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2008/7/22


天の真名井 Ame-no-manai 

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 天の真名井(あめのまない)は、鳥取県米子市淀江町高井谷の高台に湧く水である。環境庁の名水100選のひとつに選ばれている。
 古代から絶えず湧出し、生活に不可欠の水源として遠い昔から大切にされ、地域住民のふれあいの水辺として親しまれている。
 せせらぎや現役の水車の音が響く集落の中の遊歩道を辿ると、薄暗い竹林の中に、ほとばしる源泉と、澄んだ水をたたえた池がある。
 水量は一日2500トンで、水温は14度前後と年中一定しており、夏は冷たく冬は温かい。
 生活用水、農業用水、ニジマス養殖など広く活用されており、平成二(1990)年には周辺整備がなされ、カヤ葺きの水車小屋、あずまや、遊歩道、駐車場が整備された。
 天の真名井は、清浄な水に付けられる最大の敬称が名前の理由とされる、淡々と湧く名水である。
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2008/7/3


麒麟獅子頭 Kirin-shishigashira 

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 麒麟獅子舞(きりんししまい)は因幡地方、現在の鳥取県に伝わる獅子舞である。
 獅子舞は中国から伝わったもので祝いの席や神事の時に祭囃子に合わせて獅子が踊るものである。江戸時代の慶安元(1648)年に初代鳥取藩主となった池田光仲がはじめたといわれている。
 頭は中国の伝説の動物である麒麟の角と面長な頭部、そして獅子の太い眉と口が融合したもので、舞はこの頭を被る二人たちの獅子舞とやはり中国の伝説上の動物である猩猩(しょうじょう)の姿をした先払いの三人で舞う。
 麒麟獅子の頭の中でも国府町の稲荷神社にあるものが一番古く一六世紀、室町時代の作といわれている。
 鳥取県以外では、広島の広島東照宮、北海道利尻島の長浜神社だけにしか見られない伝統芸能であり、麒麟獅子舞は鳥取県の無形文化財に指定されている。
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2008/6/30


羽衣石城 Ueshi-Jo 

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 羽衣石城(うえしじょう)は、鳥取県東伯郡湯梨浜町にあった山城である。
 正平二一(1366)年、南条貞宗によって標高376mの羽衣石山に築城され、以後、南条氏の拠点として使用された。
 山陰道と東郷池に臨む東伯耆の要衝にあり、尼子氏や毛利氏と激しい攻防を繰り返した。
 慶長五(1600)年、関ヶ原の合戦で南条氏が敗れ、羽衣石城は廃城となる。
 昭和六(1931)年、南条氏の子孫の手により、山上に模擬天守が建てられた。
 現在、羽衣石城にはよく整備された模擬天守と物見櫓風の展望台があり、山頂部に本の丸、二の丸、三の丸を配置し、主郭部から西へ削平地が幾段も置かれ、東の尾根には2筋の堀切が残る。
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2008/6/26


米子城(湊山城) Yonago-jou(tsuyama-jou) 

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 米子城(よなごじょう)別名湊山城(つやまじょう)は鳥取県の米子市にある城である。元々は中海を背に周囲の水壕に海水を引き入れられた浮城であった。現在、水壕は埋め立てられている。
 最初の築城は応仁の乱の時西軍の山名氏であるとされているが、天正年間(1573~1591)豊臣の家臣、吉川元春によって飯山に築かれ、その子の吉川広家が飯山から峰続きの湊山に新城を築いた。これが、現在の米子城である。
 その後、何人か城主は変わり、寛永九(1632)年に池田由之(いけだよしゆき)が城主となった。
 本丸は湊山の山頂に位置し、中村忠一が城主の時に四層五階の大天守閣が築かれた。
 現在では、本丸までの道程に番所跡や遠見櫓跡などが残されている。
 湊山の山頂からは出雲地方の平野部や日本海、中海を一望することが出来る。
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2007/11/8


