NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/20


隈府城(菊池城) Waifu-jou(Kikuchi-jou) 

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 隈府城(わいふじょう)は熊本県菊池市にあった城である。
 正平年間(1346~1369年)、南北朝時代に九州で南朝の中心的存在であった菊地氏が築城したものである。そのため、菊池城ともいわれている。後に菊地家の家老であった隈部親永(くまべちかなが)が城主となった。羽柴秀吉が九州を平定してから、隈部親永は佐々成政(ささなりまさ)の配下となったが、検地に反抗し一揆を企てたため、佐々成政に攻めこまれ城は落城、隈府城は廃城となった。
 現在は、空堀や土塁を残すだけで、本丸跡には明治時代に菊地氏を祀る菊地神社が建立されている。
 境内には資料館が設けられ、この地の歴史を知ることが出来る。また、記念碑も設けられ、広場には菊地武光公の像も建てられている。地元では桜やツツジの名所としても有名な場所である。
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2007/12/6


浄感寺(長八記念館) Joukan-ji(Chouhachi-kinen-kan) Jokanji Temple (Chohachi Memorial Museum)

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 浄感寺(じょうかんじ)は、静岡県賀茂郡松崎町松崎にある浄土真宗本願寺派の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 永仁年間(1293~1299)に創建され、浄信上人によって開基された。元禄の大火で全焼してから衰退していたが、本多正観によって本堂が再建され、隆盛を取り戻したとされる。
 寺の本堂が、長八記念館(ちょうはちきねんかん)となっている。
 入江長八は、漆喰細工の名人とうたわれた左官職人で、江戸に多くあった代表作はそのほとんどが震災や戦災で焼失してしまったが、ここには長八の傑作として有名な、天井に描かれた「八方睨みの龍」や、「飛天」など約20点の作品が残っている。
 また、境内には長八の墓と胸像、記念碑が立つ。
 浄感寺は、長八の菩提寺であり、古来より災いを除き幸運を招く寺としても名高い寺院である。
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2007/10/12


杉原紙 Sugihara-gami Sugihara Paper

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 杉原紙は、兵庫県多可町加美区に千年以上受け継がれている伝統工芸品だ。
 奥深い谷からこんこんと湧き出る冷たく澄んだ水と、雪の舞う厳しい気候風土に育まれた楮(こうぞ)により生まれた杉原紙。
 奈良時代から歴史がはじまり、他の地方より進んだ製紙技術で写経用紙や薄紙を製造。紙の質・生産量ともに日本一と呼ばれた。しかし、時代の推移とともに洋紙に取って代わられ、大正十四年、杉原谷での紙漉きは幕を閉じたのだった。
 町をあげて日本一の名紙と謳われた杉原紙の保存に取り組むようになったのは昭和四一年から。杉原紙発祥の地の記念碑を立て、昭和四七年には杉原紙研究所を設立、昔ながらの製法で紙漉きを再開、現在では年間700キログラムの紙を生産している。昭和五八年には、県の重要無形文化財に指定されるまでに復活を遂げたのである。
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2007/9/19


秋目浦 Akime-ura 

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 秋目浦(あきめうら)は、鹿児島県南さつま市坊津町秋目にある景勝地である。
 正面岬と呼ばれる岩山が北方より海上に突き出しており、その付け根に向かって南よりえぐり込む様に湾を形成する、こぢんまりとした入江である。
 天平勝宝五(753)年、唐の高僧・鑑真和上が、盲人となりながらも6度目の挑戦でやっと日国への上陸を果たした地として知られる。
 近隣の秋目浦を見下ろす斜面には、鑑真記念館と上陸記念碑が建っている。
 鑑真記念館では、当時の様子を伝える「東征伝絵巻」の代表的場面の電照パネルや、秋目上陸を再現したスライドやジオラマ模型、中国で作製された鑑真大和上座像の複製などが展示されている。
 秋目浦は、箱庭のような美しい景観を誇るリアス式海岸である。
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2007/8/27


