳中の中付けの小器「猪口(ちょく)」が転じた言葉や、猪の口(鼻)に似て上が開き下が窄んだ形に見えるから、という説がある。
 日本酒を燗(かん)にする時は、お猪口に注いだ時の温度を考えて温める。徳利(とっくり)で40度の「ぬる燗」にまで温めて猪口に注ぐと、ちょうど35度の「人肌燗」くらいになる。その他、温度によって「日向燗(ひなたかん)」「涼冷え」「花冷え」などの風情ある呼び名がある。
 また、蕎麦猪口の模様には石垣文、唐草文をはじめ、色々な柄がみられ、小鉢など別の用途でも幅広く利用される。
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2008/4/22


神棚 Kamidana 

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 神棚(かみだな)とは、家や事務所などにおいて、神道の神を祀るための棚である。
 古来、伊勢神宮の神官が、神宮の御神符を全国各地に頒布したことから始まったとされ、一般家庭においては江戸時代初期から中期に掛けて広まっていった。
 設置場所も決められており、基本的には最上階の天井近くに、南向きまたは東向きに設置する。
 棚には小型の神社を摸した宮形(みやがた)を中央に配置し、左右に榊、灯明を配し、神棚の前方に注連縄をかける。この他、真榊や飾り徳利、御幣など各家庭でさまざまな縁起物が飾られる。
 宮形の中には信仰する神の神札を納める。収める箇所は三箇所のものと一箇所のものがあるが、どちらにも伊勢神宮の神札である神宮大麻と地域の氏神様、他に崇敬する神社の神札を納める。
 本来ならこれら宮形を載せるための棚のみを神棚というが、現在では宮形も含めて神棚と称されることが多い。
 人々の、日々の信仰の糧として今も多くの神棚が日本全国に祀られている。
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2008/1/17


小杉焼 Kosugi-yaki 

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 小杉焼(こすぎやき)は富山県射水市で焼かれる陶器。以前は射水郡小杉町という地名だったことから、それにちなんで名付けられた。
 江戸時代後期に地元の陶工、高畑与左衛門が開窯した。与左衛門は相馬をはじめ、瀬戸、美濃、京都など各地の窯元を訪ねては研鑽を積み、帰郷して陶窯を開くと、酒器、茶器、花器、祭器などあらゆる生活雑器を焼いた。
 中でも、銅や鉄の釉薬(ゆうやく)を用いて滑らかな艶を持つ、瓢徳利(ひさごとっくり)や鴨徳利が特に知られている。また、青磁(せいじ)も多く焼かれ、その質の良さから「小杉青磁」と呼ばれ、高く評価された。
 しかし、明治時代後期に衰退して廃窯。昭和時代に二回、再興が試みられるも、第二次世界大戦の勃発で復活には至らなかった。その後、昭和四五(1970)年に池上栄一氏が再興に成功。「小杉焼栄一窯」と命名し、伝統の中にも現代風のデザインを採り入れた作品を焼き続けている。「これまでの小杉焼にない新しい色を出したい」と、氏は情熱を燃やす。
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2007/5/18


切込焼 Kirigomeyaki 

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 江戸時代、東北で最も大きな窯業を構成し、仙台藩の藩窯として栄えていた染付磁器の「切込焼(きりごめやき)」。明治維新の廃藩など、時代の波に呑み込まれ窯の煙を絶たれてしまった。往時の名残もなく、その草創を始め様々な点で謎に包まれている陶磁器である。
 しかし最近になって、宮崎町の手で再興され始めている。切込とは宮城県加美郡加美町宮崎にある地名の事で、この地に古くから伝わってきた焼き物を、地名を冠して「切込焼」と呼んでいる。
 切込焼は染付けが主で、白磁、瑠璃、砂鉄、三彩などがある。特に、青を基調とした染付の技術は非常に高く、三種の青で濃淡を付けて彩色した三彩も見られる。また、胴がずんぐりとした辣韮徳利も「切込焼」の特徴であり、絵付は簡素で素朴、日本のワビやサビが感じられる。
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2007/4/27


内原野焼 Uchiharano-yaki 

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 内原野焼(うちはらのやき)は、野良時計で知られる高知県安芸市の北部、内原野で焼かれる陶器。
 文政十二(1829)年頃、当時の領主後藤主計が京都から陶工を招き、良質の粘土を利用した陶芸を地元の人々に伝習していったのが始まりといわれている。 酒徳利は特に有名で、その後品数を増していき、窯元は4軒を数えるようになった。
 粘土の鉄分が多く、固く引き締まった肌理(きめ)の細かい焼き上がりが特徴で、鉄釉(てつゆう)と茶緑の釉薬(ゆうやく)を用いた素朴、かつ落ち着いた渋い風合いが魅力である。
 皿や徳利など身近な暮らしの器として愛用されている。
 近年では鉢物や花器なども作られ人々の目を惹いている。
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2007/4/4


因久山焼 Inkyuzan-yaki 

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 古くは奈良時代から、鳥取県久能寺周辺で始まったとされる「因久山(いんきゅうざん)焼」。江戸時代には、鳥取池田藩の御用釜として愛用された。
 「因久山焼」の名は、窯元が置かれていた、久能寺の山号である因久山にちなみ、池田藩からこの名を拝領したという。現在は窯元も芦澤家1軒のみとなっており、320年余の歴史が連綿と受け継がれている。
 最大の特徴は、淡い青色と乳白色の流れ模様。地元の土、わら灰などの釉薬(うわぐすり)を使用し、伝統的な素朴な美の中にも、格調高い独特の味わいを生んでいる。御用室の流れを汲んでいるため、華道の花瓶や一輪挿しなどに名器が多い。現在では、湯飲みや徳利など、手ごろな価格のものも多く、多くの人々に愛好されている。
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牛ノ戸焼 Ushinoto-yaki 

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 牛ノ戸焼は、鳥取県鳥取市河原町で焼かれる陶器。170年余の歴史を持つ県指定伝統工芸品だ。
 天保年間(1830〜1844)に因幡国(現鳥取県)の陶工・金河藤七が陶器窯を開窯。その後天保八(1837)年に石州(現島根県)の小林梅五郎親子に継承され、以後二代、三代と水壷や徳利、すり鉢といった日用雑貨を焼いていた。
 四代目の頃からは、民芸運動を行っていた吉田璋也氏や、イギリスの陶芸家バーナード・リーチ氏達との交流により、民芸品の制作の方向に進む。現在は、六代目の小林孝男氏が伝統の技を受け継いでいる。
 牛ノ戸焼の最大の特徴は、緑、黒、白などの釉薬(ゆうやく)を組み合わせて生じる染め分けの美しさ。あたたかく、素朴な味わいがありながら、どこかモダンなセンスを感じさせる。
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