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向羽黒山城は、福島県会津美里町にあった城である。
永禄四(1561)年、向羽黒山城は黒川城主芦名盛氏が隠居城として築城を開始し、7年の歳月をかけて完成させたという。
この当時、芦名盛氏は会津を統一した。
東方では天文二十(1550)年、三春城主田村隆顕と結び安積郡に進攻し、仙道地方への発言力を強め、南郷地方へ進攻した佐竹氏と次第に対峙するようになっていった。
しかし、天正二(1574)年、嗣子盛興が死去すると、盛氏は向羽黒山城を廃城とし、黒川城に戻った。以後、芦名氏は次第に衰退し、伊達氏に滅ぼされた。
現在、城跡のある山全体が白鳳山公園として整備されている。
向羽黒山城は、往時の芦名氏を思い起こさせる、古城である。
永禄四(1561)年、向羽黒山城は黒川城主芦名盛氏が隠居城として築城を開始し、7年の歳月をかけて完成させたという。
この当時、芦名盛氏は会津を統一した。
東方では天文二十(1550)年、三春城主田村隆顕と結び安積郡に進攻し、仙道地方への発言力を強め、南郷地方へ進攻した佐竹氏と次第に対峙するようになっていった。
しかし、天正二(1574)年、嗣子盛興が死去すると、盛氏は向羽黒山城を廃城とし、黒川城に戻った。以後、芦名氏は次第に衰退し、伊達氏に滅ぼされた。
現在、城跡のある山全体が白鳳山公園として整備されている。
向羽黒山城は、往時の芦名氏を思い起こさせる、古城である。
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