生品神社 Ikushina-jinjya Ikushina Shrine

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 生品神社(いくしなじんじゃ)は、群馬県太田市新田市野井町にある神社である。祭神は、大穴牟遅神、品陀和気命、建御名方神。
 平安時代の神名帳に記載されているが、創祀年代は不明である。
 元弘三(1333)年5月8日、新田義貞が後醍醐天皇より鎌倉幕府倒幕の綸旨を受けた際に、生品神社境内で旗揚げをし、鎌倉に攻め込んだと伝えられる。
 境内には社殿の他、義貞像、義貞旗揚げ塚、床几塚、旗挙げの時に軍旗を掲げたと伝えられるクヌギの木の神木、記念碑等、義貞にまつわるものが多々存在する。
 義貞挙兵の故事にならい、毎年5月8日には例祭として鏑矢祭が行なわれる。
 古くは生階と称し、太田市内に多くある同名の神社の本宮であり、古来より崇敬が篤い。
 生品神社は、忠臣新田義貞にゆかりある古社である。
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2007/8/3


御陣場山 Gojinba-yama The Ruins of Gojinbayama Encampment

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 御陣場山(ごじんばやま)は、宮城県登米市迫町佐沼にある本陣跡である。
 天正一九(1591)年、伊達政宗は豊臣秀吉より葛西・大崎一揆(かさい・おおさきいっき)勢の討伐を命ぜられ、一揆勢に囲まれた領主の木村吉清・清久(きむらよしきよ・きよひさ)親子が籠もる佐沼城へと進軍を開始した。
 葛西大崎一揆とは、小田原に参陣しなかった事を理由に、豊臣秀吉の奥州仕置により領地を失った豪族の反乱である。
 この戦いの時に、政宗がこの地に陣地を構えたので、この名前がついたと伝わっている。
 結局、一揆は正宗により鎮圧され、木村親子は救出された。
 現在は、記念碑が建てられていおり、御廟山(ごびょうやま)からも眺める事ができる。
 御陣場山は、伊達政宗ゆかりの戦国の昔を偲ぶ史跡である。
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2007/4/27


宮城 光明寺 Miyagi Koumyou-ji 

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 宮城の光明寺は、宮城県仙台市青葉区青葉町にある臨済宗の寺院であり、北山五山の一つとされている。
 弘安三(1280)年前後の開基とされるが、以後の事は不明である。慶長九(1604)年、仙台へ遷座した。
 寺前の長い階段を上って山門をくぐると、左手奥に支倉常長の墓があり、その傍らには、大航海に同行した宣教師ルイス・ソテロの記念碑が立っている。
 支倉常長は伊達政宗の命を受け、慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族にまで列せられた侍である。
 境内にあるオオバボダイジュは有名であり、夏は華やかな彩りを見せる満開のサルスベリ、秋には紅葉で庭園が彩られる。
 宮城の光明寺は、常長とソテロの墓で高名な古刹である。
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2007/4/10


安井息軒旧宅 Yasui-Sokken-Kyuutaku Sokken Yasui’s Residence

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 安井息軒旧宅(やすいそっけんきゅうたく)は、宮崎県宮崎郡清武町にある、学者・安井息軒が住んでいた武家屋敷である。国の文化財に指定されている。
 安井息軒は、寛政一一(1799)年、清武町に生まれた。
 幼い頃から学問に励み、その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、近代漢学の礎を築いた。
 「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり」という考えのもと、多くの人材を育て、門下からは谷干城や陸奥宗光など延べ200名に上る逸材が輩出された。
 旧宅の庭の隅には、徳川家達によって書かれた記念碑がある。また、庭内には安井息軒が自ら植えたとされる梅の木も残っている。
 安井息軒旧宅は、幕末に大きな思想的影響を与えた息軒の、息吹を感じられる家屋である。
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