因州和紙 Insyuu-washi 

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 因州和紙(いんしゅうわし)は、鳥取県東部地方で生産される和紙で、製品には画仙紙、書道半紙、襖紙などがある。昭和五〇(1975)年五月、通商産業大臣(現経済産業大臣)により伝統的工芸品に指定された。
 江戸時代前期から中期にかけて、藩が公務で使う御用紙を全て藩内でまかなうことを目的に作られたのが始まりとされている。明治時代に入ると、県の指導により和紙の原料となる三椏(みつまた)栽培に力が注がれるようになり、製紙工場数は江戸時代の約五百から千三百以上に増加した。昭和時代中期になると、手漉きの画仙紙、書道半紙や工芸紙の生産が軌道に乗り、因州和紙は更なる発展を遂げた。
 製法は、とろろ葵の根から作った液を紙料液に加えて簀桁(すげた)で汲み、揺り動かしながら繊維を絡め合わせ、何度も汲み上げることによって希望の厚さを求めてゆく。この工程には高度な技術と豊富な経験が必要で、名工と呼ばれる職人の漉いた紙は、百枚が百枚とも同じ重さで、厚さにも偏りがないという。
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弓浜絣 Yumihama-gasuri 

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 弓浜絣(ゆみはまがすり)は、鳥取県西部の弓ヶ浜地方に伝わる綿織物で、主な製品に着物地、座布団、のれん、袋物などがある。昭和五〇(1975)年九月、通商産業大臣(現経済産業大臣)より伝統的工芸品の指定を受けた。
 弓ヶ浜半島で弓浜絣の原料となる綿花の栽培が始められたのは江戸時代前期。この半島は「浜の目」と呼ばれ、そこで産出する綿は自家用衣料として綿布に織られていた。その後、藍玉問屋が設けられたことをきっかけに、江戸時代後期には藍の栽培が進められ、米子や弓ヶ浜あたりで「浜の目絣」「浜絣」と呼ぶ絵絣が、農家の婦女子の手によって織られるようになった。明治時代中期に全盛を迎えるが、洋式紡織業の発達に押され衰退。現在は少数の伝統工芸士らによって技術・技法が継承されており、民芸的なあたたかい味わいのある綿織物として異彩を放っている。
 弓浜絣は長年の使用にも耐え、吸湿・保温性に富み、日本の気候風土によく合う。パターン化された柄は線の表情が豊かで、情緒がある。
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2007/10/11


因幡三山 Inabasanzan Inabasan-zan Mountain

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 因幡三山(いなばさんざん)とは、鳥取県国府町にある甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま)の三つの山の総称。 この一帯は、奈良から平安・鎌倉の時代にかけて、政治文化の中心地として繁栄し、因幡国府が置かれた場所である。万葉集の編纂者で有名な大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に命ぜられてやってきたことでも知られる。
 万葉集の巻末を結ぶ有名な歌、「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」は、ここ因幡の地で詠まれたものであり、このことから万葉集はこの地で編纂作業を進められたと考えられている。
 国府を中心として東に甑山、西に面影山、南に今木山が位置し、国庁の正殿から因幡三山を望むことができたという。面影山は女性、甑山と今木山は男性の姿に見える。
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因幡国庁跡 Inaba-kokuchoato 

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 因幡国庁は、大化の改新(645年)の後、全国各地に置かれた地方行政庁のひとつ。国の史跡に指定され、因幡国庁跡総面積3万2000平方mのうち、約7000平方mが史跡公園として整備されている。
 この場所からは、1キロ平方m四方におよぶ建物の遺構が発掘されたほか、木簡、硯、瓦片、土師器(はじき)、須恵器など、飛鳥時代の文化・政治を知るための貴重な遺物が出土している。
 因幡国庁と言えば、万葉集の編纂者としても名を馳せた大伴家持が、天平宝字二(758)年、因幡守に任命され、やってきたことでも有名だ。国庁からは東に甑山、南東に今木山、西に面影山の「因幡三山」が見える。これらの山々を眺めながら万葉集の最後を飾る歌「新しき年のはじめの初春の今日降る雪のいや重け吉事(いやしけよごと)」を詠んだ。
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