NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/17


東門院 守山寺 Toumon-in Moriyama-dera Tomonin Moriyamadera Temple

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 天台宗の開祖・最澄が延暦一三(794)年に開いたと伝えられている。これより六年前に建立された比叡山延暦寺の東門に当たることから東門院(とうもんいん)と呼ばれ、桓武天皇により比叡山を守る寺に名号されたことから守山寺(もりやまでら)とも呼ばれている。所在地名の守山はこれに由来するという。
 江戸時代には朝鮮通信使特使の宿舎にもなったが、昭和六一(1986)年に本堂、庫裏が火災で全焼。本堂に安置され傑作と賞賛された十一面観音像も同時に焼失したが、平成二(1990)年に本堂を再建、十一面観音像も修復された。
 焼失を逃れた護摩堂本尊の不動明王坐像、境内の片隅にある鎌倉時代の石造五重塔は国の重要文化財に指定され、その他の美術品とともに、千二百年余りに及ぶ寺の歴史を物語っている。
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2007/9/7


陸奥総社宮 Mutsu-sousha-no-miya 

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 陸奥総社宮(むつそうしゃのみや)は宮城県多賀城市、多賀城政庁府東門跡地と加瀬沼との間に位置する神社である。
 周囲は鬱蒼とした木立に囲まれている。
 総社とは、いくつかの神社の祭神を一か所にまとめて祀った神社の事である。
 陸奥総社宮は平安中期には陸奥国府に属し、陸奥国内百ケ所を統括する総社であり、祭司は中央政府の国司であった。国府制度が廃止された後も、歴代伊達藩主や多くの人々の信仰を集めていた。
 社内の階段左右には大社一五、小社八五の神社名が列記されている。
 拝殿の先の神殿の両側には樹齢六〇〇年余りの老杉と、二二〇年余の老白木蓮が対になっている。それは、長寿で仲の良い夫婦と見たて、家庭円満の幸せの神樹とされている。
 
 
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2007/6/15


碓氷関所跡 Usui-sekisho-ato The Ruins of Usui Checkpoint

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 碓氷関所跡は、群馬県安中市松井田町にあった関所跡である。三大関所のひとつとされている。
 元和九(1623)年、江戸幕府・二代将軍徳川秀忠によって中山道の関所が置かれた。
 いわゆる「入鉄砲に出女」の取締まりを狙いとしたものである。
 明治二(1869)年、廃関されるまで中山道の要所となった。
 昭和三四(1959)年、東京大学教授工学博士・藤島亥治郎の設計により、番所跡に、東門が復元された。
 門柱および門扉は当時使用されていた物で、総ケヤキ材の要所に金具を用いた、堅固な物である。
 毎年5月第2日曜日には碓氷関所まつりが催され、八木節や太鼓の演奏などが賑やかに披露されるほか、子供たちが扮する関所役人隊も登場し、可愛らしい姿を一目見ようと大勢が訪れる。
 碓氷関所跡は、往時を今に伝える歴史的建築物である。
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2007/5/7


高知 金剛福寺 Kouchi Kongoufukuji Kongofukuji Temple

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 四国霊場
 第38番札所。
 弘仁年間、弘法大師はこの地を行脚して千手観世音を感得した。この足摺岬は四国の最南端に位置することから観世音の理想世界の地として朝廷へ奏聞し、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を賜った。その後、弘仁十三年、伽藍を建立し、千手観世音を安置する。
 仁王門に掲げられた扁額(へんがく)は嵯峨天皇の直筆である。
 37番岩本寺からの距離は約88km。遍路の中でも最長距離である。土佐の京都といわれる中村より四万十川を渡り、伊豆田峠を越え下ノ加江より以布利へ、ここから土佐清水を経て海沿いに窪津、稲荷崎、足摺岬へ。岬の突端に近づくと急激に海へ迫り、アコウや天然のツバキ林を抜ければ、12万平方メートルの広大な境内に本堂をはじめ諸堂が点在する。
 平安時代後期には観音道場として信仰を集め、和泉式部が建てた逆修塔もある。
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2007/3/28


無量光院跡 Muryoukouin-ato 

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 無量光院跡は岩手県西磐井郡平泉町に位置する史跡である。
 藤原秀衡が奥州藤原氏の居館、柳之御所の西側に創建した持仏堂とされ、無量光院は宇治平等院の鳳凰堂を模して建てられたと伝わる。
 度重なる火災により焼失し、現在残るのは土塁、礎石、池跡のみであり、周囲は水田に囲まれている。
 発掘により、本堂を中心に伽藍が建ち並び、東門、中島、本堂が一直線上に建てられた、金鶏山を望む壮大な造りをした寺院であったことが判明している。
 本堂背面で、二片の金銅製透彫りの瓔珞(ようらく)が発掘、復元されており、その鮮やかな様子が往時の繁栄を思わせる。
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