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2007/9/25


米倉鹿嶋神社 献饌行事 Yonekura-kashima-jinja Kensen-gyouji The Kensen Ritual at Yonekura Kashima Shrine

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 米どころ宮城の中心的役割を果たしているのが大崎市。ササニシキ、ひとめぼれなどが誕生した地として知られている。市役所から一キロ程の米倉(よねくら)地区にある鹿嶋(かしま)神社では、毎年九月九日と一〇日の二日間にわたり、献餞(けんせん)行事が執り行われる。献餞とは神道の祭式で、祝詞(のりと)を上げるに先立って、神官が神前に食物を供えることをいう。
 米倉鹿嶋神社は大崎開拓以来の古社とされ、戦前までは清和源氏足利氏(せいわげんじあしかがし)の一門・大崎氏の遺臣が祀ってきたが、その後は地域民も加わり祭事を続けている。初日は初穂献上に始まり、その他の儀を経て、神酒を戴き神饌を食する直会(なおらい)に至る。翌日の神輿巡幸をもって終わる。穀物の収穫に感謝する静かなこの祭事は、県の民俗文化財、風俗習慣に指定されている。
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2007/8/22


大滝山福生寺 三重塔 Ootaki-san-fukushou-ji Sanjuu-no-tou 

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 かつてこの場所に大滝山福生寺(おおたきさんふくしょうじ)という古い寺があった。創建は奈良時代で、鑑真和尚の開基と伝えられる。備前四八箇寺の一つでもある。
 南北朝時代には足利氏が再興し、全盛期には三三の僧房があったという。現在、福生寺という寺の存在はなく、福寿院、西法院、実相院という三寺が残されている。しかし、三重塔や仁王門など、往時をしのぶものもある。
 三重塔は、嘉吉元(1441)年に六代将軍・足利義教の再建といわれる。屋根は方形造の本瓦葺で、国指定重要文化財となっている。高さは約20メートルで、三重塔としては低い方であるが、室町時代の様式を備えた風格のある塔である。
 回りの僧房がすべて山野に戻ってしまい、三重塔だけが今も山の尾根に残されている。
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2007/6/18


能面 増女 Noumen Zouonna Noh Mask Zo-onna

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 能で使われる女性の面の一つ。
 気高さ、品位、理性的な雰囲気を持つ年は少し上の女性をあらわす面で、天女、神女といった神聖な役に使用する。
 室町時代に足利義満の側近である同朋衆の一人の増阿彌(ぞうあみ)が造ったとされたことから、増女(ぞうおんな)の名がついたとされいる。
 顔全体が小さいが額は大きめで顎を小さくまとめており、引き締まった顔立ちを表現している。他の女性をあらわす面と違い、口元が下がっているのも特徴で、狂女や神様など神聖を持った女性の役に使用する。
 熊野(ゆや)、江口(えぐち)等の曲に使われる。
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2007/5/23


瑠璃光寺五重塔 Rurikouji-gojuunotou 

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 瑠璃光寺の前庭に位置する国宝・五重塔は、時の将軍・足利義満と戦って戦死した大内義弘の霊を弔うため、義弘の弟・盛見が建てたものである。
 室町時代中期におけるすぐれた建築の一つであるとともに、大内氏隆盛時の文化を示す遺構として意義深いものとされ、明治36年に国宝に指定された。
 塔の高さは31.2メートルで、屋根は檜皮葺となっている。 2層には手すりがあるが3層以上にはないことや、初層内にある、仏をまつる場所「須弥壇」が円形であるなどの特徴がみられる。
 背景に山が迫り、桜や紅葉、雪景色の映える姿は、全国でも最も美しい五重塔といわれている。
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2007/5/1


金閣寺 Kinkaku-ji 

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 金閣寺。正式には「臨済宗相国寺派・北山鹿苑寺」(りんざいしゅうそうこくじは・ほくさんろくおんじ)。
 京都の北西、京都市北区に位置し、「金閣寺」の名はその金箔で飾られた煌びやかな姿から呼ばれた通称である。室町幕府の花の御所に隣接していた相国寺をはさんだ京都の東山にある銀閣寺も、同じ相国寺派である。
 創建は応永(おうえい)四(1397)年、、足利義満が河内国の領地と交換に西園寺家の山荘を譲り受け「北山殿」と呼ぶ別邸に一新したのが始まりである。義満の死後、その法名にちなんで「鹿苑寺」と名づけられた。
 金閣といわれる三層からなる金色の建物は、舎利(しゃり)(お釈迦様の遺骨)を安置する舎利殿である。
 池に映る青い空、緑に輝く木々、春の桜に秋の紅葉。そして金色に輝く舎利殿。
 無色と静寂だけが禅ではないことを、語ろうとしているのか。室町の「禅」は一筋縄ではいかない。
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2007/4/26


花見 Hanami 

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 花見は季節の花、特に春の桜を眺め楽しむこと、桜の木の下で行なわれる宴席を指す。
 歴史は古く、平安時代、貴族の間で桜を邸内に植えることが好まれたのが始まりとも言われる。鎌倉時代には後嵯峨上皇が京都、嵐山に桜を植えて花見を楽しんだと言う。
 室町時代には足利氏により花の御所が建造され、四季の花見が行なわれた。この頃から花見は四季の行事として知られ始め、安土桃山時代には豊臣秀吉による大規模な宴席である「醍醐の花見」が開かれた。
 江戸時代に入り、広く庶民にも親しまれるようになり、各地に花見の名所が生まれ、春の名物として楽しまれた。
 現在でも、春先に一斉に咲き誇る桜の下で花見が行なわれている。
 たった一週間という短い時間ではあるが、咲き誇る様、そして美しく儚い散り際は見事なもので、それらを一目眺めようと、毎年多くの人々が桜の名所に集う。
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2007/4/23


平岡八幡宮 Hiraoka-hachiman-gu 

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 平岡八幡宮は京都市右京区梅ケ畑に位置する神社である。
 大同四(809)年、空海が描いた僧形八幡神像を祀り、神護寺の鎮護の為に開基されたと伝わる。
 室町時代に焼失するが、足利義満により再建。現在の社殿は江戸末期に修繕が行われたものである。
 本殿の天井には江戸時代の画工、綾戸鐘次郎、藤原之信による四十四枚の花の絵が描かれ「花の天井」と呼ばれている。極彩色で描かれたう美しい花々は、毎年春と秋の二回に特別公開が行われ、多くの観光客が訪れている。
 願い事をしたところ、一夜ですべての花が咲き、願いが成就したという伝説が残る樹齢150年の白玉椿をはじめ、樹齢200年の紅椿など、様々な種類の椿が咲き誇る「椿の寺」としても有名である。
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2007/3/26


足利氏館 Ashikaga-shi-yakata 

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 源姓足利氏2代目義兼が、建久7 (1196) 年自らの邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が、堂塔伽藍(がらん) を建立し、足利一門の氏寺とした。
 周囲に土塁と堀をめぐらした寺域は、ほぼ正方形で、約4万平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷(平城) の面影を今に伝え、 大正11年3月、足利氏宅跡として国の史跡に指定されている。
 現在は鑁阿寺(ばんなじ)という寺になっており、足利氏ゆかりの建造物が数多く残されている。敷地は一辺が200mほどの、典型的な方形武士館の形状で、周囲には堀と土塁が廻っており、戦国期のような大規模なものではなく、一跨ぎで越えられそうなものだが、雰囲気はよく残っている。
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