NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/24


【潮】 Chou The Character for Tide

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 大自然をテーマとする親しみやすい字。
 本来は水と艸と日だけを合わせた字で、後で月が加わりました。日(太陽)の上下に草があります。左右が反対の字体もあります。月がはじめて加わるのは篆文(てんぶん)です。古代、太陽と月の天体の形そのものを表すためにその字の真ん中に点を付けることがありました(例外あり)。現在の「日」の真ん中の線はこういう由来です。また他の字と間違えないためでもあります。例えば、環の中の○と太陽を区別できるように。(実は、詩的な言葉使いでは、太陽、月、星はよく玉にたとえられました。『荘子』でもそうです。)
 潮の甲骨文字と金文(きんぶん)の旧字体には月の部分がまったくありません。勿論、古代人が月に興味がなかったというわけではありません。ただ、月の引力は潮の満ち干を起こさせるといった科学的な因果関係についての認識がなかっただけだと思われます。
 『百人一首』などのような平安文学をみても月に対する日本人の特別な思い入れがわかりますが、それほどまででないにしても、古代中国人の月への執着も著しいものです。青銅器に刻まれた金文にある望という字には、月を4週に分かつ時間の捉え方が見られます。また、この字には、月への執着だけではなく、月の引力発見にまで至らないものの、冷静な天文学的な、雲気などの観察との関係もみられます。
  
■ 潮・金文(きんぶん)
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2007/9/21


安倍清明 AbenoSeimei Abeno Seimei

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 陰陽師として知られる安倍晴明(あべのせいめい)は、平安時代の『今昔物語集』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』、歌舞伎や文楽の演目の中で語り継がれてきた伝説的な人物。
 出自には謎が多い。幼少期から怪異を見る力があり、当時の陰陽道の大家・賀茂忠行に師事して、天文・暦法・占術などの知識を吸収した。やがて、式神を操り、病を鎮め、雨を降らせるまでに至ったが、晴明の個性は、時空間を読む力、暦の秘密の把握にあったという。陰陽五行と占術の関係を理論化した『占事略決』を始め、いくつかの秘伝書を記した。
 当時としては異例の85歳という長寿だった。晴明の死後、彼の子孫は土御門家として、歴史の舞台裏で君臨し続けた。京都にある安倍晴明神社には、今でも参拝者の姿が途絶えない。
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2007/7/2


立冬 Rittou Rittou

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 立冬は一年を二十四等分したいわゆる「二十四節気」の一つである。
 時期としては十一月七日もしくは八日がこれにあたる。
 単純に月だけを見れば、秋も深まったころといったイメージだが、この日を境に「冬」が始まると昔の人は捉えていた。
 二十四節気自体は太陰暦が用いられていたころ、季節を表すものとして古くから日本の四季の目安とされてきた。
 春の立春から始まり、冬の大寒まで四季それぞれに六つの節気が用いられている。
 立冬は冬の始まりと共に、もう冬になりましたよということでもある。
 四季それぞれの気候がはっきりしている日本だからこそのものであると同時に、季節の移り変わりで日々の流れを汲み取る、古来からの揺るやかな時の流れがそこにはあるように感じられる。
 たまにはゆったりと二十四節気で季節を感じてみるのもいいかもしれない。
 立冬を過ぎれば、小雪。もうすぐ雪が舞い始める。
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2007/6/21


六月 水無月 Rokugatsu Minazuki June, Minazuki

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 六月は水無月(みなづき)という別称がある。
 旧暦では、梅雨が終わった時期であるため「水が無い月」から、とされる説のほか、田植えが終わり田に水を入れる月であるという、全く逆の説、そして「無」は「の」にあたる助詞であるため「水の月」と意味づけられる説など、諸説ある。
 とはいえ現在の暦では、六月は入梅にあたり雨の多い月、というイメージから水の月という言葉がしっくりとおさまるようになったようだ。
 京都では昔、氷がなかなか手に入らなかった時代があったことから、毎年六月三〇日に氷に見立てたお菓子である水無月を、無病息災を祈願し食す習慣がある。
 六月も下旬を迎えると「夏至」を迎え、梅雨が明けるとすぐに暑い夏がやってくる。
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八月 葉月 Hachigatsu Hazuki August,Hazuki

