NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/25


黒木御所跡 Kuroki-gosho-ato The Ruins of Kuroki Palace

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 黒木御所跡(くろきごしょあと)は、島根県隠岐郡西ノ島町別府にある後醍醐天皇の行在所跡(あんざいしょあと)と言われている場所である。
 元弘二(1332)年、二度の元寇(げんこう)によって力の衰えた鎌倉幕府への倒幕挙兵である元弘の変に失敗し、隠岐に配流となった後醍醐天皇の行在所と伝えられる。
 島前・西ノ島町の別府港に臨む天皇山という小高い頂きにあり、県の史跡に指定されている。
 その後、天皇は在島一年たらずで隠岐を脱出し倒幕に成功、建武の中興と呼ばれる親政を行った。
 天皇山の入口には資料館の碧風館(へきふうかん)があり、天皇に関する資料、伝承にまつわる文書、絵画などが展示されている。
 山頂には、天皇を祭る黒木神社と行在所跡の碑が存在する。
 黒木御所跡は、後醍醐天皇の不遇時代を偲ばせる史跡である。
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2007/8/27


生品神社 Ikushina-jinjya Ikushina Shrine

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 生品神社(いくしなじんじゃ)は、群馬県太田市新田市野井町にある神社である。祭神は、大穴牟遅神、品陀和気命、建御名方神。
 平安時代の神名帳に記載されているが、創祀年代は不明である。
 元弘三(1333)年5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けた際に、生品神社境内で旗揚げをし、鎌倉に攻め込んだと伝えられる。
 境内には社殿の他、義貞像、義貞旗揚げ塚、床几塚、旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木の神木、記念碑等、義貞にまつわるものが多々存在する。
 義貞挙兵の故事にならい、毎年5月8日には例祭として鏑矢祭が行なわれる。
 古くは生階と称し、太田市内に多くある同名の神社の本宮であり、古来より崇敬が篤い。
 生品神社は、忠臣新田義貞にゆかりある古社である。
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2007/6/29


丹後藤布 Tangofujifu Tango Fujifu (Tango Wisteria Cloth)

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 5月の中頃、山々を美しく彩る藤の花。その藤のつるから取り出した繊維を紡いで織り上げるのが「藤布」だ。丹後地方においては、山間部を中心に1200年以上織り継がれてきた技術であり、京都府指定伝統工芸品にもなっている。
 藤布の歴史は古く、万葉集の中にも「大君の塩焼く海人の藤衣」と、藤布が着用されていたことが詠まれている。また、元弘2(1333)年、鎌倉幕府によって隠岐の島に流された後醍醐天皇が藤の苗木を隠岐に持参されたという逸話もあり、藤を愛した天皇が藤布を身にまとい、都を懐かしんだとも語られている。
 かつては全国各地で庶民の衣料として生産されていたが、今では衣料の他にのれんやタペストリー、帯など装いからインテリアまで多彩な商品が作られ、伝統を現代に活かす取り組みが行われている。
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2007/5/8


鳥取 大神山神社 Tottori Oogamiyama-Jinja Okamiyama Shrine

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 鳥取の大神山神社は、鳥取県大山町大山にある神社である。大神山神社は、大山山腹の奥宮と、麓(米子市尾高)の本社の2社に別れている。祭神は、大己貴神(奥宮)、大穴牟遅神(本社)とされる。出雲国神仏霊場第9番札所となっている。
 元もとは大山に鎮座し、その神を祀るものであった。元弘三(1333)年、隠岐を脱出した後醍醐天皇が、大神山神社で鎌倉幕府打倒の祈願を行ったとされる。
 その後、奥宮は冬季に祭祀が行えないため、山麓に冬宮(現在の本社)が設けられた。
 奥宮は権現造りで、正面の長廊は両翼約50mあり、国の重要文化財に指定されている。
 安全祈願、厄除祈願などにご利益があり、6月には松明行列で有名な奥宮山開祭が行われる。
 大神山神社は、古くから信仰されてきた社である。
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2007/5/1


京都御苑 Kyoto-gyoen 

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 京都御苑は、京都御所、仙洞御所を囲む面積約63haの公園で一般に開放されている。
 広さ東西約700m、南北約1,300m。この広大な場所は、江戸時代には御所を囲むように有栖川宮などの宮家や近衛・九条・一条など二百もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ公家町であった。しかし明治の東京遷都の後、留守となった邸宅跡が荒廃したため、皇宮付属地として整備される。そして戦後、国民公園として開放され、現在は環境省の管轄である。
 この御苑の中にある京都御所は、794年の平安遷都時の内裏の場所とは異なる。当時の内裏は現在の場所より西に2キロのところにあったが、幾度の火災に見舞われ、元弘元(1331)年、光厳天皇がこの場所で即位したことにより、正式に「御所」となり、以後明治に至るまで五百年の間、天皇の住まいとなった。
 平成17年には、敷地内に京都迎賓館が開館している。
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2007/4/11


綾城 Aya-Jou Aya Castle

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 綾城(あやじょう)は、宮崎県東諸県郡綾町にかつてあった城である。
 鎌倉時代の末、元弘年間(1331〜34)に、綾氏によって築城された。
 足利尊氏の臣細川義門がこの地を領して称したのが綾氏であり、その後伊東氏に臣従し、綾城は伊東氏48城の一つに数えられた。
 天正五(1577)年、島津氏が戦いに勝って領有し、家臣の新納久時が城主となった。
 元和元(1615)年、一国一城令により廃城となる。
 昭和60年、日本城郭協会の時代考証により、当時の綾城を復元した物ではなく、日本で初めて中世風城館の建造物が構築された。
 地元の綾産のケヤキなどを使い、地元の職人が昔ながらの手法で造った木造3層建てで、城館内は資料館となっており、中世に生きた武士の姿を偲ぶ事ができる。
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2007/1/26


大野楽 Oonogaku Onogaku Performing Art

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 大野楽は、大分県日田市前津江町大野に伝わる舞台芸能である。
 大野楽の由来記には元弘元(1331)年、大旱魃(かんばつ)により奉納したのが始まりと伝えられる。八幡大菩薩(応神天皇)の誕生を祝って奏したのが始まりとも言われるが、正確な起源は不明である。
 はじめの頃は、旱魃、長雨、疫病流行などの際に奉納したらしいが、主として降雨祈願であったようである。
 近世では、五穀豊穣、疫病災難払い、天皇即位を祝うために氏神・老松天満社に奏楽していた。
 県の無形民俗文化財にも指定されている。開催は不定期で、10月の下旬に行われている。
 大野楽は、総勢100名あまりの人々が練り歩き、舞い踊る。その様子は勇壮にして風雅であり、大変きらびやかな楽である。
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2007/1/25


作楽神社 Sakura-jinjya Sakura Shrine

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 岡山県津山市と鏡野町との市境付近にある神社。後醍醐天皇と児島高徳を祀り、神社の境内全域が国指定の史跡になっている。
 かつてこの地は後鳥羽上皇の荘園であったことから「院庄」と呼ばれていた。元弘の乱(1331年)により隠岐に流される途中、後醍醐天皇がこの地に宿泊した御在所跡とされる。後醍醐天皇が宿泊している夜、厳しい警護の隙を突いて館に侵入した児島高徳が、庭の桜の幹に「十字の詩」をしたためて天皇を励ました、という逸話が「太平記」に記されている。
 この故事にちなんで、貞享五(1688)年に高徳顕彰碑、明治二(1869)年に作楽神社が建立された。
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