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妙法院(みょうほういん)は、数々の著名な寺社が立ち並ぶ京都府東山区に位置する天台宗の古刹である。
古くから皇族や貴族の子孫が住持を務める寺院を「門跡」といって別格の扱いとされるが、この妙法院も門跡の一つであり、青蓮院、三千院と並び「天台三門跡」と称されてきた名門である。
その創建には諸説あり、元は比叡山上にあった小寺院であるといわれ、開祖を最澄とするものや、後白河上皇が落飾後の永暦元(1160)年ごろ、比叡山の僧、昌雲が里坊を開いたのを始まりとするものなどがある。
平安時代末期には京都市内に移転、その後は幕末まで代々法親王が住持を勤めていた。
当時は広大な敷地面積を誇り、通し矢で有名な三十三間堂は、今も妙法院の管理するところである。
豊臣秀吉が築いたといわれ、国宝にもなっている庫裏(くり)や重要文化財である大書院、狩野派の筆による障壁画が残る大玄関など、桃山文化の美が封印された大伽藍を今に伝えている。
古くから皇族や貴族の子孫が住持を務める寺院を「門跡」といって別格の扱いとされるが、この妙法院も門跡の一つであり、青蓮院、三千院と並び「天台三門跡」と称されてきた名門である。
その創建には諸説あり、元は比叡山上にあった小寺院であるといわれ、開祖を最澄とするものや、後白河上皇が落飾後の永暦元(1160)年ごろ、比叡山の僧、昌雲が里坊を開いたのを始まりとするものなどがある。
平安時代末期には京都市内に移転、その後は幕末まで代々法親王が住持を勤めていた。
当時は広大な敷地面積を誇り、通し矢で有名な三十三間堂は、今も妙法院の管理するところである。
豊臣秀吉が築いたといわれ、国宝にもなっている庫裏(くり)や重要文化財である大書院、狩野派の筆による障壁画が残る大玄関など、桃山文化の美が封印された大伽藍を今に伝えている。
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