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 八月は別名を葉月(はづき)という。
 その由来はいくつかあり、新暦の九月から十月にあたるため、葉がおちる秋の表現である「葉落月」、また稲の穂が張る月から「稲張り月」、そして「張り月」に転じて葉月となった等、多くの説がある。
 また、中秋の名月と呼ばれる満月を見れることから「月見月(つきみづき)」の別名もある。
 年中行事として、八月の二日から七日に行われる青森ねぶた祭り、四日から七日に行われる秋田竿灯、六日から八日に行われる仙台七夕など、東北地方では短い夏を謳歌するように大きな祭りが行われ、鮮やかな夏に更に彩をそえる。
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十月 神無月 Juugatsu Kannazuki October, Kannazuki

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 十月は別名を、神無月(かんなづき)と呼ぶ。
 島根県の出雲大社に全国八百万(やおよろず)の神様が集まる時期とされ、そのため出雲以外の地域には神様が留守になるため「神がいない月」ということから神無月とされる説がある。このことから、近年では、この時期出雲では他の地域とは逆に「神がいる月」とされ神在月(かみありづき)と呼ばれることもあるようだ。
 しかし、この月は神様を祀る時期であることから、無を助詞の「のと」と読み、「神の月」を表す、というのが有力な説と言われている。また、雷のない月だから雷無月(かみなしづき)、という説もある。
 十月は暦の上でも上旬は「寒露(かんろ)」と言われ、朝夕の冷気が草の葉に凝り、山の木々の葉も色づき始め、そして下旬に移る頃には「霜降(そうこう)」よ呼ばれ、秋の暮れ、北国では霜が地を白く飾る頃とされている。季節は秋から徐々に冬へ向かい、一日一日と肌に感じる風が冬そのものを感じさせるようになる。
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十一月 霜月 Juuichigatsu Shimotsuki November, Shimotsuki

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 一一月は別名を霜月(しもつき)と呼ぶ。
 霜が降りる時期を迎えるため霜月と呼ばれているが、次月の十月の別名である神無月(かんなづき)を上の月と考え、その下の月ということから下月が転じて霜月となった説もある。また、作物が実り収穫される時期であることから食物月(おしものづき)の略と言われることもある。
 一一月にはさらに別名として、霜が始めて降る「霜降月」、出雲から神が戻る「神楽月」、雪がもうすぐ振ることから由来とされる「雪待月」などもある。
 三日には文化の日、一五日には七五三、二三日には勤労感謝の日という祝日が定められており、両日とも収穫を終えて実りを感謝することから始まった日とされている。
 また、十干十二支方で酉にあたる酉の日には、各地の鷲神社に商売繁盛や開運、授福等を祈る祭礼である酉の市(とりのいち)が行われる。
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十二月 師走 Juunigatsu Siwasu December, Shiwasu

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 一二月は別名を師走(しわす)呼ぶ。
 年も暮れに近づき、さまざまな締めくくり、そして新たな年を迎えるためへの家中の掃除、更には正月の準備など、誰もが忙しく奔走しており師匠も走るほど慌しい、という意味が現在では一般的に言われるが、 そもそも師走とは「師馳せ月(しはせづき)」が語源であり、昔は正月も盆と同様祖先の霊を弔う月であった。お経をあげるため、お坊さんがあちこちの家々を忙しく走りまわったのが大本の由来ではないかとされている。
 諸説として、年が果てる年果つ(としはつ)からとされるものもある。更に別名として春を待ちわびることから「春待月」、年末を迎えることから「暮来月」などがある。
 寒さも本番となり、山深い地域では大雪に見舞われるところもすくなくない。そのため、なかなか草花に触れる機会はないが「山茶花(さざんか)」が花をつけるのがこの時期だ。寒々しい風景の中に彩りを添えるように赤みを帯びた花が凛と咲く姿は、とても艶やかで美しい。
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