NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/15


揚浜式製塩 Agehamashiki-seien 

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 揚浜式製塩(あげはましきせいえん)は、石川県珠洲市清水町に伝わる製塩技術である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 能登における製塩は、江戸時代に加賀藩が藩の産業として塩づくりを奨励したため、近世に独自の発展を遂げた。
 近代になり国の専売制が実施されると衰退の途を辿ったが、珠洲市では製塩の保存会が結成されたため、今日まで揚浜式製塩の技術が伝えられている。
 塩田整備にはじまり、体力の消耗の激しい潮汲み、潮撒き、沼井作り、室温60度に達する釜屋での夜を徹しての作業など、塩作りに係る一連の作業に伴う技術は全国唯一のものであり、世界最古の製塩技術と言われている。
 骨をおって作り上げるこの作業から、「手塩にかける」という言葉が生まれたと言われている。
 揚浜式製塩は、今もまろやかで甘味のある天然塩を生み出す、貴重な製塩法である。
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2007/12/14


泰平寺 Taihei-ji 

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 鹿児島県薩摩川内市にある泰平寺(たいへいじ)は和銅元(708)年、元明天皇の勅願寺として天下泰平を祈願して創建された。当初から七堂と堀を備える大伽藍であった。
 戦国期には豊臣秀吉の九州平定時の本陣となり、秀吉と島津氏の和睦会の場となる。その際住持である宥印法印(ゆういんほういん)が和睦の斡旋に尽力したという。現在も宥印法印の墓石の横に記念の和睦石が残っている。 
 泰平寺を舞台とした民話「塩大黒」も残っている。この地方で塩が手に入らなかった頃、お坊さんが大黒天像に愚痴をこぼすと、大黒天像が本堂から消え甑島(こしきじま)から塩をどっさり持ってきたという話だ。
 寺は明治の廃仏毀釈にて取り壊され、大正時代に再建された。創建当初からの秘仏、薬師寺如来は行方不明となるが、大黒天像は難を逃れる事ができた。大黒天像は黒く煤けた木製の立像で、愛嬌のある柔和な笑みを浮かべている。
 平成二〇(2008)年は創建一三〇〇年にあたり、記念大法要が執行される。
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2007/10/5


足助春まつり Asuke-haru-matsuri 

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 足助(あすけ)はかつて塩の道と呼ばれた中馬街道の宿場で、奥三河の中枢拠点として栄えた。今も往時の面影を残す古い町並みが、足助川沿いの約二キロにわたって残る。
 足助では、毎年四月第二週の土日曜日に「春まつり」が開催される。この祭りは、明治三五(1902)年に創建された足助神社の例祭で、元弘の乱において京都笠置山で奮戦した足助次郎重範(あすけじろうしげのり)を偲ぶ。勇壮な秋祭りに対して、華やかな女の子の祭りと言われている。
 旧足助町域にある親王町、田町、本町、新町、西町、宮町、松栄町の七つの町から花車が出る。花車はピンクの造花で美しく飾られており、十代以下の女の子がお囃子の太鼓をたたく。そして若連と呼ばれる二〇代中心の男衆が花車の梶を取り、足助の町並みを練り歩く。その後、七台の花車は足助神社に集結し奉納囃子が始まる。奉納囃子の演奏は、一台ずつ順番に行われる。
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2007/9/10


五十鈴神社 Isuzu-jinja 

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 宮城県気仙沼市にある、カツオの水揚げで名高い気仙沼港に程近い神明崎の上にあるのが五十鈴神社(いすずじんじゃ)だ。
 その興りは応永年間(1394~1428)にまで遡る。当時、周辺の村毎に一社の皇大神宮を祀ることになり、丸森に建立されたのが始まりとなる。
 その後の慶安年間(1648~1652)に現在の神明崎に遷座され、今に至っている。
 境内には御祭神を祀った産霊(むすび)社と、気仙沼に海苔養殖と製塩技術を導入した、地元産業開発の祖といわれる猪狩新兵衛翁の御霊を祀る猪狩神社があり、どちらも手厚く保護されている。
 また、神社のすぐ下の神明崎先端にあたる場所には浮見堂と呼ばれるお堂があり、お堂の左右に伸びる朱に塗られた欄干がちょうど海の上に浮いているように見えるなど、深い森と青い海が調和し見事な風景を見せてくれる。
 夜になればこの浮見堂もライトアップされ、よりいっそう幻想的な雰囲気をかもし出す。
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2007/7/26


御釜神社 Okama-jinja 

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 御釜神社(おかまじんじゃ)は、宮城県塩竈市にある神社。創建は鎌倉時代と伝えられ、同じ塩竈市にある鹽竈神社(しおがまじんじゃ)の末社として信仰を集めている。
 祭神は製塩法を伝えたとされる鹽士老翁神(しおつちおぢのかみ)。この神社は、日本製塩起源の発祥の地。境内には、塩竈市の名前の由来となった、直径180cmの大鉄釜4口が安置されている。
 毎年7月には、古代製塩法「藻塩焼(もしおやき)」での塩作りの神事が行われる。藻塩焼神事は、7月4日にホンダワラ(海藻)を刈り取る「藻刈神事」から始まり、翌5日に塩釜湾の釜ヶ淵から海水を汲み取り、一年間御神釜4口に張られた海水を取り替える「水替神事」が行われる。6日は大きな釜で塩を炊き上げる「藻塩焼神事」を行って荒塩を作り、炊き上がった荒塩を10日に鹽竈神社に神前に奉納する。この「藻塩焼神事」は、宮城県の無形民族文化財に指定されているという。
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2007/1/24


奥能登塩田村 Okunoto-endenmura Oku-Noto Salt Pan Village

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 能登の人々と塩との関わりを展示した資料館及び体験型設備。
 四方を海に囲まれた日本では、海水から塩を取り出す方法が発達。色々な地方に、塩を作る浜辺=塩浜が作られた。
 その技法は大きく分類し、揚げ浜・入り浜の二つが挙げられるが、能登半島においては、多くの海岸で、揚げ浜式によって製塩が行われていた。
 奥能登塩田村がある珠洲市では、現在も五〇〇年前と、ほぼ同じ、揚げ浜式の技法によって塩が作られている。
 揚げ浜式とは、海水を手桶にくみ、何度も何度も砂に撒いて天日に干す方法。ミネラル豊富で、塩自体にもうまみがあるが、何よりその塩を調理に用いると、他の素材のうまみも引き上げられるのが特徴だ。
 奥能登塩田村では、この昔ながらの揚げ浜式の製塩法を体験、自分だけのオリジナルの塩を作ることができる。期間は五月から九月の間。
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