NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/8/3


ひえつき節 Hietsuki-bushi 

Jp

 ひえつき節は、宮崎県東臼杵郡椎葉村に伝わる民謡である。
 焼畑農業で収穫したヒエをつく時に歌われた労働歌で、明るくのびのびとした中にも、山村に生きる人々の力強さが感じられる。
 800年前、那須大八郎宗久は鎌倉幕府から平家の残党追討の命を受けたが、椎葉の落人たちのつましい生活を目の当たりにし、共同体の生活に協力し、平清盛の末裔・鶴富姫と子供までもうけた。しかしやがて幕府への帰還を命令され、泣く泣く別れた時に生まれたのがひえつき節だという。
 毎年9月第2土・日曜の2日間、九州各地からおよそ250名が参加して自慢ののどを披露する「ひえつき節日本一大会」が行われ、ひえつき節が一日中、山あいに木霊する。
 ひえつき節は、全国的に知られた椎葉村を代表する民謡である。
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2007/1/10


むぎや祭り Mugiyamatsuri Mugiya Festival

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 毎年9月中旬の2日間に富山県南砺市で行われる民謡行事「むぎや祭り」。哀調沁みる麦屋節ときびきびした直線的な振りは格調高く、凛とした風格が窺える。
 約800年前、権勢と栄華を極めた平家一門は屋島・壇の浦の合戦に敗れてついに滅亡。平家一門は安住の地を求めて人里離れた越中五箇山に住み着いた。都をしのび農耕の合間に唄い踊ったのが「むぎや節」の起こりと伝えられる。発祥は能登半島の輪島で、素麺作りの際に唄われていた作業唄であったという。能登と越中を往来した麦商人や、輪島素麺の職人などにより、能登麦屋節や「まだら」という祝儀唄が、越中の礪波平野を越え、五箇山へ入り、越中麦屋節になったとみられる。
 現在では一般市民のパフォーマンスを競うイベントも開催、城端別院善徳寺境内に設置された特設ステージでむぎや踊り競演会が行われる。
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