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2008/8/21


緯総絣 Yokosou-gasuri 

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 緯総絣(よこそうがすり)は、日本に伝わる絣織物である。
 絣には経糸(たていと)だけに染めをほどこし、経糸だけで絣柄を出した経絣(たてがすり)と、緯糸(よこいと)だけに染めをほどこした緯絣(よこがすり)、経糸・緯糸の両方に染めをほどこした経緯絣が存在する。
 略して緯総(よこそう)とも呼ばれる緯総絣は、全ての緯糸が絣糸で織られた緯絣の絣織物である。
 こうして染められた絣糸は普通の絣とはまた違う風合いを持ち、絵模様をあらわした紬や銘仙などに用いられ、かなり複雑な柄をあらわす事ができる。
 また、緯糸だけで柄を織り出す事から、縦緯絣に比べれば格段に手間がかからず、安価に出来るのも特徴とされる。
 緯総絣は、落ち着いた風合いを持つ、伝統の織物である。
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2007/12/3


文様 矢絣 Monyou Ya-gasuri 

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 矢絣(やがすり)とは、矢の文様を織り出した絣を指し、矢筈(やはず)とも呼ばれ、絣柄のひとつである。他に染め物などでも見ることができる。
 たて糸を段に染め、少しずつずらして矢羽根状になるように織られており、大きい矢絣は若向き、細かいものは年配向きとして、派手な文様から落ち着いた文様まで様々な柄がある。
 非常に古くから使われている文様で、江戸時代には射た矢が戻ってこないことになぞらえ、結婚の際に矢絣の着物を持たせると出戻ることがないと縁起柄ともされていた。
 明治から大正、昭和初期にかけては女学生の制服としても愛用され、今でも卒業式などで時折見られる矢絣の袴姿に、その面影を見ることができる。
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2007/11/8


弓浜絣 Yumihama-gasuri 

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 弓浜絣(ゆみはまがすり)は、鳥取県西部の弓ヶ浜地方に伝わる綿織物で、主な製品に着物地、座布団、のれん、袋物などがある。昭和五〇(1975)年九月、通商産業大臣(現経済産業大臣)より伝統的工芸品の指定を受けた。
 弓ヶ浜半島で弓浜絣の原料となる綿花の栽培が始められたのは江戸時代前期。この半島は「浜の目」と呼ばれ、そこで産出する綿は自家用衣料として綿布に織られていた。その後、藍玉問屋が設けられたことをきっかけに、江戸時代後期には藍の栽培が進められ、米子や弓ヶ浜あたりで「浜の目絣」「浜絣」と呼ぶ絵絣が、農家の婦女子の手によって織られるようになった。明治時代中期に全盛を迎えるが、洋式紡織業の発達に押され衰退。現在は少数の伝統工芸士らによって技術・技法が継承されており、民芸的なあたたかい味わいのある綿織物として異彩を放っている。
 弓浜絣は長年の使用にも耐え、吸湿・保温性に富み、日本の気候風土によく合う。パターン化された柄は線の表情が豊かで、情緒がある。
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2007/8/27


伊勢崎銘仙 Isezaki-meisen Isezaki Ikat

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 伊勢崎銘仙(いせさきめいせん)は、群馬県伊勢崎市に伝わる織物である。別名、伊勢崎絣。
 伊勢崎では古くから養蚕が盛んで、絹織物の始まりは紀元前とも言い伝えられるが、産地が形づくられたのは、17世紀後半になってからである。
 江戸時代に、緻密な織物を「目専」と言ったが、これが語源となって、その後「銘仙」と呼ばれ、明治時代に東京でも売り出した。
 以後、昭和の時代に大繁盛し、2度ピークを迎えるが、現在は大分落ち着いている。
 その特色は括り絣、板締絣、捺染加工の技法にあり、単純な絣柄から精密な絣模様まで、絹の風合いを生かした手作りの絣として、色々なものが作られている。
 布地は丈夫で柄が多種多様、値段が手頃というのが特徴である。
 伊勢崎銘仙は、今も昔も手作業で造る丁寧・緻密な織物である。
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2007/5/1


川口良三 Kawaguchi Ryouzou 

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 滋賀県近江地方に伝わる伝統工芸品「近江上布」の伝統工芸士。
 近江上布は麻織物の中でも最高級品とされ、通常より細く繊細で上質な麻糸を平織りして織ったものを指す。
 近江の肥沃な土地の恵みを受け、室町時代から生産が行われ、幕府への献上品とされてきた。
 江戸時代には彦根藩の庇護を受け、近江商人達の手により全国に広まり発展した。
 模様決め、染め、織りまでの工程をすべて一貫してこなし、あくまでも伝統の技法にこだわる氏は、近江上布独特の絣染めにも力を入れ、作品を作り上げる。
 「機械化をしたら伝統の技法が失われる」と語り、訪れるものにはすべての技法を惜しげもなく教え、後世へ伝える、伝統の伝道者である。
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2007/4/27


土佐つむぎ Tosa-tsumugi 

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 土佐つむぎは、大正の初期、染めた木綿の糸を付近の農民が織り、作られた衣類や小物を集め売ったのが起こりと言われる。
 「のら着」「もんぺ」などの生地として庶民の間で親しまれてきた土佐つむぎ。通常「紬」と言えば絹糸を使用するが、土佐紬は木綿の糸を使用。独特な渋く深い色合いは、数種類の染料を混ぜ合わせ、何度も色作りを重ね生まれたものだ。
 近年は、木綿の良さが再認識され、小物類から、シャツ、作務衣など、多種多様の製品が生みされ、土佐の土産品としても大変に人気があったが、そのこだわり抜いた染料が現代では手に入りにくい状況となり、近年最後のひとつとなった工場が惜しまれつつも閉鎖された。現在は在庫のみが残る大変貴重な工芸品となったのである。
 懐かしい手触り、深みのある色彩、どこかで見かけたなら、是非手に取り様々な思いを感じ取ってほしい。
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2007/3/6


出雲織 Izumo-ori 

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 出雲織は島根県安来市で行なわれている手織物の技法である。
 島根県ふるさと伝統工芸品の一つであり、絣織(かすりおり)から発展した織物。技法自体は江戸時代に作られたものに新たな図柄などを加え、現在に復活させたもの。
 各段階ごとの分業制ではなく、一人が全ての工程を行なう昔ながらの手法を取る。
 特徴はデザインと色合いにあり、独創性に富んだデザインと技法に裏打ちされた、細やかな濃淡の染物により、他とは異なるものを常に模索し、作り出している。
 現在は安来市の「出雲織 のき白鳥の里」内の、出雲織茅葺き交流棟で製作過程を見学することができ、伝統の技法を広めている。
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2007/2/23


久留米絣 Kurume-gasuri Kurume Ikat

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 久留米絣は、福岡県久留米市にて織られる織物である。
 久留米絣は、有馬藩の城下町に住んでいた少女・井上伝によって、1800年頃考え出された。
 幼い頃から機織りが好きだった伝は、衣服についていた白い斑点から、掠れ模様の織り方を発見し、これを加寿利(かすり)と名付けた。これが今の「絣」の名前の由来である。
 絣は美しく耐久性のある衣料として全国的に有名となり、絣織は久留米を中心とする南筑地方に確固たる基礎を確立した。
 絣は先染め織物の一種であり、糸の段階で括りによる絣糸を作って染色し、織り上げるため、デザインに深みがでる。
 久留米絣は素朴な織物で、着物、小物、インテリア用品などに幅広く活用されている。
 1957年、重要無形文化財に指定される。
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